絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

31 件中 1 - 31 件表示
カバー画像

【音声トーク】人は誰でも魔法使い◆霊的世界こそがメイン◆人生は自由にデザインできる

人は誰しも、魔法使いです。 つまり、どんなことだってできるのです。 それが本質であり、真理です。 でも、ほとんどの人は、 それを忘れてしまっています。 心の奥底では、みんなわかっているのに、 それを忘れてしまっているのです。 「わかっている」――というのは・・・ ・霊的な世界ことがメインである ということをわかっている、 ということです。 つまり、現実世界(物理空間)は、 あくまで「サブ」であり、 あくまでメインなのは、 「霊的世界である」ということを、 実はみんな知っているのです。 それは、 日常のあらゆる場面を 思い出してみればわかります。 空想の話や、夢の話、 昔の思い出話など・・・ 普通に、日常会話でしますよね? このことが、 「霊的世界こそがメインである」 ということを、 みんな心の奥底では知っていることの、 何よりの証拠なのです。 それをはっきりと思い出し、 人生を自由にデザインしましょう。 なぜなら、 霊的な世界では、 全てが可能なのですから・・・ ★ ~ 自己啓発 スピリチュアル 精神世界 人生論 非二元 言霊 コーチング ~
0
カバー画像

開運や成功のためには、目の前の人に親切にする

わたしのところには、スピリチュアルに成長したい、霊的な力を目覚めさせたい、という方が多くいらっしゃいます!そういう方に、アドバイスはたくさんあるのですが、このブログでも紹介していこうと思います!  *目の前に現れる人と、現れない人っていますよね?圧倒的に、目の前に現れない方のほうが多いです。そう考えたら、お会いできる方って、なんて貴重なのだろう?と思いませんか?なぜ、人との出会いが起こるのでしょうか?不思議に思ったことはないでしょうか?人との出会いには、良きカルマ的なものが関連しており、守護天使が関与しているからこそ、出会えるのです。ですから、出会える人は、天使の采配で出会えているとも言えます。ということは、その出会いを大切にしない手はないですよね!!  *わたしは昨日、韓国人のご家族を、車でお買い物に連れてゆきました。子どものクラスに短期留学で来ている韓国人のご家族が、「車がなくて、どなたか買い物に連れて行ってくださいませんか?」というお願いに答えたのです。そのお願いが、クラス全体に回ってきたときの、わたしの第一印象は、『うーん、ちょっと無理すればできるけれど、ちょびっと大変だなぁ』でしたw。素直に考えれば、すぐ、やらない理由が見つかってしまいます。でも、出会いって、本当に代えがたいもの。そのお申し出に乗ってみることにしました!  *そしたら、思わぬつながりもあって、すごく良い買い物タイムが過ごせたのです。未来にもつながる出会いとなりました。要は、とても楽しかったのです!!そして、色々と韓国のことが知れて、なるほど〜!と思いました。やはり、現地の方の生のお話は、説得力がありま
0
カバー画像

スピリチュアルを学ぶ意味

前のコラムで、物理法則がある現実世界もまんざらでもないと書きました。物理法則があるこの世は貴重です。 この世で生きるチャンスを与えられたことは感謝すべきと思います。 しかし、霊的な力をすべて放棄して、 この世の苦しいこと、いやなことも甘受して生きなければならないのでしょうか? それは、ちがうと思います。 現在では、パラレルワールドの理論がある程度現実味を帯びており、 自分の望む世界を引き寄せられると信じられています。 これは、現実世界の中でも与えられている力です。 ピリチュアルの力を開花して、自分望む生き方を生きてよいのではないでしょうか。今は、ちょうど風の時代と言われたり、アセンションなど叫ばれいてる時代です。逆に、この力を縦横無尽に使って、自分の好きな人生を送りないさいと 高次の存在が、言っているような気がします。
0
カバー画像

