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【29】いつか離れる日が来ても/朝ドラ・カーネーション

「来るものは拒まず 去る者は追わず」いつもそのような心持ちでいられたら、どんなに楽でしょうね。↑平井 堅『いつか離れる日が来ても』(2008年)このMV、宮沢りえさんがとにかくめっちゃ可愛いので前半の3分位、歌詞一番の部分だけでも是非ご覧ください!二人は両想いの恋人。男性側の心情を歌った曲。今、すごく相手が大切で幸せで、その分相手を失う怖さを思うと苦しくなる。MV内ではそのような設定のようです。とっても素敵なバラードです。が・・・「え、(平井堅の役どころに対して)情緒大丈夫?」「宮沢りえ、めっちゃ幸せそうやん?全然不安がることないよー、今の幸せを満喫しなよー、もったいないじゃん!!」・・・なんて思ったりもして。ですが、なんとなくわからないでもないです。人間、ある程度の年齢になると(人によっては早い段階でも)誰でも何かしらの「喪失体験」はあるものです。友人知人・家族親族・恋愛・モノ・場所・環境・健康・住居・仕事・「推し」的な何か、いつも見ていたテレビ番組・・・ずっと続くと思っていたものでも、いつかは何かが変わっていきます。私の実生活で、めちゃめちゃ明るい同世代の親友がいるのですが。そんな彼女ですら近年は生活の変化に伴い、噛みしめる思いが出てきたらしく友人「・・・なんだっけ、あの、そういうのを表す四字熟語・・・?」私「うーん、諸行無常??」友人「そう、それそれ!!」等という事を言い出します。ある程度、自然の摂理です。私が小さい頃、初めて親戚の葬式というものに参列した後。一応記憶があるという事は小学校低学年位でしょうか。両親間で、私の参列態度を話し合っていたらしいです。オカン「この子
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合格祈願・無病息災を願って

廉清生織のブログの部屋へようこそ子育て地蔵尊へお参りへ行ってきました昇給試験や資格取得などの試験に向けて今頑張っている皆様の合格祈願と無病息災を願って参拝してきました受験生のお子様を持つご家庭にも笑顔が溢れるようしっかりとお願いしてきました試験当日に体調を崩したりせずに試験会場へ到着できるようまた災害からも護って貰えるようお願いし感謝の気持ちを伝えてきたのです皆様の笑顔が溢れるよう祈っております今日も嬉しい便りが届きまして私ごとのようにとても嬉しい一日となりました皆様の相談を受けている中で良い報告を聴けると幸せを感じます私の好きな言葉に「一期一会」がありますこれはお茶会・茶道から生まれたと言われています茶の湯では、「振舞」が強調されますそれは、いかに人をもてなすかという人間関係です茶会で一番大事なのは「心配り」です亭主としての振舞・客人としての振舞がいかにあるべきか考えられて「一期一会」に到達したわけです相手が普段からよく会う人であったとしても「一生に一度しか会えない相手かもしれない」 と思うことによって誠意ある心づくしができるというのが茶の湯における「一期一会」の精神ですしかし...一期一会の持つもっと深い本当の意味は一期一会の言葉の根っこには仏教で教えられる「諸行無常」の教えがあります「諸行無常」とは「諸行」とはすべてのもの「無常」とは続かないということです物も人も人も私も常に絶えず変化して止まることはありませんよね?人であれば出会いと別れを繰り返します人間が生まれて初めて出会うのは親だと思いますところが…その親も別れる時がやってきます諸行無常ですから全てのことは続きません
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流れ続ける?

