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『人の価値って・・○○ができるからあるの?』私が手放した『条件付き』の生き方

こんにちは、てんせつです。今日もお仕事や家事の合間に、お立ち寄りいただきありがとうございます。日常のなかで、誰かの姿を見て、こんなふうに思うことはありませんか?「あの人は仕事がテキパキできて、本当に尊敬するな」「〇〇さんはいつも周りに気が使えて、素晴らしい人だな」誰かの素敵なところを見つけて「すごいな」と敬意を持てるのは、あなたの心がそれだけピュアで、美しいからに他なりません。けれど、そうやって誰かを眩しく見上げるたびに、ふと影のように、「それに比べて、私は何もできなくてダメだな……」と、切ないため息を漏らしてしまう瞬間はありませんか?そんな時、私はひとつの「疑問」が湧き出てくるのです。もしも、あなたが今『あの人は〇〇ができるから尊敬する』と思っている、その「〇〇」が、ある日突然なくなってしまったとしたら……。あなたはその人のことを、変わらずに尊敬できますか?それとも、「〇〇」がなくなったら、もう尊敬できなくなってしまうでしょうか?ここの違いは、実はものすごく大きいのです。もし、『〇〇ができるから尊敬する』のだとしたら、それは『条件付きの尊敬』になります。条件を満たしている間だけ、価値がある存在だとみなしているのですね。心理の視点からその裏側を少しだけ紐解くと、そのお腹の底には、相手を(無条件には)尊敬していない、という上下関係が隠れています。無意識のうちに、相手を自分より「上」か「下」かでジャッジしてしまっている状態です。それはどういうことかと言うと、自分が無意識のうちに心にギュッと抑え込んでいる思いを、目の前の相手に『投影』していることになります。あなたが誰かに敬意を持って
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♯003 自分の価値って?

人の価値っていうのはどこにあるのかなと考えることがあるのですが、以前、自分自身に価値があると思えないという方がいて、その方は自分の時間を仕事に費やすことで、職場の皆さんの助けになったり、感謝されたり、役に立つことで、自分の価値を感じられるとお話されていました。それを聞いたときに、それで頑張れるのであればいいのかな、といふうにその時は思ったのですが、ただ、思い返してみて、それは違うのではないかと思うようになりました。頑張るのはいいと思うのですが、自分の価値がそこにあるとしてしまうと、じゃあ働けなくなる状況(病気や怪我、事故に遭遇など)が訪れる可能性もありますし、そうなったときに、その方の価値が無くなってしまうのかというと、そんなことはないわけで、その方の存在自身に価値があるわけで、その方といろんな時間を共有して、会話と楽しんだりとか、一緒に過ごすことで楽しい時間をすごしたり、存在するだけで価値があると思います。そのなぜ自分自身に価値がないと思っているのかは分からないのですが、自分の価値を創造していくこと、作り出していくことをしていくと、きりがないですし、そこに注力することで、時間が費やされて、自分がやりたいことだったり、趣味もそうですが、会いたい人に会うとか、時間をかけて何かをする、時間をかけないとできないことというのが、できなくなることもあるのではと思います。なかなか自分がこうしたい、仕事をすることで人の助けになることで、喜ばれることが自分にとっても嬉しいこと、となると、なかなかそれを手放すことは難しいと思いますが、会社もいつ無くなるかも分かりませんし、そうなると、残るものが何
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数字に振り回される時代に、“わたし”を取り戻す方法