【永生の観点からの目指すことがない苦痛】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊的世界は永遠の世界であり 永遠というのは終わりがないことをいいます。 終わりがない世界で 目指すことがないというのは より大きな苦痛を感じるのです。 私たちに目指すことが必要なのは 単に、この世だけでの期間に 限ったことではなく 霊的世界に 連結されて行くからなのです。 この世の努力というのは 霊的世界に連結されるので 永遠に無駄になることはありません。 この世の歩みというのは 限られた期間なので 霊的世界のための 準備の期間なのです。 その準備の期間に 目指すことを決めれる力 目指すことができる力を 身につけておかないと 霊的世界に行ってから 苦痛を感じてしまうのです。 その苦痛が一時的ではなく 終わりがなく続いていくので より苦痛さを感じます。 目標設定というのは 目指すことを 決めることであり 目指すことを決めることで 集中することができ 投入することができます。 ただ、今まで目標設定を 考えてこなかった人は 非常に面倒に感じるのです。 何も目指してこなかったので 何を目指したらいいのかが 分からなくなっています。 目標設定をするには 目指す目的が必要なのですが 目的というのは 漠然とした大きなことであり 目標というのは 具体的に達成したいことをいいます。 まず、目指す目的を 決めるのですが より大きな視野と 高い視点からの 目的を決めることで 目指す方向を 定めることができます。 より大きなことを 目指していくので 漠然としているのです。 漠然としているので 目指していることに プレッシャーを感じないのです。 それこそ 地球規模、宇宙
0
カバー画像

【永生教育時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 永生というのは 「永遠に生きる」 ということであり 永遠というのは 終わりがないということです。 この世の生の期間には 限りがありますが 霊的世界は永遠なのです。 実際、永遠に生きるというのは ピンと来ない面もありますが 永遠の観点からの 教育を求めていくことで 人生の目的が悟れるのです。 これからより 形が無い境地、見えない境地 感じる境地が求められてきます。 そして、霊的世界に 関心を持つようになり この世の生の期間が 霊的世界のための 準備期間であることが 悟れるようになります。 なので、永生教育が 必要になるのです。 そして、心霊基準を 上げていく歩みの 教育が求められてきます。 永生教育といっても 現実的に、この世で 教育していくということです。 永生教育は 霊的世界を信じる 信じないという 次元を越えて 霊的世界があるという 前提での教育になるのです。 信じるというより 知っていく次元になるので この世での歩みに 最善が尽くせるのです。 永遠の観点から見なければ この世でどんなに成功しても 全て消えてなくなるということです。 全て消えてしまうことに 投入しようとしても 何となく空しさを 感じてしまうのです。 霊的世界は この世の延長線上にあり この世で経験したこと 体験したことが 反映されていくのです。 なので、私たちの努力は 永遠に消えることはありません。 努力をすればするほど 経験、体験が積めるので 永遠の資産が積めるのです。 霊的世界に持っていけるのは 経験、体験の資産だけなのです。 どんなにこの世で 資産を残したとしても 1
0
カバー画像

【スピリチュアルの視点からの歩み】

日常的スピリチュアル、安田です。 スピリチュアルの視点から見ることで 様々な視点から見ることができ 主体的に、能動的に歩むことができます。 視点を上げていくことで 大きな視点で把握することができ 気づきや悟りを得ることができるのです。 現実的には 目の前のことしか 見えないのですが 意識的、意図的に 視点を上げることで 見えない境地の 把握ができるのです。 今の時代は 視点を変えることが 求められています。 今までの延長線上の 視点ではなく より高い視点から 見ていくことが 求められているのです。 スピリチュアルの視点というのは 全てが含まれている視点なので 限りなく視野を広げることができ その中で、自分の使命を 悟ることができるのです。 使命を悟ることで 主体的、能動的に 歩むことができます。 使命というのは 全体目的の中から 与えられることなのです。 全体目的が分からなければ 使命を悟ることはできないのです。 いずれ、全体目的は 明確になっていくのですが 全体目的とは、本来の基準であり 究極の理想なのです。 時代の流れが どこに向かっているのかを 明確に知ることで 全体目的が悟れるのです。 スピリチュアルの時代というのは ごく最近始まったことではなく 人類の最初から始まっていたのです。 人が無知に陥ることで 霊的に鈍感になり スピリチュアルを信じるか 信じないかという次元に なってしまったのです。 霊的世界が全くなければ この世での歩みは 全て無駄になるのです。 霊的世界があるという 前提で歩まなければ 全てが空しいことに なってしまうのです。 使命というのは この世での使
0
カバー画像