こんにちは♪ご覧くださりありがとうございます♪お買い物に出たら知り合いによく似た人が歩いてた。別人だということはちゃんと分かってる。でも、シルエットとか服のセンスがそっくり。「知り合い」って表現してみたけど、人を表すこと、伝えることは難しいと思う。幼なじみで、家族同然で、でも全然会わなくたって平気でだけど信頼度は誰とも比較できない、私はその子を裏切るなんて微塵もこれっぽっちも絶対にあり得ない。そんな人だって、他人からみたら「知り合い」にカウントされる。肉親より大事だと言ってもたぶん信じてもらえない。(別にしょうがないけど)変わっていくことはあるんだと思う。諸行無常変わっていくことが当たり前で変化を嫌い居着いてしまうことの方が私は恐ろしいと思う。変化がなく居着いていれば見通せるから安心かもしれないでも流れが止まった水はよどみ腐る。水は、流れ続けているから美しい。私のカラダにもあなたのカラダにも水が流れてる。どうか流れ続けそれが清らかな水でありますように。
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諸行無常(まんが)

今日は『禅語』ではなく『仏語』の紹介をしたいと思います。 『マンガでわかる仏教塾』というサイトを偶然見つけたのですが、文章ばかりだと飽きてくると思ったので「息抜き」をする意味で紹介したいと思います。内容はすべて『マンガでわかる仏教塾』をコピーしたものなので、著作権に引っかかる可能性があると思いますが、せっかく「良いものがあるのに、知らないのは損」だと思いました。よって、削除される場合もあるので、その際はご勘弁を・・・・
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期待という苦しみ。

「期待」とは、 将来の成果や人の行動をあてにして、そうなることを心待ちにすること。 だそうだ。 期待して、成果を得られず、思った行動をとってもらえないと、 期待ハズレ 期待を裏切られた と、残念な気持ちになる。 時にイライラしたり… 人間は、どうしても自分中心に考えがちだ。 身近な家族の場合は、なおさらだ。 トイレットペーパーが無くなったら、セットしてくれるハズだ。 トイレットペーパーの芯は、捨ててくれるハズだ。 トイレの便座のフタは、閉めてくれるハズだ。 トイレの電気は消してくれるハズだ。 洋式なら座って、してくれるハズだ。 (なんかトイレばかりだな…) そう思うが、裏切られ続けている。 見つける度に、 厶キー!  となる。 我が家では いくら言っても、完璧には、やってくれない。 トイレットペーパーは新しくセットされてるが、芯が窓辺に置かれている…とかね。 トイレの便座のフタ。 便座のヒーターを使っているなら、年間30%ほど電力消費が違うらしい。 説明しても、ダメだった。 こんだけ言っても出来ないなら、諦めよう… 芯は自分ガ捨てれば良いだけだし。 期待しなければ、裏切られることもないのだ。 所詮、家族とて他人とたいして変わらん。 親子は血がつながっているが、世代や性別、育った環境が違えば、考えが自分と異なっても、不思議ではないハズだ。 改めて思い返すと、裏切られることを予想している自分に気づく。 トイレのドアを開けると、 「やっぱりね…」 ドアを開ける前に、裏切りを予想していたからだ。 もしかして、私の「裏切られる」というのも期待なのか!? そうなのか!? 教えて欲しい…トイ
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諸行無常の知恵を持って物事を見る

今日、帰り際にお客様が「今が幸せすぎて、この幸せがなくなるんじゃないか?そう考えると、とても不安になります」と仰った。人間というのは今が良すぎても悪すぎても、どっちでも悩んでしまう生き物です。そんな時はブッダのこの言葉を思い出しましょう。諸行無常 人は絶対的なものを信じてしまいやすいものです。 永遠に続く幸せ、 変わることのない日常、 誰が見ても正しい正義などは、 頭でつくられた妄想でしかありません。 冷静に考えれば そんなものは存在しない とわかるはずですが、 絶対的なものがある と考えると安心するので、 何事も移り変わるものだ と考えないようにして しまっているのです。 この世のすべての物事は、 なにかの影響を受けて、 今この瞬間も変化しています。 これを諸行無常と言います。 物質はどんどん酸化していき、 人の細胞は生まれ変わります。 ずっと変わらないように感じる 身近な人の外面も内面も、 知らず知らずのうちに 新しくなっているのです。 「この人にはこうでいてほしい」 「この人はこういう人であるはずだ」 というのは、思い込みです。 「諸行無常であると知恵を持って 物事を見るとき、 人は苦しみから遠ざかり離れる」 とブッダは言っています。 思い込みや執着を捨てて、 諸行無常という真実を 受け入れられるようになると、 ラクに生きられるようになります。 「何事も移り変わる」というのは、 切ないように感じますが、  マイナス面ばかりがある わけではありません。 今感じている苦しみも、 永遠に続くわけではない と教えてくれるからです。 王子としての 快楽にまみれた暮らしにも、 修行者
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神仏様は私達を助けない

