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「演歌ヒット曲~♪^^」

やっぱ、日本人だもん。演歌は必須じゃ。学校で「日本舞踊、和楽器、演歌」を必須授業にするって、ど?「ダンス」なんかよりも、ず~っと「外国人受け?」がイイと思うぜよ。ホホホ^^しかも、「和装」という、今の日本人がほとんど忘れてしまっている「着物」を正式に着るという、ボクもできないことを学校で、もちろん無償でやるのじゃ!ど?いや??でも~これって、もし外国なんかに行ったらそりゃ~「モテモテ」じゃね。(^^;日本人の株がすんごく上がるぜよ。^^第二次大戦で「連合軍」に負けて、米国の支配下に置かれ、「ジャニー」はじめ「音楽」、「映画」、「スポーツ」等の「日本人骨抜き作戦?」で「ガタガタ?」にされた「日本国家」じゃ。米国発の文化に浸食された「ジャパン」じゃね。しかも「日本人になった帰化人?」達が放送分野や経済/政治分野で、まるで「日本人」のようにふるまい、多くを支配してきたと、ボクは思っているのじゃ。それも、もう終焉を迎えようとしている。でも、ボクらが「目覚め」、「これから日本」をどうしていきたいのか?!を「自分たちで決定」しないといけないのじゃ。もう「米国」は「同盟国?」ではナイぜよ。「戦争」に巻き込まれてしまう「ヤベ~国家?」なのじゃ。あれ?「演歌」じゃったのに・・・「ゴミン」ね~♪つい、熱くなっちゃう~では、「演歌」のご紹介で、最初は、これって「イチロー」も大好きなので、はずせないぜよ。「石川さゆり」の「天城超え」じゃね~。オッサンたちがよってたかって作った名作じゃ。俳優の「高橋英樹一家」もご推薦の歌。歌詞もイイね~♪こわ~i will recommend you this song
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良い子。

私は、どこへ行っても「良い子にしてるね」と褒められるような子だった。「そんなこともないんですよ!」と嬉しそうに(謙遜する)母を見て、喜んでいる、もっと良い子にしよう!と、正解ではなさそうな方向に全力で進んできたような人生だった。だけど、見ないふりをしていただけで腹の中は誰よりドス黒かった。誰にでも裏と面があるのは後から知った。私は、私だけがこんなにチグハグなんだとつい最近まで、本気で信じていた。良い子でありたい私は、むくむく湧き上がるドス黒い方の自分を腹ん中で常に倒そうとした。そっちの自分が認められなくて、無視したし、貶したし、打ち倒そうとしていた。歳を取るほどに、私の裏と面は本気で仲違いして、「認められない、許せない」という感情はとうとう外に出て行ってしまった。本当に手に負えなかった。”白か黒、正義か悪か”に異常に拘った。ジャッジが常に沸き起こった。不出来な自分を許せないのに、次の瞬間には他人を酷くジャッジして、とにかく偉ぶった。時間が経つと、その時の自分が恥ずかしくなって今度は消えたくなった。情緒の安定させ方は知らなかった。母のそれ、だったから。母も感情の扱い方をよく分かっていない人だったから。今なら理解できる。母もずっとこんな風に苦しかったんだろうな、と。私が一番の理解者になってあげたかったし、そのためにずっと頑張ってきてACにまでなったんだよ?今でも一番に救ってあげたい人。みつは
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セルフラブ

長女(現在5歳)は少し前まで、小さなトラブルやハプニングの度どこまでも深く落ち込んで、なかなか自分で立ち直ってこられない子だった。赤ちゃんから通っている保育園でも、進級して先生が変わることで不安定になり、慣れるのに3か月位は毎年、泣いていた。私自身も、高校のクラス替えでさえ泣いていた人間なので(謎)同じように環境の変化に弱いタイプなのか。と思っていた。親子だから似てるんだ、そう捉えて大して気にしなかった。3歳のある日、先生とお迎えに話をしているととうとうこんなふうに言われてしまった。「このままだと〇〇ちゃん、自己肯定感の低い子になっちゃうような気がしてて・・。どうしたらあなたのままで頑張らなくて良いんだよ、って伝えられるのか。担任みんなで共有して色々試してます!」長女は遠くの砂場で無邪気に遊んでいた。可愛く笑う、本当は明るい性格の子だと分かっていた。それなのに感情のブレ方が子どもらしくないと、本当は気が付いていた。なぜそれを人に言われるまで直視しなかったのかと、夕方の園庭で半泣きになった。言いづらいだろう事をタイミングを待って優しく伝えてくれた、毎日、娘の感情の動きまで見守ってくれていた先生達の気持ち、保育園の先生のことを大好きな娘。母親としてここに立つ自分が恥ずかしかった。娘に、「迎えにきたよ」というのが恥ずかしかった。仕事や家事の忙しさのせいにしてもっと言えば、(気づいてはいなかったけれど)自分自身や過去に向き合うことが怖くて、娘と真っ直ぐ向き合うことを避けてきた。自分の命より大事なものが出来たと喜んでいたはずなのに、娘の中に自分を見ていたのか、時々なぜか苦しかった。子ども
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ママの話。

