セルフラブ

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コラム
長女(現在5歳)は少し前まで、小さなトラブルやハプニングの度どこまでも深く落ち込んで、なかなか自分で立ち直ってこられない子だった。
赤ちゃんから通っている保育園でも、進級して先生が変わることで不安定になり、慣れるのに3か月位は毎年、泣いていた。

私自身も、高校のクラス替えでさえ泣いていた人間なので(謎)
同じように環境の変化に弱いタイプなのか。と思っていた。
親子だから似てるんだ、そう捉えて大して気にしなかった。

3歳のある日、先生とお迎えに話をしていると
とうとうこんなふうに言われてしまった。

「このままだと〇〇ちゃん、自己肯定感の低い子になっちゃうような気がしてて・・。どうしたらあなたのままで頑張らなくて良いんだよ、って伝えられるのか。担任みんなで共有して色々試してます!」

長女は遠くの砂場で無邪気に遊んでいた。
可愛く笑う、本当は明るい性格の子だと分かっていた。
それなのに感情のブレ方が子どもらしくないと、本当は気が付いていた。
なぜそれを人に言われるまで直視しなかったのかと、
夕方の園庭で半泣きになった。

言いづらいだろう事をタイミングを待って優しく伝えてくれた、
毎日、娘の感情の動きまで見守ってくれていた先生達の気持ち、
保育園の先生のことを大好きな娘。

母親としてここに立つ自分が恥ずかしかった。
娘に、「迎えにきたよ」というのが恥ずかしかった。
仕事や家事の忙しさのせいにして
もっと言えば、(気づいてはいなかったけれど)
自分自身や過去に向き合うことが怖くて、娘と真っ直ぐ向き合うことを避けてきた。

自分の命より大事なものが出来たと喜んでいたはずなのに、
娘の中に自分を見ていたのか、時々なぜか苦しかった。
子どもをあやすのは得意なのに
自分の子どもとはどこかぎこちない間柄だった。
「母親は子ども無条件に愛されている」という言葉は
私にだけは適応されないのだと認識していた。

なんとそれは
私が娘を、避けていたからだったのだ。

もう3年も過ぎてしまったことを一瞬でとてつもなく後悔した。
もう戻れない愛しい時間を思って、とてつもなく悲しくなった。
いつもの帰り道が、覚束なかった。
それなのにもうやらなければならない事が、頭の中を占めていた。

「自己肯定感低い 子供」

Googleに打ち込んだこの瞬間から、
私と自己肯定感と娘は
手を繋いで前へ進み始めた。



子どもは親に似ている。
親の在り方を子どもは真似ている。
良いところも、悪いところも。
それならば私は、あなたを心から愛したい。
良いところも、悪いところも認めて、愛したい。

そのためにはまずは、
自分で自分を愛したい。
良いところも、悪いところも認めて、愛したい。

そして、似ても、真似ていても、
あなたにはそのままのあなたでいて欲しい。



大好きな娘へ
みつは

















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