もうこの話は、スピリチュアルを学んでいる方であれば当然の話である。多くの高次元の魂が地球に降り立ち現在私達の肉体を創造し作り出しました、その高次元の人達も常に私達がどの様に成長するかを見守っています。しかし、皆様が想像するようにその存在は助けてはくれません。例えば、お金がないからといってお金をくれたり、人から嫌がらせを受けているのを助けてくれたり、悪い人をやっつけてくれたり、この社会を良い方向に向けてくれたりと皆さんの良いと感じる事を実現してくれたりとは一切しません。神仏様(高次元)の存在は、肉体を持った私達が幸せに暮らせる環境や知恵をすでに与えてくださっています。その能力を使う事をすれば何も問題もなく幸せに暮らせるのです。私が常にチャネリング(対話)をしていますが、手は出すことはありませんがいろんな事を教えてくれます。悪いエネルギー(不のエネルギー)によって間違った事を覚えてしまい潜在意識まで変えられている。この悪いエネルギーは地球だけにあるのではなく宇宙にも存在するそうです。放射能もそうですが、エネルギーとエネルギーがぶつかりあい融合していく過程において出るエネルギーだそうです。まあ、一旦エネルギーとエネルギーがぶつかりあい出来た物はいずれ無くなる宿命がありますからね。「諸行無常」ですわな。いくら諸行無常でも創られた物がすぐに消えてしまえば面白く無いです。ですから、悪いエネルギー(不のエネルギー)を除去する事で多くの物が現実になって行きます。「人の選択は変えられない」これも神仏様(高次元の存在)からすると常識だそうです。簡単に言えば「あなたが選択した事は誰も変える権利が無い
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幸福の条件ってなに?

この世界には多くの人が住んでいます。そして誰もが幸せになりたいと願っており、「こうすれば私は幸せになるはずだ」と各々が信じた行動を日々とっています。「お金があれば幸せになれる」と信じている人は、一生懸命お金を稼ぐ人生になるかもしれません。「良い恋愛が出来れば幸せになれる」と思っている人は、恋愛を最優先にした人生になるかもしれません。ここで言いたいことは、ほとんどの人が「○○すれば幸せになれる」という条件づけを暗黙の前提にしているということです。「○○すれば幸せ」もしくは「○○があれば幸せ」これはごく一般的な感覚なように思えますが、裏を返せば「○○が満たされなければ不幸せ」と言っているのと同じことなのです。この「人生に対して『幸福のための条件を課す』」という行為。実はこれこそが真の幸福を妨げる原因なのです。人生において、この世界において、保証されている人生などあり得ません。10年後社会がどうなっているかも分からないですし、もっと言えば1年後自分が生きているかどうかさえ分からない。どこまでいっても不確かな世界なのです。この世界の不確かさ。仏陀はこれを「諸行無常」や「諸法無我」といった言葉で表現しています。すなわち形ある全ては移り変わり、もともとそこに在るようで無い、不確かなものだということです。確固たる実体として存在する物など、この世界にはひとつもないのです。そこに形を保ってたしかに存在するかのように見えているものも、実は万物が流転してたまたま今その形を保っているだけであったりします。たとえば今あなたの目の前にペットボトルに入ったミネラルウォーターがあるとします。あなたがそれを飲ん
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心を穏やかにする「五つの真理」の教え

