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乳がんと子宮頸がんの記録#16 救われた気持ち

子宮頸がんの手術は3週間後に決定した。乳がんの手術をして2か月経たずにまた手術。心身ともに参っていました。でも家族の前では元気に振る舞い手術したら大丈夫だから!と平気なふりをしていました。TVを見ていても内容なんて入ってこない。色んなタレントさんをみてなぜこの人は健康なのに私はがんになったんだろうと思ってしまう始末・・・もともと落ち込む性格ではなく逆境に強い方だと思っていたけど今回はかなりのダメージだった。その頃私は闘病ブログを始めました。今のようにSNSで発信する人は少なく私のブログにはとっても沢山の方が集まってくれました。私は癌になってる人の多さにビックリだったしその仲間たちと とても親密な交友関係が生まれるとは思ってもいませんでした。そしてその仲間たちに私も救われていきました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#15 不安だらけ・・

子宮頸がんが確定した。そして手術の内容が決定した。広汎子宮全摘手術をする事になった。これは婦人科では1番大きい手術らしい。子宮・卵巣全摘でリンパ節も摘出すると。本来なら卵巣は1つ残した方がホルモンバランスが崩れないらしい。でも私の乳がんはホルモン受容体陽性である為卵巣も全摘する事になりました。乳がんの主治医にも報告に行きました。今後の治療スケジュールが変更になるから・・乳がんの主治医に報告するとすごく驚いていたけどとても優しく励ましてくれた。そして『卵巣を全摘する事は乳がんの治療においてもあなたには最適な治療になる。』そう言われ、悪い事ばかりじゃない。そう思って乗り切ろう。私は必ず乗り越える!そう自分を奮い立たせていました。
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ガン友。

この時に書いた隣のベットで一緒に過ごした友達と3年ぶりに会ってきた❤当然なんだけど当時、お互いにスッピンで院内着術後のヤツれ感とかが合いまって顔を見てわかるかなと心配しながら待ち合わせ場所に向かった。会おう会おうと言いながら3年も経ってしまったのはコロナのせい。彼女は開腹手術をしてリンパも切除しているのでなかなか難しかった。現地に着いて、それっぽい女性を見つけたがカラダの大きさがあまりに変わっていて確証が得られず、ライン。茶色のロングニットに黒のパンツ。はいビンゴ♬私は思わず抱き着いちゃったw彼女は再発してもなお放射線治療で克服し挙句10キロも痩せてさらに美しい女性になっていた。13時~17時まで二軒はしごして昼呑みした。楽しかった( ノД`)あの頃の辛い思い出は彼女と一緒に歩いたこと術後、ただひたすら病棟を歩いたこと。私より大変だった彼女が私に優しい。たった一週間隣のベッドに寝ていただけの関係でも「吊り橋効果」並みの絆ってすごい。近いうちにまた会う約束をして別れた。ついでにココナラに誘ってみた。売れないけどねって言ったら困る~って言われたwそりゃそうだ。
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子宮頸がん。

今、病院から帰宅したのですが・・私が子宮を失ってから3年2か月が経った。早期の子宮頸がんが見つかったのは会社の健康診断。実は5年前の検診ですでに兆候があり再検査の紹介状が出されていたにも関わらず私はそれを次の婦人検診まで放置してしまったのだ。仕事が忙しかったのと婦人科への抵抗・・・だったのかな。婦人科検診は2年に一度。忘れてしまっていたというのもあった。診断のクラスが上がっていたためとりあえず近所の婦人科へ受診。コルポスコピー検査って痛くてね・・もう二度と嫌だと思ったくらい。でもこの検査放置していた自分のせいでこの後2か月間で3回も受けるはめになる。最初の病院で円錐切除術を受けた。病理検査の結果、浸潤が確認され子宮頸がんと判明。2年前に受診していれば恐らくこれで終わっていたはずだと先生からお説教を頂く。専門の病院に行ってくださいと埼玉の県立がんセンターに紹介状を書いてもらい受診。ここで二度目のコルポスコピー検査。んーやっぱり痛い(´;ω;`)がんセンターは当たり前だけどガン患者しかいない。あとは部位とステージの違いだけ。つまりほとんどの方が手術待ちの状態。あなたの手術は半年くらい先になってしまうから転院しませんかと声をかけられ主治医の先生が東大医学部卒の方だったのが幸いし天皇陛下が受診されるかの有名な東大病院に転院となった。当然ここでもコルポスコピー検査。。。この痛みには慣れないわ( ノД`)転院するたびに検査ってやり直しなのね。この間2回もやってるからやだなーとお願いはしてみたんだけど、却下される。手術は腹腔鏡だったので術後の回復は早かった。後で知ったのだが開腹手術の方ががん
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乳がんと子宮頸がんの記録#13 セカンドオピニオン2