【自力と他力の自覚】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんなことを 成していくにも 自力と他力が必要なのです。 自力だけでは どうにもならないし 他力だけでも どうにもならないのです。 自力と他力の両方が 必ず必要なのです。 ただ自力は コントロールができますが 他力はコントロールが できないのです。 私たちが全うできるのは 自力だけであって 他力はどうすることも できないのです。 自力は自分で努力を することなので 分かりやすいのですが 他力というのは 現実的には他の人 周りの人に協力して もらうことをいいます。 その協力して もらえるようになる背後に 霊的な協助があるのです。 私たちがどんなに基準高く歩んでも 現実の目の前のことに 最善を尽くすことしかできません。 時間、空間の制限があるので 大したことはできないのです。 限界まで歩み続けても 現実的には大したことは できないので 霊的な協助が 必要なのです。 霊的な協助がなければ 何事も成されないと言っても 過言ではないのです。 自力よりも ほとんどが他力なのです。 他力によって 導かれなければ どうにもできないのです。 自力の全うは自分次第で どうにでもなるのですが その自力すらできていなければ 他力で導かれるはずがないのです。 霊的な協助は 霊的世界の都合によって 成されていくのですが 一方的には 協助することは できないのです。 もし、一方的に 協助できるのであれば 霊的世界の思い通りに することができるのですが 実際は思い通り 願い通りに 協助することが できていないのです。 なぜなら この世の私たちの努力が 不足しているからです。
0
カバー画像

【悟りとは与えられること】

日常的スピリチュアル、安田です。 悟りの境地というのは 悟りにいくのではなく 与えられることなのです。 「悟り」というと 自分で悟るような 印象がありますが 教えられることであり 与えられることなのです。 もちろん 悟るための努力は 必要なのですが 悟れる時期、タイミングは 人それぞれで違います。 他の人が悟れても 自分が悟れない場合があるし 自分が悟れても 他の人が悟れない場合もあります。 なので 他の人、周りの人とは 比べてはいけないのです。 悟りというのは 自分が悟ることを 目指すのであって 他の人を悟らせるのでは ありません。 他の人が悟るかどうかは 良い意味でどうでもいいのです。 この世で生きている期間に 悟れる人もいれば 悟れない人もいます。 現実は、ほとんどの人は 悟れないで、霊的世界に行くのです。 悟れないで 霊的世界に行っても 時が来れば悟れるように 導かれていきますが いつ時が来るのかは 分からないのです。 この世で悟れる人は この世で悟ってから 霊的世界に行けますが 背景的に悟れない人もいます。 悟りの境地というのは 究極的には本来の基準で 歩めるようになることですが 本来の基準にわずかでも 近づいているのであれば わずかながらでも悟っています。 本来の基準というのは 元々知っていることなので 知っている基準で 歩むことをいいます。 私たちは実感で 教えられるのです。 啓示、直感というと 言葉が天から降ってくるような 印象がありますが 一瞬で感じることが 悟りの境地なのです。 実感を通して 教えられたことは 何年経っても 何十年経っても それこそ、生涯忘れ
0
カバー画像