~ 常に観察すべき5つの経 ~この経典は、私たちがつい目を背けがちな「現実」を直視し、それを受け入れることで、「今この瞬間を後悔なく、穏やかに生きる」ための智慧(ちえ)を教えています。 なぜ「常に思い出す」必要があるのか? 人間は放っておくと、自分の都合の良い「妄想(いつまでも若くて死なない、好きなものは離れないという幻想)」に浸ってしまいます。 仏教では、その「ズレ」が苦しみを生むと考えます。 そこで、朝・昼・晩と、次の「5つの項目(真理)」を心の中で回転させることで、何が起きても動じない強い心を育てます。 ☆ 常に観察すべき「五つの真理」 1. 「老い」の真理 「私は老いるものであり、老いから逃れることはできない」 「成長」も実は「老い」の一部です。生まれた瞬間から、私たちは一秒一秒、老いています。  これを認めると、若さに執着して他人をバカにしたり、鏡を見て落ち込んだりすることが減り、今の自分を大切にできるようになります。 2. 「病気」の真理 「私は病気になるものであり、病気から逃れることはできない」  仏教では、空腹・喉の渇き・呼吸さえも「手当てしないと死ぬ=病気の状態」と考えます。  「健康で当たり前」という傲慢さが消え、今の体が動くことへの感謝が生まれ、体調の変化にも冷静に対処できるようになります。 3. 「死」の真理 「私は死ぬものであり、死から逃れることはできない」 多くの人は「自分だけは死なない」という前提で予定を立てますが、死は必ずやってきます。  「死」を意識することで、逆に「今、本当にやるべきことは何か?」が明確になり、一日一日を濃密に生きられるように
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自分のビリーフを認識すること、そして考察すること、それが平和への一歩となる

ビリーフ(信念・観念)が私たちの視野をどのように狭めるのかを理解するには、まず人間の知覚と認知のプロセスを考慮する必要があります。ビリーフは、私たちが世界をどのように解釈し、反応するかに大きな影響を与えます。以下にそのプロセスとその結果について詳しく説明します。 ・ビリーフの形成と影響 過去の経験からの学習: ビリーフは過去の経験から生まれます。これらの経験に基づいて、私たちは特定のパターンや規則を認識し、それらを一般化します。 ・世界観のフィルターとしての機能: 一度形成されると、ビリーフは私たちが情報を処理し、理解する方法に影響を及ぼします。これは、私たちが事実を解釈するレンズのようなもので、しばしば無意識のうちに作用します。 ・確証バイアス: 人は自分のビリーフを支持する情報に注意を向けやすく、反する情報を無視する傾向があります。これを確証バイアスと呼びます。 ・現実の歪み: 強いビリーフは、事実を歪めて見せることがあります。これにより、他の可能性や視点を考慮することが困難になります。 ・ビリーフの視野狭窄への対処法 ・自己反省: 自分のビリーフを意識的に認識し、それらがどのようにして形成されたかを考えることが重要です。 ・多角的な視点の探求: 異なる視点や意見に開かれていることは、自分のビリーフに挑戦し、より広い視野を持つのに役立ちます。 ・事実と意見の区別: 自分の考えが事実に基づいているのか、それとも個人的な解釈や意見に基づいているのかを識別することが重要です。 ・情報源の多様化: 様々な情報源から情報を得ることで、自分のビリーフが一方的な視点に基づいていないかをチ
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人はいずれ自分から変わる

自分が思うように相手が動いてくれないと、ついついイライラしてしまうものですよね! それとなく促してみたり、時には厳しく注意したりすることで、一時的に変わってくれるかもしれませんが、他人に言われて仕方なく変わるようなものは本当に一時的なもので、本当の変化ではないんです。 その人が自分自身で変わらないといけない理由に気づき、変わろうと行動した時に初めて、人は変わることができるんです。 そういう意味では、他人である相手を変える方法というのは、残念ながら存在しません。 でも仏教では、私たちが生きている世界を『諸行無常』という言葉でとらえます。 これは、『この世に存在する全てのものには常なるものは無い、いつまでも生き続ける生き物はいない』 という意味です。 そうです、あえて変えようとしなくても、自分も含めて全ての物事は必ず変わっていく存在なんです。 私たち人間は1年、いや、1分、1秒とどんどん歳を重ねていき、寿命が尽きるまで様々なことを経験します。 子供はいつしか成長して社会人になり、結婚して、子供が生まれ、父母となり・・・ 生きているうちに自分の置かれる環境は変わり、様々な役割を担う存在となります。 その中で少しずつ、自分自身が変わらないといけないことに気づくのです。 こう考えると、変わってほしい相手の姿や行動、それに対する変わってほしいという自分の気持ちは、いつまでも続くものではありません。 本当に変わってほしいという気持ちがあるのなら、長い目で見守ってあげることが一番の近道ではないでしょうか! 自分もそんな時期があったなぁ、懐かしいなぁと、寛大な気持ちで寄り添ってあげましょう。 と
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『なんもない』を当たり前にしたいと思った出来事