私の母は”完璧なママ”365日、毎朝、家族の誰より早起きし、お弁当を作り、家族分の朝食を準備。家族を起こし、朝食を食べさせ後片付けし・・・(書き連ねることに絶望した(笑)私が大学生になっても、ママは完璧なママのまま。友人が家に泊まりにくれば、デザートまで載った朝食プレートを人数分用意してくれたし、お店を出せるのでは?というほど得意なスイーツを作っては、ラッピングして友人に配るように持たせてくれたりもした。容姿も整っていて、髪型もファッションもちょっぴり個性的で、小さい背と童顔も相まってとても可愛いママ。毎日小綺麗にメイクもしていて、ママ可愛いね~と褒められるのがいつも嬉しかった。外では事務の仕事を任されている以上の責任感を持ってしっかりこなし、家では認知症の祖母(ママの実母)の世話もしていた。(飼い犬のチワワの世話もか・・・)進行した認知症の人が住む家をきれいに保つことはとても大変。それでも家の中が排泄物だらけゴミだらけになる事はなかったし、祖母も綺麗にされていた。ママは、人にも厳しかったけど、誰より自分自身をいつも律していたし、そうでないと気持ち悪いと思っている人だった。ひどい月経痛や偏頭痛、貧血持ちで体が強くないのに、具合が悪くても家事をサボらない人だった。誰も手伝おうとしない訳ではない。休めば?ともちろん声も掛けていた。だけどどんな時も、自分のルーチン通りにしなければ気が済まない人なだけだった。子としては、大変そうだな・・と思うのと同時に、私は母のことがあまり理解できなかった。甘えのない母のことがあまり人に見えなかった。大事に大事に育てられてきた自覚があるけど、私はAC(
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私の成育歴⑥:忍耐の母娘

私は自分のことを「忍耐の人」だと思っている。それは、母がずっと「忍耐の人」で そんな母の姿を見て 育ってきた影響は大きいのかもしれない。 決して逃げ出さず、 耐える母の強さはすごいと思いつつ、 なぜ、そこまで耐え 逃げ出さないのか疑問だったけれど 現在の私は、 昔の私が母に対して思ったように 周囲から同じように思われているだろう。私の中で、離婚した後に力強く 自分の人生を充実させて生活する 女性モデルが近くにいなくて、 離婚後の生活をポジティブに イメージできていないところがあると思う。 (残念ながら、現実的な問題過ぎて いつもの空想癖が発揮されていない💦) むしろ、これから私自身が 離婚後に充実した生活を送る女性の モデルになっていければいいのだ!🌈✨と思っているけれど。 いろいろあったけれど、母は父とは離婚しなかった。 その選択はそれで良かったんだと思う。 私は母の姿を通して 「人は我慢・忍耐すれば いずれは穏やかな時がくる」 ということを学んでいるのかもしれない🤦‍♀️ただ、ここで、母と私の大きな違いは、 なんだかんだ言っても 母は父のことが とても好きなのである。 そもそも母に実際に 離婚する気なんて全くなかったし。 私は我慢したところで 夫と穏やかな時が来ることはないだろう。 それは私が望んでいる事ではないし。 好きな人と結婚した母と 「いい人と結婚すれば、幸せで穏やかな生活が送れるだろう」と 計算・打算が強く働いた上で 結婚を決断した私。 これは、大きな大きな違いである😭その違いは、結婚当初は見えていないけれど 人生の後半になるについて どんどん大きくなってくる違い
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いくつになっても娘は心配

ご訪問いただきましてありがとうございます。こんばんは、Momomiです。いつまでも母は母なのだと感心した職場の先輩から聞いたお話です。90代のお母さまが、70代の娘の帰りが遅いからと心配でいてもたってもいられず、暗い夜道を駅まで見に行かれお迎えにきてくれたお母さまを「危ないでしょ!」と叱りながら心配してくれる母がいることに心の中で感謝して、思わず叱りつけてしまった自分を反省しながら家に帰ったそうです。照れくさいのと叱った手前、愛そうのない「ありがとね」の一言に、お母さまは「どういたしまして」と  無理して言ってるでしょと言わんばかりに「ニヤリ」と笑ってたそうです。お母さまも嬉しかったのでしょうね。お互いに照れくさくて抵抗があるかもしれませんが、時々は感謝を言葉にすることも良いかもしれませんよ。母親というのは凄いんだなと思います。自分の年齢や娘の年齢なんておかまいなしで、心配だからと夜道を迎えに行くのです。そんな親子ですが、実は昔からあまり仲が良い方ではなく、いつも反発していたそうです。長い長い時間がかかったけど、今は一番良い関係かもしれないと話してくれました。ただ、世の中にはそんな親子関係ばかりではありませんので、一概には言えません。ひどいニュースを見る度に心が痛みます。親子だから慈しみあえるかというとそうもいかない場合もあります。親子関係は一生続きますから、もしも辛い思いをなさっている時は専門科の方に相談するなどしてみられるのもひとつの方法です。関係修復も大事ですが、どうか自分を一番に考えて傷つかないように守っていただけたらと思います。お読みいただきありがとうございます。今日
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