スマートフォンを開けば、SNSのタイムラインにはキラキラとした日常や、たくさんの「いいね」が並びます。インフルエンサーや有名人、フォロワー数の多い人の投稿が目に留まるたび、「自分は何も特別じゃない」と感じたことはありませんか?でも、本当に人の価値は「いいね」やフォロワー数で決まるのでしょうか?答えは、はっきり言って「NO」です。❇️数字は一面でしかないSNSは便利で楽しいツールです。遠くの友達とつながったり、自分の考えを発信したり、新しい情報を得たりもできます。しかし、そこに表示される「数字」は、人の価値を表すものではありません。たとえば、フォロワーが1万人いるからといって、その人が必ずしも誠実だったり、優しかったり、思いやりにあふれているとは限りません。逆に、フォロワーが数人しかいなくても、その人が誰かの人生を変えるような優しさを持っているかもしれません。数字は、あくまでも「注目度」や「拡散力」を示す指標の一つにすぎません。それがすべてではないし、本質でもありません。❇️見えない価値に目を向けようSNSに投稿される内容は、基本的に「見せたい自分」「他人によく見られたい自分」が投影されています。実際のその人の人生や人柄、苦労や葛藤までは見えません。いいねが多い投稿=素晴らしい人生、というわけではないのです。私たちの価値は、もっと静かで、深い場所に宿っています。それは、人に対する優しさや、誰かを思いやる気持ち、困っている人に手を差し伸べる勇気、夢に向かって努力する姿。そういうものは数字では表せません。あなたが毎日頑張っていること、誰にも見せない涙、何気ないけど丁寧に行った小さな親
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♯002 人間ってろくでもない?

チャットで相談を受けていて、その方が苦しめられている状況をお聞きしたりするのですが、聞けば聞くほど本当に「人間ってろくでもないな」と思います。それは、私はそうじゃないっていうことではなく、おそらく人間ってもともとろくでもないものなのだろうなと思います。ろくでもないから、法律があり、ルールや決め事があり、みんなで守りましょうということになっていて、守らなかったら罰則があり、そういう縛りがないといけないのかなと思います。 じゃあ、ろくでもないとして、そんな存在に何の意味があるのかという話なのですが、いろんな方と話をしていて一番印象に残っているのは「どうして、あなたは他人のためにこんなに一生懸命になれるのですか?」と言われたことです。僕が心がけているのは、話をする方ときちんと向き合って話をすることで、話を受け止めて(すべてを受け止めきれるわけではないですが)、自分の言葉でその方に返していき、やりとりを進めていくことです。それしかやってないといえばその通りなのですが、ただ、相手からそんな言葉が出てくるのは、その姿勢が相手に伝わったのかなと思いますし、同時にその方に向き合ってくれる方が周りにいらっしゃらない状況なのかなと感じました。実際に話している中で、親や先生はわかってくれないという話がありました。また、同じような状況という方はかなりいらっしゃるのではと思いますし、そういう意味で、チャットでのやり取りになってしまいますが、そうやってちゃんと向き合ってくれる人、人間がいると言うことを感じてもらえるのであれば、意味のあることだと思いますし、全く見ず知らずの初対面だったりするとしても(チャッ
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50歳を迎えるにあたり、生について思うこと

今、これからどう生きるのかと考えたときに、大きな不安はない状態かなと思っています。これまで50年近く生きてきて、本当にいろんな大変なことや自分ではどうにもならないことがあったり、双極性障害を20歳から持っているので、うつ状態はもう完全に死にたいモード、僕の場合は死にたいより、消えてなくなりたいという感じで、毎日寝るときに「明日起きたら世界が終わってますように」と祈りながら寝て、朝「またどうしようもない一日が始まるな」と思って起きるを繰り返していました。45歳で初めて医療にかかって、いろいろ薬を試して、1年前ぐらいから死にたいくらいに落ち込んだり、逆に気持ちが高ぶって天井を突き抜けて、自分最強、無敵感から過活動になる、ということも薬で抑えられるようになり、いいバランスで過ごせるようになってきたところです。そう状態の時は体の内側から突き動かされるような衝動があって、だからそれを発散しないと苦くてしょうがないので、とにかく言葉を発して動きまわっていて、それを続けているともう脳が持たなくなって、こと切れて、死に体になるを繰り返していました。そう言ったいろんなことを繰り返してどうにかこうにか50歳近くまで来ました。じゃあ例えば70歳まで生きたとして、あと20年生きることになりますが、そうすると50年の半分以下ですよね。だったら、そのぐらいだったら、これまで50年何とかなったのだから、多分これからの20年もおそらく何とかなるんだろうなという、特に何か保障があるわけでも何でもないのですが、なんとかなるだろうなという心持ちでいます。で、何とかなるのだとしたら、不安になる必要もないし、過去を振り
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与えたもので測られる