昨年末のブログ投稿から年始を越えて、既に2か月以上が経ってしまいました。 この間、まぁアップダウンの激しい日々を過ごしていたな、と感じます。 1月は体調を大いに崩し、昨年末から「危ないなぁ~」と思っていた咳が、仕事はじめあたりから本格的にひどくなり、結局2月に入るまで苦しむ羽目に・・・ 2月はしょうがないとしても、3月になっても一向に変わらないこの寒い日々。 この間、体調はもちろん、メンタルもひどく傷んでいました。特にこれといった理由はないのですが、寒さや曇天なども影響しているのかもしれません。やはり早く暖かくなって欲しい。 本当に今年も桜は咲いてくれるのであろうか・・・🌸 で、いまいちすっきりとしない日々を送っていたので、『がんばらない自分』を意図的に、本格的に、徹底的にやってきました。これを意図することで、自分で自分に招く焦りから解放された気がしています。 ひとつの例として、今までずぅっと見てきた好きなメルマガ(意識高い系)を読むことをスパッと辞めたり、またSNSデトックスのため、好きだったFacebook閲覧も辞めました(休止的な感じ)。 やってみて、やはり脳は疲れていた、と感じるとともに、それはなにからくるのかというと、他人や他の出来事と今の自分との比較からなのだ、ということがはっきりとわかりました。比較をしたくないという心の声を素直に聞いて実践したら、こんな今の自分になっていました。 ずばり、『なんもない』って感じです(笑) 具体的に表現することが難しいのですが、あれしなきゃ、これしなきゃ、って、考えなかったことがないのが今までの常で、未来に対して先を見越して(プロア
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テーマ:グレーの存在と中道と本質

Ⅰ. 白でも黒でもない、「グレー」の美しさ多くの人は、物事を「正しいか・間違っているか」「成功か・失敗か」「好きか・嫌いか」という二項対立で見ようとします。しかし、現実の世界はそのどちらでもない「グレー」に満ちています。グレーとは曖昧さであり、同時に“可能性”でもあります。白と黒を分けるのは安心かもしれませんが、グレーを受け入れることは「不安の中に真実を見出す力」を育てることです。たとえば、人間関係における誤解も、誰かが悪い・良いというより、立場や文脈が違うだけかもしれない。仕事の失敗も、単なる結果ではなく、まだ成長途中の「揺らぎ」かもしれない。つまりグレーは、「成長の余白」とも言えるのです。Ⅱ. 中道とは、バランスではなく“動的な調和”仏教の「中道(ちゅうどう)」は、よく「極端に偏らないバランスの道」と理解されますが、実際にはもっと動的な概念です。中道とは、単に「真ん中を取る」ことではありません。むしろ、「その都度、最も生命が調和する地点を見つける」ことです。つまり、中道とは静止した点ではなく、絶えず変化する“流れ”の中での柔軟な立ち位置。風が吹けばしなやかに揺れ、雨が降れば静かに受け入れる。そんな“生きたバランス感覚”こそが中道なのです。現代社会は極端に偏りやすい時代です。情報は二極化し、意見は対立し、SNSのアルゴリズムさえ白黒を強調します。その中で「中道」に立つことは、安易な結論を避け、現実をそのまま見る力を磨く訓練でもあります。Ⅲ. 本質は、対立を超えた「静けさ」の中にあるグレーを受け入れ、中道に立つとき、人は“本質”に触れはじめます。本質とは、言葉や概念のさらに奥に
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「現代ストレスに対し脳を科学するとは⁈💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓🏸🤿⛳😎😍