【時間圏内の中で成長ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは時間 空間の制限の中で 歩んでいるのですが そもそもなぜ時間が あるのでしょうか? 当たり前になっているので 考えもしないことなのですが 時間がある理由 必要な理由があるのです。 時間が必要なのは 時間によって成長が できるからです。 成長というのは 一気にはできないので ある程度の時間が 必要なのです。 霊的世界には 時間がありません。 瞬間と永遠が一致しているので 時間の概念がないのです。 霊的世界に行ってからは 成長ができないのです。 本来の基準は この世で成長して、成熟してから 霊的世界に行くようになっていたのですが その本来の基準で 歩むこと、生きることが できなかったのです。 霊的世界に行ってから 成長するためには この世で生きている人に 協助するしかないのです。 霊的な協助は この世の私たちには ピンと来ないのですが 協助をしたくても コントロールができないので かなり大変なのです。 この世の私たちは 時間の制限はありますが 自分で努力をすることができるので 自分で自分を成長させることができます。 霊的世界に行ってから 成長のことを考えるのでは遅いのです。 完全な成長はできないにしても できる限り成長してから 霊的世界に行けるように 努力をするべきなのです。 時間圏内でしか 成長ができないとなれば 深刻になりますが 現実の歩みというのは 大したことはできません。 大したことは できないのですが 心霊を成長させる歩みは できるのです。 成長というのは 心霊を成長させることを いうのですが 心霊の成長は 基本的な努力である 学
0
カバー画像

【奇跡ではなく、投入することを願う】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代は奇跡を願っても 叶わないのです。 なぜなら、霊的な協助によって 実現していく時代だからです。 霊的な協助というのは 奇跡を起こすのではなく 原理原則の歩みをすることで 協助することができるのです。 原理原則の歩みが 投入する歩みになるのです。 今の時代は テクノロジーが発達しているので 奇跡は必要ないのです。 霊的な協助というのは 導かれていくことであり 導かれることで 歩みやすくなったり 努力しやすくなるのです。 霊的な協助ができるように なるまでは できることに 最善を尽くしながら ひたすら投入するしかないのです。 歩みにくい環境 状況であったとしても 最善を尽くすことで 投入する歩みができます。 過去の時代には 奇跡が起こりました。 テクノロジーが発達していなかったので 霊的な協助によって奇跡を起こすしかない 時代であったのです。 ですが、原理原則は 変わらないので 奇跡が起こったら 何らかの形で代償を 払わないといけないのです。 奇跡というのは 何の条件なくして 起こった場合 霊的な負債ができるので 代償を払うようになります。 なので、奇跡ばかりを願うのは 非常に危険なのです。 奇跡を願う危険性を 悟っている人は少ないのです。 私たちが願うべきことは 奇跡ではなく 投入ができるようになることを 願うということです。 投入する歩みさえ できるようになれば 原理原則の歩みが できているので 奇跡を願う必要はありません。 投入することが できている人は 奇跡を願わないのです。 奇跡を願う人に限って 基本的な努力すら できていないので
0
カバー画像

【自分次元で使命を決めてはいけない】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命というのは 私たちの次元で 決めてはいけないのです。 何が使命であるのかを 悟るのですが 悟るためには 目指すことが 必要なのです。 目指すことというのは 自分次元の基準で とりあえず決めるのですが その決めた基準に 固執してはいけないのです。 本当の基準の 使命というのは 私たちが考えられる 次元ではありません。 考えられること以上の 使命が与えられています。 ただ段階的に 悟っていくには とりあえずの 目指すことが 必要なのです。 目指すことを 決めていくことで 「この次元ではない」 ということを 悟ることができるのです。 使命というのは 天命なのです。 その天命の基準から見たら 自分次元の基準では あまりにも小さいのです。 使命は成長の段階において 悟ることができるので 同じ使命で 留まることはできないのです。 自分次元で目指していることが 達成されていなくても より大きな使命を 悟ったのであれば 悟った使命を 目指してください。 使命というのは 自分次元で目指していることが 達成されているかどうかは どうでもいいのです。 現実の環境 状況がどうであれ 悟った使命を 目指すべきなのです。 天命というのは 自分次元では 考えられないのですが より大きな目的を 目指していくことで 天命を悟ることができるのです。 自分次元に固執してしまうと 天命を悟ることができなくなります。 天命の基準から見たら 全ての人は地球規模 宇宙規模の使命があります。 究極の理想を 実現する使命があるのです。 ですが、現実的には 悟れている人は ごく一部なのです。
0
カバー画像

