毎日がエイプリルフール
この文章を書いている4月1日はエイプリルフールですので、作話についての僕の考えを書いてみます。作話で調べると実際には起きていないできごとを、目撃や体験をしたかのように話す症状。認知症などにおいてみられる。記憶障害が起きたとき、抜け落ちた記憶を補い現実とつじつまが合うようにするために、無意識のうちに物語を作り出す。意図的に作り話をする虚言とは異なり、間違ったことを話しているという意識が本人にはない。SNSの炎上騒ぎで起きていることのほとんどが、この作話しているなと感じています。実際に体験したわけでもなく、聞いた話を事実だと信じて、そこからさらに妄想してコメントしている。妄想同士で争っても決着つかないですよね、決着ついたと妄想するかもしれませんが。あることはあるし、ないことはない。わからないことはわからない。それでいいのではと思いますが、あることをないことにしたり、ないことをあることにしたり、わからないことを妄想してわかった気になってみたり。妄想したまま、自己肯定感を上げようとしてうまくいっている方を見たことがありません。妄想したまま、私はこのままでいいんだ!って普通にダメですよね。まずは自分の思い込みや無自覚に信じているものを探してみてください。自分で力いっぱい握っているのに、手放すっておかしな話だと思いませんか。僕は『昼は暗くて、夜は明るい』と言っている方にはそうなんですねとしか言えませんが、世の中の争いはそんな話ばかりです。最近、覚醒とかよく言われていますが、自分で作った夢の中から目を覚ますことかなと思っています。毎日、エイプリルフールだと疲れます。
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