💎見方を変える!富士山は、西からでも東からでも登ることができます。西の道が悪ければ東から登ればよい。東が険しければ西から登ればよいのです。道はいくつもあるのです。時と場合に応じて自在に道を変えればよいのです。人つの道に執着すればムリが出ます。ムリを通そうとするとゆき詰まります。”動かない山を動かそうとするからです””思うがままにならないことを思うがままにしようとするからです”そんな時は、「山はそのままに身軽に自分の体を動かせば、」またそこに新しい道が開けてくるのです。何事もゆき詰まれば、まず自分のものの見方を変えることです。案外、人間というものは無意識に一つの見方に固執して、他の見方があることを忘れがちです。そして、”ゆき詰った”という!ゆきづまらないまでもムリをしているのです。貧困はこんなところから生まれるのです。われわれは、もっと自在でありたいものです。自在にものの見方を変える心の広さを持ちたいものです。何事にも一つに執着すれば言行公正を欠きます。深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるのがいいのです。それで悪ければまた見方を変えればよいのです。そのうちに、「本当に正しい道」がわかってきます。模索する本当の意味はここにあるのです。そしてこれができる人には、ゆきづまりという事はないのです。お互いにこの気持ちで、繁栄の道を探ってみたいものです。💎失敗と思えることには!絶対に自分を責めたり、落ち込むことに一生懸命になっては行けません。”原因だけをつかんでおく”というフィーリングになることです。💎人間関係&今の時代のビジネスの世界!人間関係では大いに「貸し」を作ることです。それ
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「人生きっとよくなるための心の感覚と行動内容とは⁈💜」🎾🏸🤿🚴‍♀️🏓⚔️😎😍

💎「与え続ける感覚」を常に持つことです!”どうぞどうぞ”という「思いやり感覚」です。・利他(りた)の心を持つということです。人間関係では、大いに”貸しを作り続ける”という事です。つまり、自分のできることをさせていただくという感覚です。・寄付をするという感覚をもつという事です。・(エピソード)子どもが幼稚園の時親しくしているお友達の家が火事になり、全部焼けてしまいました。子供服や身の回りの品を集めてその子にあげようとしていた時娘が急に「いいこと思いついた」と叫びました。「ねえ、お父さんこの家をあげようよ!私たちは、お祖母ちゃんの家があるからさ」というのです。いろいろあげようと思っていましたが、まさか家をあげるとは思ってもいなかったので「え!家をあげる、ダメダメそんなの」と強く否定してしまいました。すると、それにめげずに今度は、「そうか。じゃあ車をあげようよ。二台あるからね。決めた!」というのです。これには笑ってしまいました。両親ともプレゼントが好きなせいか娘はお客さんが来るとシールとかいろいろ物をあげます。あるとき、娘のお気に入りをあげようとしているのを見て、「あれ、それって一番好きなやつじゃなかったっけ?」と聞きました。すると娘は、「そうだよ。好きだからあげるの」というのです。私たちの感覚だと、いらないもの、嫌いなものならあげるけど気に入ったものはあげません。これには参りました。「自分が一番気に入っているものをあげる」という事です。与えるという感覚は幸せな事なのです。見返りをもとめない与えるという感覚で心を満たしていると自然と喜びが味わえて、そして、回り回ってくる豊かさというも
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真理システムで読み解く仏教1 - 諸行無常