【見えない境地の可能性】

日常的スピリチュアル、安田です。 見える境地には 制限があるのですが 見えない境地には 制限がありません。 制限が無いというのは 無限の可能性があるということです。 心霊基準が上がることで 見える境地の限界を 感じるようになり 見えない境地を 我知らず求めるようになります。 ただ見えない境地を 漠然と信じるのではなく 論理的に説明することができ 言語化することができれば 見えない境地を 理解することが できるようになります。 霊的な世界を 知ることができ 理解するには 感じている境地の 言語化が必要なのです。 霊的に鈍感でも 何かを感じています。 その感じていることを 言語化することで 感じている境地を基準にして 歩むことができます。 今の時代には 答えがありません。 「これだけをやればいい」という 単純な時代ではないのです。 答えが無いので 答えを見い出せる力が 必要なのです。 感じている境地から 答えを見い出していくことで 時代の波動に合わせることが できるようになります。 波動というのは 見えないのですが 感じることができます。 見えない境地を 感じるというのは 波動を感じることなのです。 時代の変化によって 波動も変化していくのですが 波動の変化は 感じている境地で 把握することができます。 漠然とでもいいので 波動を意識してみてください。 見えない境地は 意識をしていかないと 感じることができないのです。 見える境地は 意識をしなくても そのまま認識できるのですが 見えない境地には 意識が必要なのです。 見えない境地の 意識ができるようになれば 無限の可能性を 感じる
0
カバー画像

【結果は委ねる】

日常的スピリチュアル、安田です。 結果というのは コントロールができないので 委ねるしかないのです。 コントロールができないことを 委ねることができなければ どうにもできない プレッシャーを 感じてしまうのです。 結果というのは 霊的な協助によって 導かれるようになっています。 霊的な協助ができるように 努力することはできますが 努力ができたとしても 結果のコントロールは できないのです。 結果というのは 具体的な実績を 出すだけではなく 導かれた環境も 結果なのです。 環境というのは 良くも悪くも 導かれているのです。 自分で意図的に変えた 環境であっても 導かれなければ 環境を変えることは できないのです。 「人事を尽くして天命を待つ」 というように 待つということが 委ねるということです。 委ねるというのは 自分で結果を決めないで 「どっちでもいい」と 考えることをいいます。 結果が出てもいいし 出なくてもいいという 考えによって 委ねることが できるようになります。 結果を委ねるというのは 自分で勝手に結果を 決めないということです。 結果を決めなければ 結果の上限が撤廃されるのです。 どのような結果が 準備されているのかは 分かりようがないので 自分で勝手に 決めてはいけないのです。 プラス面でも マイナス面でも 結果を決めなければ 上限も、下限も無くなるのです。 上限が無くなるというのは いくらでも可能性があるということです。 下限が無くなるというのは 思った以上にはマイナスには ならないということです。 たとえ想定外のことが 起きたとしても 何とかなっていくのです
0
カバー画像

【代表意識で歩む】

日常的スピリチュアル、安田です。 全ての人は 全ての人と 集合的無意識で 連結されています。 全てに連結されているので ごく小さなことでも 影響を与えることができ 影響を受けてしまうこともあります。 代表意識というのは 「自分は全ての人の代表」 という意識のことをいいます。 大げさな表現ではあるのですが 全てに連結されていることを 感じることができれば 感じたままに歩むことに 違和感が無くなるのです。 私たちが感じる境地には 何らかの影響があります。 直接の影響もあれば 集合的無意識からの 影響もあるのです。 見える影響というのは 分かりやすいのですが 見えない影響というのは 分かりにくいのですが 見えない影響の方が 強いのです。 集合的無意識を 明確に知ることで 代表意識で歩むことが できるようになります。 そして 結果に対しての 捉え方として 代表して結果を 出しているという事実を 知ることができるのです。 結果というのは 自力だけでは 出すことはできません。 現実的な協力によって 結果を出すことができ その背後では 霊的な協助によって 結果を出すことができるのです。 霊的な協助が できるようになるには 一定の条件が必要なのです。 その条件というのは 一人の人だけでは たかが知れているので 多くの人の条件が 集められるのです。 同じように歩んでいても 基準高く歩んでいても 結果が実らないというのは 歩んでいる条件が 他のことに 使われているということです。 というと 損をしているようなのですが 霊的世界の協助によって 導かれることなので どうすることもできないのです。 「2
0
カバー画像