人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。アルベルト・アインシュタインお金、学歴、資格、人脈などが多ければ、自分の価値を高めることができると思うかもしれません。でも、実際には人は、あなたが人にどう接したかで、あなたがどういう人であるか決めています。(表面上は、お金や肩書きによって態度を変えたとしても。)何を与え、何を分かち合ったか。笑顔を与え、希望を分かち合ったか。私のちょっと不思議なスキルを公表することで、マイノリティの孤独感が和らいだら、嬉しいなぁ私のスキル、もっている情報を提供することで、つながる縁があると嬉しいなぁ
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人であるために創るのかも

創ることが自己充足につながる理由創ることは、自己充足のための極めて重要な行為だと思います。お金や地位など、外部から得られるものは確かに便利な道具です。でも、それだけでは得られない「内的な満足感」を創作は与えてくれます。たとえ大金を手に入れたとしても、心の中にぽっかりと空いた穴が埋まらないことがありますよね。それは、「自分が本当にやりたいこと」を実行していないからかもしれません。創ることの本質は、何かを生み出すことそのものではなく、「自分の中にあるものを外に形として表すこと」。これが人間らしさを感じさせ、生きる喜びを与えてくれるのです。誰もが創る力を持っている「自分には創るなんて無理だ」と思う人もいるかもしれませんが、それは誤解だと思います。創作には、有形無形を問わず多くの形があります。有形のものなら絵や文章、料理、建築などがわかりやすいでしょう。一方で、無形のものも立派な創作です。例えば、人と人とをつなぐ場をつくること、企画を考えること、あるいはちょっとした会話で相手の気持ちを和らげること。それらも「創る」とカウントできます。これは僕が得意っぽいことですけど、まあそうでなくてもいいわけで。不器用でもいいんですよ。創る比較とかとんでもないわけで。最初から完璧なアイデアが出てこないのは当然です。それでも「こうしたらいいんじゃないか」と少しでも工夫を試してみることが大切です。もし自分の中から何も出てこないと感じるなら、いったん今抱えているプレッシャーを手放したり、「とにかくやってみる」スタンスに切り替えたりすると、驚くほど自然にアイデアが湧いてきます。創作のスタートは、小さな挑戦から
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【人の価値って・・○○ができるからあるの?】

今回もお立ち寄りいただきありがとうございます。最適ライフをサポートする☆てんせつです。https://coconala.com/users/4703237今朝は何に感謝できましたか?また、どんな気づきがありましたか?✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧⋄⋆⋅⋆⋄✧よく、『あの人は○○ができてすごく尊敬する』とか、『○○な人だから尊敬する』という話を聴きます。そういう時に、私は疑問が出てきます。もし、こうした『○○』が無かったとしたら、その方に対する見方ってどうなるんでしょう・・?『○○』が無いと尊敬できないのか? それとも『○○』が無くても尊敬できるのか・・?そこの違いはとても大きいです。もし、『○○』が無いと尊敬できないのは条件付きになります。条件を満たした時に尊敬できる存在であるということです。これが何を意味してるのかというと、ベースに相手を尊敬していないということが隠れています。つまり、上下関係も無意識レベルでも意識レベルでもあるということです。それは、どういうことかというと、自分の無意識レベルでも意識レベルでも抑え込んでいる思いを相手に『投影』していることになります。自分が目の前の人に対して敬意を持っている時に、それがどんな思いから敬意が出てきているのか?チェックしてみると、自分への大きな気づきが得られるかもしれません。私も以前はそうでした。自分ができないことや苦手なことを目の前の人ができていると『すごいなぁ~、素晴らしいなぁ~』っていう思いが浮かんできます。そこにもし、この人が『○○』ができなかったら自分はどう思うか? やってみたら、出てきたのは『自分自身への無条件
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♯005 やらなかったことの成果とは?