仏教の創始者(宗教は作っていないがw)ゴーダマシッタルダが説いた教えのなかに四法印という教義がある一つ少ない三法印だとする宗派や説もあるがここでは四法印として話をすすめていくこのゴーダマシッタルダの教えの根源であり中核をなす四法印とはいったい何のことなのか?アナンドチャラムのタロットクラスでお伝えしている真理システムを使って解読してみようと思うまず諸行無常/諸法無我/涅槃寂静の三法印に一切皆苦を加えたものが四法印と呼ばれるものだそれぞれは諸行無常とは  すべての物事は常ならざるものである諸法無我とは  すべての物事は我がならざるものである涅槃寂静とは  涅槃は安らぎの境地であるそして一切皆苦とは  この世のすべては苦しみである                ウィキペディアと書いてある分かったような分からないようなフワっとしている解説なので真理システムを使って説明してみようまずは「 諸行無常 」すべての物事は常ならざるものであるとあるがつまり、どんなものであれ常に変化し続けているどんな物であれどんなことであれそれは恒久的には存在しないあらゆるものが通過点にすぎないゴールなどそもそも存在しないしかし人間のマインド(思考)システムは変化をきらうマインドは常に過去のデータの中から未来を予想し続ける変化や未知の世界ではマインドは役に立たない不安や心配はこのマインドシステムによって引き起こされるマインドのデータは未知への対応ができないつまり未来予測ができないので対応の準備が不可能なのだそれが不安を呼び起こす未来予測の不可能さが様々な憶測を引き起こすそうして心配が作り上げられるゴーダマシッタ
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シャッターの前で、私は立ち尽くした

「当たり前」が突然なくなる瞬間 昨日まで、そこにあったものが、今日はいない。 理由も説明もなく、ただ「ない」という事実だけが残る。 そんな経験、ありませんか。 がっかりする、というより、胸の奥がじわっと冷える。 心配と、寂しさと、少しの後悔。 「もっとちゃんと感謝していればよかった」と。 私は今、その気持ちのまま、近所のお弁当屋のシャッターの前に立っています。 起業一年目の私を支えてくれた、ワンコインの味 2024年10月、30年以上勤めた出版社を辞め、合同会社を立ち上げました。 ひとり出版社としてのスタート。 正直、会社にしがみつく癖が抜けきらず、先の見えない不安ばかりでした。 生活で大きく変わったのは、余計な出費をしないという習慣。 「いつどうなるかわからない」 そのビクビクした気持ちを落ち着かせるために、財布の紐を固くしたのです。 そんな私の強い味方が、近所のランチ限定のお弁当屋でした。 牛タンカレーも、ガパオライスも、全部500円。 今どき、信じられない価格です。 ご夫婦で切り盛りしていて、 「いつもありがとうございます」 その一言を交わすだけの短い時間が、なぜか心をなごませてくれました。 ある日突然、閉じたままのシャッター ところが、ある日を境に、前触れもなく営業が止まりました。 1日、2日…そして1週間。 シャッターは閉じたままです。 心配になりました。 同時に、喪失感が押し寄せてきました。 「何を食べようかな」と考えたとき、 真っ先に思い浮かぶ店が、もうそこにない。 これは単なる飲食店の話ではありません。 信用が、突然、消えてしまった感覚なのです。 短いやり取りで
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美しきもの・・スピリチュアルのはなし

真の強さは美しさを伴っている。 機能的なものは美しい、  人がどの様に工夫しても自然の造形美をとらえきれない 自然はだから、強くて美しい 機能的で美しい  変化しない法則の中に変化する行いがある 四季という循環にて形の変化はついて回るこれを「諸行無常」という  それは物質世界に於いて避けられないこと  物質の世界、この地上にて生を営んでいる諸々の現象のうらには  変化しない実在界という世界が存在している事を知らなければならない  変化する世界での存在変化しない世界での存在が  同時にあるという事を理解しなければ真の強さは理解できない・・・ 実在界に存在しているすべてのものは地上界に存在するものと比較してもその美はなかなか再現できないし 地上界の言葉でも語ることが出来ない・・・「シルバーバーチ」  我々の仕事は実在の世界にある美をどのように表現するかの努力を続けることになる  美はバランスである。美は調和である。 地上におけるあらゆる環境を調和させようと・・・ 試みることで、まずは自らの調和を図ろうとすることから始まり家族の調和 郷土の調和社会の調和 国の調和最終的には世界平和というメカニズムになっている事を認識しよう 「治国平天下」より・・・  森羅万象の営みから「美的感性」を磨きたいものだ。そこに真の強さを発見するであろう  美しさとはやさしさであり強さであるから・・・本来人間というのは楽しみながら生きていくものだという事を固く信じて日々を送りたい。  今日は墨彩👇
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「魂を燃やして生きる」