やっと自分の名前が呼ばれた。診察室に入ると医師が優しい笑顔で迎えてくれました。そして紹介状を見て私が乳がんの手術をしたばかりでこれからも抗がん剤や放射線をしなくてはならない事を知り「大変だったね。よく頑張ってるね。体もだけど心の方が辛いでしょ?」と言われて涙腺が崩壊しました。先ほどの病院でひどい言い方をされていたので余計に力が抜けたのだと思います。そして詳しい検査をしてもらいがんが4cmになっていると。これは何年も前から「病変はあったよ。がん検診行ってなかったの?」と聞かれました。「毎年がん検診してました。」そう答えると先生は驚いて「どこの病院で?」と聞かれたので先ほどの病院の名前を言うと「あー・・」と言葉をなくした瞬間あの病院はあまり良い噂がないのだろうな。と察しました。地域密着型のクリニックで地元ではそこそこ有名ではあったのですがその件があった2年後突然閉院しました。私としては「でしょうね。」と言う思いです。つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#12 セカンドオピニオン

いつもがん検診をしている病院からがん告知をされやっと希望する病院へ。ここは大きな病院で沢山の患者が待合室にいた。新患は予約できないのでかなり待ちます。と言われていた。それでもその先生にお願いしたかった。私は今までたくさんの同病の友たちと出会ってきました。そして何人もの友が虹の橋を渡っていきました。その友たちがみんな言っていた事。それは毎年がん検診行ってたのに気づいた時にはステージ4と言われた。体調が変だと思ったけど病院で大丈夫と言われたからそのままにしていた。あの時セカンドオピニオンを受けていたらもっと早く発見できたかもしれない。みんなそう言って悔やんでいました。私もそうでしたががん検診をしていても100%大丈夫!ではない。って事があるのです。その医師の細胞の取り方で結果も違う。納得いかない時は必ず他の病院へ行きべきだと思っています。そして私たち患者も色んな情報や知識を得る事が大切だと思います。自分の体を守れるのは自分だけですもんね。3時間待ってやっと診察室に呼ばれました。つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#11 子宮頸がん告知とひどい医者

子宮頸がんの結果の日前日から眠むれなくて朝早くから病院へ行く準備をしていた。子供達を学校に送り出してから病院へ向かった。物凄く緊張していた。病院に着いて待合室で待ってる間手の震えが止まらず早く結果を聞いて安心したいと思っていました。名前を呼ばれて診察室に入り椅子に座ろうとした途端「癌だったから紹介状書くから。」って言われて愕然としました。ここの病院では大きな手術が出来ないから他の病院へ紹介状を書くと・・私はもし何かあった時は「この先生にお願いしよう!」と決めていた医師がいた。でもここの医師は自分の先輩がいるからと違う病院を進めてきた。押し問答がはじまった。どちらも譲らず・・・私は医師に自分に命だから自分で決める!と言った。その医師は人が変わったように冷酷に「私は命の保証しないですから勝手にしたらいい。」と言ってきた。そして子供のようにむくれた。これにはさすがに呆れました。私はこんな医師に何年もがん検診をお願いしていたのだ。自分を殴ってやりたい気分だった。見かねた看護師さんが仲裁に入った。むくれた子供のような医師に一言言って診察室を出た。(それは秘密です 笑)この後看護師長さんが来て私に平謝りで私が希望する病院へ連絡してくれこれから向かいます。と予約もしてくれた。看護師長さんにお礼を言ってすぐにセカンドオピニオンを受ける為自分で決めた病院へ向かった。つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#10 まさかの子宮がん検診