【感じている境地がスピリチュアル】

日常的スピリチュアル、安田です。 スピリチュアルは霊的な境地なので 特別な境地のような印象がありますが 感じている境地が スピリチュアルなのです。 なので 感じている境地を 把握することで スピリチュアルの境地に 至ることができるのです。 霊的に何かが見える 聞こえる、感じるというのは それほど重要なことではありません。 自分が感じている境地を 把握していくことで 霊的な境地に 至ることができるのです。 感じている境地の把握というのは 感じていることを言語化することをいいます。 私たちは、言語化ができないと 把握することができないのです。 言語化していくには 言葉を身につけることが必要なので 学びが必要なのです。 言葉を身につけたかの把握は 情報発信をしていくことで 把握することができます。 感じていることを発信することで 感じている境地の把握ができ 霊力を強化させることもできるのです。 今の時代のスピリチュアルには 霊力の強化が必要なのです。 霊的に振り回されないで 歩むためには 霊力の強化が 必要なのですが 霊力の強化は 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動によって 強化させることができます。 霊力は霊的に鈍感でも 身につけることができます。 霊的に振り回されるのであれば むしろ、霊的に鈍感な方がいいのです。 高い霊的基準で歩むことができれば 霊的に振り回されないで 歩むことができるのですが 霊的基準は 現実の中で 努力を積み重ねて いくしかないのです。 努力を積み重ねることで 成長することができ 霊的な基準を上げることが できるようになります。 霊的な基準というのは 日常の
0
カバー画像

【大変なときは、大きく変わるとき】

日常的スピリチュアル、安田です。 「大変」というのは 文字通り「大きく変わる」 ということなのです。 大変さ、変化は 避けたくなるのですが ありとあらゆるものが 変化していくのは 自然の摂理なのです。 とくに今の時代は 変化が早くて大きいので まともに 変化に合わせることは できないのです。 転換時代というのは 古い時代から新しい時代に 転換していくので 大変な時代なのです。 最も大変なのは 新しいことを 始めることではなく 古いことを 手放すことなのです。 過去の時代では 通用していたことでも 新しい時代では 通用しなくなるのですが 転換ができないと 過去の価値観に 執着してしまうのです。 今の時代の大変さというのは 内的な試練が大きいことなのです。 内的な試練 葛藤が大きいので 大きく転換できるのですが 転換されるまでが苦しいのです。 転換されている時期は 生みの苦しみのような 境地になるので 非常に長く感じるのです。 生みの苦しみの時期は 感じたくない感情を 感じるようになるのですが じっと、耐えるしかありません。 内的な試練というのは 過ぎていくのを 待っているしかないのです。 試練というのは 長く感じますが 長くはありません。 内的な試練の期間は 人それぞれで違いますが 耐えられるだけの期間が 与えられるのです。 ただ、自分では 「これ以上は無理」と 思っていても 霊的世界から見た 基準であるので 自分で自分の限界を 決めることができないのです。 限界を感じる境地は 苦しいので 自分で限界を 決めたいのですが 霊的世界を基準に 限界が決められるのです。 私たちは、自分
0
カバー画像