人間はいつか死ぬものだ。 どんなに元気で若々しい人でも、やがては年老いて、苦しみ、生命には終焉が訪れる。 それは抗えぬ運命であり、私たちは日々、死に向かって歩んで行くものだと言えよう。 だからこそ、今を大切に生きなければならない。 今という、この二度とない瞬間を生きて、生きて、魂を燃やすのだ。 自分のあらん限りの情熱をこの瞬間に燃やし尽くそう。 燃えるように生きれば、自分の進むべき道も、自ずから見えてくるものだ。 何処までも続く、人生の荒野を、魂を燃やして進もう。 あの夕陽の先に、必ず見えてくるものがあるはずだ。 
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諸行無常」──すべては移り変わる、美しき無常の教え

人生はまるで、流れる川のようなもの。どんなに大切なものも、どんなに愛しい瞬間も、決して同じ場所にはとどまりません。仏教の深遠な言葉のひとつ、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」は、この世界の本質を端的に表しています。 しかし、「無常」とは決して悲しみや諦めの言葉ではありません。むしろ、それを知ることで私たちは執着から解き放たれ、より自由に、より美しく生きることができるのです。今回は、この「諸行無常」という言葉の奥深さを紐解きながら、仏教の神秘的で美しい言葉をご紹介していきます。 「諸行無常」とは?──すべては変わりゆくもの 「諸行無常」は、すべてのものは常に変化し、永遠に同じ形でとどまることはない、という意味を持ちます。 この世のあらゆるもの── 咲き誇る花も、やがて枯れる。 燃えるような恋も、形を変えていく。 人生の苦しみも、ずっと続くものではない。 これは無情な話ではなく、むしろ希望の言葉でもあります。なぜなら、「今の苦しみも、必ず変わる」ということを意味しているからです。 「無常」の中にこそ、美しさがある 桜が人の心を打つのは、その花がすぐに散るからです。 人との出会いが尊いのは、それが永遠ではないからです。 「永遠に続くものがないからこそ、今を大切に生きる」 この考えこそが、仏教の教える「無常の美しさ」です。 執着を手放すことで、私たちは本当の自由を得ることができる。 何かを失っても、それは新たな始まり。 人との別れも、新しい出会いへの扉。 この宇宙の流れに身を委ねることで、人生はもっと軽やかで、もっと輝きを増すのです。 仏教の美しい言葉たち 仏教には、「諸行無常」以外に
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御札の思い出

各種サービスとブログをご覧いただいている方々、またフォローしていただいた方々、本当にありがとうございます。この場をお借りして心より感謝申し上げます。とてもうれしいです。心が温まります。励みになります。ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。(ちょっと画像がご挨拶にふさわしくないような気もしますが。イラストがかわいかったのでこれにしました。ご容赦ください。てへへ)昔、神社で神さま相談をやっていた時に、何度か御札(おふだ)を書いてご相談者の方にお渡ししていました。何度も予約を入れて足を運んでいただくのも、もうしわけないので御守りのような形で、何人か必要だと思う方に白紙に、朱字でその場で書いてお渡ししていました。この前、断捨離していたところ、もうとっくに処分していたと思っていた「御札グッズ」が出てきてびっくり。B6サイズのクリアケースと朱色の筆ペン。ココナラを始めたタイミングで、これが出てきたので不思議な気持ちになりました。懐かしさと同時に、もう過ぎ去ってしまったことだなぁという気持ち。諸行無常ですねぇ(しみじみ)突然ですが、私の今年のテーマは「諸行無常」です。沙羅双樹の花の色って何色?ここまで読んでくださった方に心からの感謝を捧げます。それではまた。
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