退院から1週間後私は子宮がん検診へ行きました。子宮がん検診は毎年受けていていつも問題なくクリアしていたので今回も安心のため検診を受るつもりでした。いつもの病院へ行き検診した時に先生が「あれ?」って言ったんです。「あれ?」ってなに???その習慣ザワッとして凄い不安に襲われました。そして診察室に呼ばれた時ちょっと気になる「びらん」があって細胞取ったから検査に回すから。と・・・乳がんで告知された時の感情が甦った。怖い。結果は2週間後。また恐怖の2週間の始まりだ・・・でも毎年検査してるし今まで1度も引っかかった事がないからきっと大丈夫と思い込もうとしていた。寝れない日が続きやっと2週間が経った。つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#9 入院生活~退院

入院生活は10日間でした。術後2日目からは普通にしていれば痛み止めもいらないくらい元気になっていました。でも術後は腕が上に上がらないのでリハビリが始まります。これがなかなか大変で手術した傷が痛くなりました。朝は体操もあります。入院中は同じ病気の人がたくさんいて子育て世代の人も多くいました。夜寝れない時にこっそり遊びに来る人もいました。皆これからの事が不安で眠れないのです。同病の人と話すととても気持ちが落ち着きました。今もその人とはたまに連絡を取り合って近況報告をしています(*^^)あっという間に10日が経ち退院許可が下りて自宅に帰れることになりました。退院した日は子供たちが私を喜ばせようと部屋を綺麗に掃除してくれていておやつも用意してくれていました。家に帰ってきてやっぱり自宅はいい!と実感しました。そしてこれからはストレスをうまく発散して健康に生きようと思っていました。今後放射線と抗がん剤を受けなくてはいけませんでしたが私は頑張って乗り越えてやる!と強気でいました。そしてこの1か月半後私はまた手術をする事になるとは思っていませんでした。つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#8 術後の経過

術後2日目から痛み止めもいらなくなり普段通り過ごせていました。友人がお見舞いに来てくれて私の元気さに驚いていた。病院では診察が終わった後は病衣ではなくトレーナーにスウェットスタイルでいたので余計に普段通りの元気な私に見えたのだろうと思う。でも心の中は不安でいっぱいだった。これからの治療、生存率 リンパ郭清してるからリンパ浮腫にも気を付けて生活しないとならなくなる。日中は家族や友人、親せきなど毎日来てくれたので強い自分を演じきれていた。でも夜になると色々考えてしまい眠れなくなっていた。手術前日は爆睡したのに( ´艸`)夜中に起きていると不安ばかりが大きくなった。これからの治療もだが私は後何年生きられるのだろうか。そればかり考えていた。せめて子供が成人するまで生きさせてほしいと切に願っていました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#7 手術終了

麻酔から目が覚めるとすべてが終わっていた。2時間半の手術だった。左乳房温存手術をした。目覚めた瞬間左腕が痛だるく辛かった。夫に摩ってもらいとても楽になった。麻酔が効いているのか次の日まで何度も寝たり起きたりを繰り返していた。その間夫は夜までずっと手を握っていてくれた。凄い安心感だった。そして夫は主治医からリンパ節奥にまでに思った以上に転移があったと告げられていた。私はこの時、この事実は告げられていなかった。次の日この事実を知る事になる。癌自体1センチもないのにリンパ節に転移が多いのは100人に1人くらいだと。進行が早く癌の顔つきが悪いと言われた。再発や転移の可能性が高いと言う事だ。放射線治療をした後抗がん剤治療をする事が決定した。現実を突きつけられ怖くてたまらなかった。術後の傷より心が痛かった。そしてそれを治す薬など無い。この日から寝れない夜が続いた。連日可能な限りそばにいてくれる夫。帰り際「ありがとう。」と言ったら「また明日ね。」と笑った夫が素敵に見えた。どうやら麻酔の影響が残っているようだ(笑)つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#6 手術