【転換することで影響を与えることができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 影響を与えるとなると 力んでしまう人がいますが 力んでも影響は与えられないのです。 特に今は 力んでいること テンバッテいることが 分かってしまうのです。 無理に影響を 与えようとしていることが バレてしまうのです。 影響力というのは 見えるようで見えないので 霊的な波動でもあるのです。 霊的な波動が強い人は 静かに影響を与えることが できるようになるのです。 影響というのは 感じさせることをいいます。 理屈での影響というのは 表面的な影響なのです。 表面的な影響では 長くは続かないのです。 深い境地で 影響を与えたいのであれば 転換されることが 必要なのです。 霊的に転換されることで 霊的な影響を与えることが できるようになります。 影響を与えるというのは 心地の良さを与えることでもあります。 誰でも、悪い影響は 受けたくないのです。 なぜなら、悪い影響は 霊的な基準が下がるからです。 建設的な、希望的な 影響を受けたいのですが 現実に受けている影響は 不安と恐怖と絶望を感じる 影響を受けています。 嘘でも、ハッタリでも 無責任でも 建設的な影響を受けることは 誰もが願っているのです。 過去の時代は 不安や恐怖を煽ることで 影響を与えることが できたのですが 今の時代は 希望と可能性からの 影響が求められています。 転換することで プラスの影響を 与えることができるのです。 プラスの影響によって 悟りの境地に至れるように 導くこともできるのです。 今の時代で 最も厄介なのが マイナス的な 影響なのです。 愚痴、泣き言 不平不満、言い訳という
0
カバー画像

【ピンと来ることを学ぶ】

日常的スピリチュアル、安田です。 学ぶことの必要性を 感じていても 何を学んだらいいのかが 分からない人がいます。 私たちは 「これを学びなさい」と 学ぶことを 義務化されてきたので 何を学んだらいいのかが 分からなくなっています。 学ぶべきことは 無数に、無限にあるのですが その中から 選ぶしかないのです。 選ぶ基準は ピンと来ることを 基準にしていくのですが 何にピンと来るのかの 把握が必要なのです。 ピンと来ることを 意識化することで 把握することが できるようになります。 常に気を張る必要はありませんが 何となく必要に感じることを とりあえず学んで見てください。 学び始めることで 必要なことなのかが 分かるようになります。 必要性を感じられないことを いくら学ぼうとしても 学ぶことはできないのです。 簡単に言えば 学びたいことを 学べばいいのです。 学ぶことは 義務、強制することは できないのです。 義務、強制ができないことを させられてきた感があるので 勉強嫌いの人が 多いのです。 本来、学びというのは 最も贅沢なことなのです。 その贅沢なことを 拒否している人が 多いのです。 子どもの頃 学生時期は 仕方がないのですが 大人になってからは 学びたいことを 学べばいいのです。 勉強からの解放というのは 勉強しない解放ではなく 義務、強制されてきた 勉強からの解放なのです。 学ぶことは 生涯必要なのです。 今は生涯学習 生涯現役の時代なので それこそ 霊的世界に行く直前まで 学ぶくらいの 学習力が必要なのです。 この世での学びは 霊的世界にも連結されていきます。 霊的世
0
カバー画像

【必然的な使命】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命というのは 自分で選んで 自分で決める こともありますが 否応なしに 与えられる使命もあります。 私たちの願い 思いに関係なく そうせざるを得ない 使命が与えられるのです。 与えられる使命は 全うできるように なっているのですが 全うしようとする覚悟 決意に時間がかかってしまうのです。 覚悟、決意ができれば 迷うことなく 前に進むことが できるのですが 覚悟をする恐怖 決意をする恐怖によって 覚悟、決意が なかなかできないのです。 与えられる使命は 全うできることは 誰でも知っているし 感じているのです。 全うできるか、できないかの プレッシャーからの恐怖ではなく 変化に対しての 恐怖を感じてしまうのです。 どんな人でも 変化対応力は持っているので 変化することが できるのですが 変化に対しての 恐怖が大きいのです。 とくに必然的に与えられた使命だと 頭では納得していても 感情での納得に 時間がかかってしまうのです。 必然的な使命といっても 全てを自分だけで 全うするのではありません。 自分ができる範囲のことは 最善を尽くせるのですが それ以上のことは 他の人の協力 あるいは 霊的世界からの協助によって 使命を全うすることができるのです。 環境的な制限によって 否応なしに与えられる使命は 良い意味で諦めて 使命を優先させるべきなのです。 覚悟、決意ができなくても 使命を優先させる意識だけでも していくことで 使命を全うできる方向に 向かうことができるのです。 自分で選んだ使命 決めた使命というのは 使命には違いないのですが 狭い範囲の使命な
0
カバー画像