僕の好きな言葉に「やったこともやらなかったことも、いずれすべて自分に返ってくる」というものがあります。 どういう点がいいなと思うかと言うと、やったことに対する成果は、みんな素直に受け取る、お金と時間をかけて苦労したことに対する成果は喜んで受け取ると思うが、やらなかったことに関する成果もあって、それもちゃんと受け止めなければいけないと思います。 例えば、子どもがいて子育てをするという時に、夫が働きを続けて、妻が育休を取るなりしてお子さんの面倒を見る、復帰後も学校の行事などは妻が対応して、夫は仕事を優先する、というパターンはあると思います。そうなったときに、子どもからしてみれば、一緒にいる時間や会話をする時間が長い母親の方に関心が行き、父親への関心が薄れていくことになるのは当然の流れかと思います。夫は自分は仕事を頑張って、子供の面倒は妻にしてもらうという選択をし、結果、子どもの関心が薄れて、子どもとの会話の仕方が分からない、接し方が分からないと悩まれることもあると思いますが、それは、その方が選択した結果のある意味「成果」であり、その成果は真摯に受け止めないといけないと思います。 企業でも同じようなことが言えて、組織体制を強化する、というのが存続していくうえで大事になりますが、それに注力しすぎると事業自体が疎かになって業績が保てないとなった時に、事業に注力するとします。そのおかげである程度成果が上がったで喜ぶのはいいですが、逆に、組織の強化というところはひとまず置いておくという選択をし、その結果、組織内の意思疎通や社員の意識やモチベーションは低下した、となった場合、そういう選択をした
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♯004 生きていく阻害要因って?

いろんな方の話を聞いていると、生きづらさを抱えている人が結構いらっしゃって、根本に何があるのかと考えると、それは自己肯定感の低さからきていることが多いように感じます。 あなたが生きていくことを素直に受け取れないとしたら、それを邪魔する存在があるのではないかと思うのですが、それは生まれてからこれまでの環境(親や学校からの教え、世間体、人間関係など)から累々と育まれた可能性が高く、あなたに常識として備わってしまっているもので、自分の力だけで投げ捨てていくのは難しいことだと思います。それを剥がしていくには一石一丁にはいきませんが、この世の中には、その方法を伝えてくれているものがあります。1つの歌にしてもそうですし、本やマンガ、映画・ドラマ・お笑いなど、作りて側がどうやったら相手に自分の想いが伝わるかを懸命に人生をかけて考え抜かれたものがそこにあって、それに触れ続けることで培われてくるものがあると思います。それまでの状況や何に苦しみを覚えているかは人それぞれなので、万能なものはありませんが、歌のフレーズ、ドラマのセリフなどの中にあるいろんな方の思いに触れる中で、自分の置かれている状況にそれに対して、訴えてくるものを感じたり、分かってくれる方がこの世の中にはあるんだということに触れると、ちょっと気持ちが変わったりする。前向きに生きてもいいかなというものが出てくることがあるのかなと思います。だから目の前の現実がすぐに変わるわけではないのですが、そういったものを浴び続けることで、生きてていくことを少しず前向きに捉えられるようになることもあるのではないかと思っています。50年近く生きてきたこと
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AIが作り、人が見ることでレビューの価値が再び高まる?

AIが生み出し、AIがまとめる時代へAIの進化によって、プロダクトやサービスの生成速度は飛躍的に向上する。すると、それらを目にする機会も増え、意識せずともAIが作ったものに触れることになる。だがここでいえるのは、人が一日に認識できる情報量には限界があり、すべてを把握するのは不可能だ。求められるのは、要約やダイジェスト、レコメンドの役割を果たす新たなAIだろう。結果として、「人がつくる→AIが作る→AIがまとめる→人が見る」という流れが確立し、AIが情報の中間業者のような立ち位置になる。(この流れは別に逆でもいい)しかし、AIがまとめた情報はブラックボックス化しやすく、その内容がどれほど人間の感覚に合致しているかは疑問が残る。AIはデータをもとに最適解を導き出すが、人間の感情や直感を完全に再現することは難しい。なぜなら、最終的に社会を作るのはAIではなく人間だからだ。AIによる情報整理が進むほど、人の目による価値が高まるこのようにAIが情報の中継役を果たす時代において、人の「見る」という行為そのものが価値を持つようになる。特に、機械的な要約ではなく、実際に使った人の視点からのレビューや意見が重要視される。とはいえ、単なる代行レビューの価値は低い。むしろ、「この人に合ったサービスはこれだ」と的確に選び抜く能力こそが、AIが整理した情報の中で輝くポイントになる。単なる情報の羅列ではなく、個々のニーズに即した提案ができることが、本質的な価値として浮上する。つまり、「AIがまとめる→人が見やすくする」という部分は合理性の観点ではAIの方が優れている。しかし、「人の目を通した評価」には依然
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