手術当日。歩いて手術室に着くと沢山のスタッフの皆さんが元気に「おはようございます!」とほほ笑んでいた。この日は快晴。おかげで気持ちが少し上がる。さっそく手術台に乗せられる。ひんやりと冷たかったのを覚えている。まさに「まな板の鯉」である。こうなったら煮るなり焼くなりしてくれ!と思っていたが手は恐怖で震えていた。看護師さんが「大丈夫!寝てる間に終わるからね。」と私の手をそっと握ってくれた。この時とても安心した。手を握られるってこんなに気持ちが落ち着くんだと初めて知った。余談だが私はその時から心が折れそうな友人がいると手を必ず握るようになった。悩んでいる子供の手も握る。手には物凄いパワーがあると知ったから。それからすぐに体に沢山の装置を付けられ麻酔科の先生が入ってきた。麻酔科の先生に「大丈夫だからね。」と言われた。本当に優しい人ばかりだった。私は麻酔科の先生に「口から心臓が出そうだから早く寝かせてほしい。」と言ってみた。皆さんに爆笑され少し和やかムードになった所で麻酔注入!意識がなくなる中看護師さんの手の温もりはしっかりと感じていた。私は今でもこの看護師さんに感謝しています。入院中もたくさんお世話になることになりました。あっという間に意識が無くなり目覚めた時、すべて終わっていました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#5 入院

入院当日普段通り子供たちを学校に送り出してから病院へ向かった🙂子供たちが不安にならないように朝からふざけてばかりいた。うん。これていいのだ!☺☺私はまつ毛エクステとジェルネイルをしていたので事前に確認したところまつエクはOK!ジェルネイルは外して爪を短く切るように言われた。数年前からジェルネイルをしていたため自爪がペラペラだったので退院する頃には深爪になってしまいました😓この日は身体測定・CT・エコーを撮り明日の手術の説明や院内説明で終わった。その後は何もする事が無くベッドでゴロゴロ。院内ウロチョロ。明日は数人の人が手術だった。私は1番手だった。何でも1番はいいと思っていたが・・これはちょっと怖かった。その日の夜眠れないだろうと看護師さんが眠剤を持って来てくれた。みんな手術前夜は寝れないから服用してるんだよ。と優しく言ってくれた。そうだよね・・・みんな緊張するよね。不安だよね。と考えていたら眠剤飲む前に爆睡していた・・🤭恐るべし自分である。手術当日看護師さんが手術着を持ってきてくれたので着替えていざ手術室へ!朝から来てくれていた夫に手を振り手術室へ向かった。夫の方が泣きそうである。ドラマみたいにストレッチャーに乗るのか?と思っていたら元気モリモリなのでしっかり歩いて向かった。初めて見た手術室は沢山の機械や装置がありそしてスタッフが待機していた。前日爆睡していたくせに突然もの凄い恐怖に襲われた。やっぱり私も人の子のようだ・・・つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#4 入院準備

入院は2週間後に決定した。 そしてその翌日手術になった。 入院期間は10日~2週間らしい。 入院までにした事。 私が家にいなくても困らないよう 夫や子供たちにどこに何があるか説明。 わかりやすい場所に移動させたり作り置きできるおかずを作ったり 学校の事や塾や習い事フル回転で とにかくゆっくりする暇など無かった。 これは私にとって良かったと思っている。 もしゆっくりする時間があったら 楽しい事なんて考えられなかっただろう。 常に怖さと闘っていたと思う。 入院までにMRIを撮りに行ったり 何度も病院にも通った。 そして入院前日子供たちがケーキを作ってくれた。不格好なケーキだったがとても美味しくて本当に嬉しかった。そして手紙をくれた。ベッドに入る前にひとりで読んだ。手紙の最後には、お母さんは強いから絶対大丈夫。癌になんて負けない。そう書いてあった。これは子供たちの願い。そうあってほしいと思って書いたのだと思った。そう思ったら涙があふれてきた。泣かないと誓ったのに。何があっても耐えてやる。そう思っていた。
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乳がんと子宮頸がんの記録#3 乳腺セカンドオピニオン

私は入院が決まるまでにもう一か所病院に行っている。セカンドオピニオンである。そして2か所目に行った病院で手術をする事にした。その理由は評判の良さはもちろんだったが主治医のとても優しく患者目線でいてくれる事。看護師さんやスタッフの皆さんの対応の良さ。そして医師以外スタッフ全員が女性だった事。以前の病院は検査技師が男性だった。いくら病気になったって毎回胸を出すのには抵抗を感じていた。中には胸のエコーを撮りながら顔をマジマジと見てくる技師もいた。最悪である。だから私もマジマジと見返してやったりしていた。闘う相手が違うがこの頃の私は常に戦闘モードだったそんなストレスが嫌だったし「癌になったんだから胸が無くなったり変形しても仕方ない。そんな人は沢山いるんだから。服着てるから見えないだけ!」と笑いながら言った医師の言葉に納得がいかなかった。癌になろうが私は死ぬまで女性だ。どんな扱いだよ!と思った。癌の治療だから主治医とは一生のお付き合いになるかもしれない。心から信頼できる医師を探そうとセカンドオピニオンを受けた。そして今の主治医に出会い本当に良かったと思っている。
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乳がんと子宮頸がんの記録#2 家族に伝える。

突然の乳がん告知。頭の中が真っ白になった。私には夫と中学生と小学生の子供がいる。この幼い子供たちに何て説明すればいい?そして私はこの子たちが成人する姿をみる事が出来るのだろうか?父をがんで亡くしたばかりで母の心には、ぽっかり穴が開いた状態なのに娘が癌になった。って言わなきゃならないの?残酷すぎる。これから過酷な治療がはじまる。主治医からは髪の毛も抜け落ちて薬の副作用でむくみが強く出る。と言われた。体調だけではなく見た目も変わるのだ。家族に何て言おう。容姿が変わるから隠しきれないだろう。どのくらい泣いただろうか。夫にすがりついて泣いた。怖い。とはじめて言葉が出た。夫も泣いていた。大丈夫と言いながら泣いていた。散々泣いて私はもう泣かないと誓った。泣いていたら病気に勝てない気がしたし何より家族が不安になると思ったから。子供達には明るく伝えた。お母さんの胸に悪いものがあるからそれを手術で取ってもらうからちょっと入院する事になっちゃった。中学生の息子は黙っていた。小学生の娘は嫌だと泣いた。抱きしめる事しか出来なかった。抗がん剤などの治療の事はまだ言わないでおこうと夫と決めました。そして入院し手術を迎える事になりました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#1 がん告知

はじめまして。さくらと申します。私の乳がんと子宮頸がんの記録です。2012年、春。胸にしこりを見つけた。ものすごい胸騒ぎと焦りがあり冷や汗が出るほどだった。すぐに乳腺外科へ検診に行き小さなしこりが2つあり細胞診をすることになった。結果は2週間後。この2週間が地獄のように辛い日々になる。結果がわかるまでネットで色々調べるがいい答えなんて見つからない。ネガティブな感情ばかりで2週間過ごした。2週間後乳がん告知を受ける。限りなくⅢに近いステージ2bリンパ節にも転移があった。診察室の椅子から崩れ落ちそうになった。なんで?どうして?わたしが?物凄い恐怖に襲われた。信じられずにいた私に医師は言った。「がんばりましょう。私も最善を尽くしますから。」この言葉に我に返り「負けられない。絶対に負けられない。」と心に誓った。宣告された患者は嫌でも闘うしかない。闘うしか私には選択肢はなかった。ここから私の人生の第2章が始まった。ここからが始まりでもっとつらい現実が待っていました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#14 良いドクターと出会うため。

婦人科のセカンドオピニオンを受けその先生に決めた。私は乳がんの時もセカンドオピニオンを受けその時の病院へ変更しています。主治医との出会いは今後を左右すると思っています。だから病気が発覚した時はみなさん必ず信頼できる医師を見つけてほしいと思います。それをせず後悔してる人を沢山見てきました。2度目のがん告知。かなりのダメージでしたが落ち込んでる暇はありませんでした。乳がんで手術した傷がまだ痛むのにまた手術をしないとなりません。子供たちに何て言おうか・・親には何て言おうか・・友人たちには何て言おうか・・頭の中は色んな事でいっぱいでした。
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