【この世の生の目的を明確に知る時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 この世の生の目的が 分からないと どこに向かって 生きているのかが 分からなくなります。 この世の生の目的を 知るというのは 全ての土台になるのです。 どんな人でも いつか、絶対に 霊的世界に行きます。 これは自然の摂理なので 絶対に避けることはできないのです。 私たちが向かっている方向は 全く自覚が無かったとしても 霊的世界に向かって歩んでいるし 生きているのです。 このことを 明確に知らないと 生きている目的を 悟ることはできないのです。 この世の生の期間は 霊的世界に行くための 準備期間になります。 永遠の観点から見たら 霊的世界に目的があるのです。 この世の生には 限りがあるので この世だけに 目的があるとしたら わずかな期間の 目的にしかならないからです。 どんな人でも 漠然とながらでも 永遠に生きることを 願っています。 霊的世界があることを 願っているのです。 なぜなら この世では永遠に 生きられないことを 知っているからです。 目的というのは 向かっている方向が 明確になっていることをいいます。 例えば 電車やバスに乗るとしたら 行くところが明確になっているはずです。 行き先が決まっているので 移動手段としてバスや電車に 乗るということです。 この世の生の期間は 永遠の観点から見たら 一瞬の期間にもならないのです。 永遠というのは 終わりがないということです。 霊的世界で 永遠に生きるということです。 この世は、霊的世界で より良く生きるために 準備をしている期間です。 今は霊的世界を 信じる時代ではなく 知る時代なのです。 霊
0
カバー画像

【スピリチュアルの本質】

日常的スピリチュアル、安田です。 スピリチュアルの 本質というのは 感じている境地が 本質になります。 何かが見える、聞こえる ということよりも どう感じているかが 本質になっていきます。 スピリチュアルの知識を 学ぶことは必要ですが 学んだことに対して どのように感じているかなのです。 スピリチュアルを 単なる知識とだけ 捉えてしまうと スピリチュアルの用語 単語ばかりを覚えてしまい 感じている境地を 掘り起こすことが できなくなってしまうのです。 スピリチュアルだけに限らず どんなことを学ぶにしても 知識を覚える学びではなく 元々知っていることを 掘り起こす学びが 本質的な学びになります。 どんな人でも 霊的には知っているのですが 霊的に知っていることを 言語化できないので 言語化できる知識が必要なので 学んでいるのです。 感じている境地を 言語化することができれば 知識を学ぶ必要はありません。 どんな分野でも スピリチュアルの面が 連結されているので 感じている境地で 本質が分かるようになっています。 私たちに 学びが必要なのは 霊的な無知になっているので その無知を解消するために 学びが必要なのです。 元々知っていることを 掘り起こすために 学んでいるのです。 感じている境地を 言語化するというのには 限界があるのですが 時代の恩恵によって 心霊基準が上がっているので 感じている境地を 言語化しやすくなっています。 スピリチュアルの本質を 見失ってしまうと 知識を覚えることだけを 貴重視してしまい 何を感じているのかを 把握することが できなくなります。 感じている境地
0
カバー画像

【何もしない時間に耐えられない原因】

日常的スピリチュアル、安田です。 何もしない時間に 耐えられない人が 多いのですが 何もしない時間は 最も贅沢な時間であり 価値がある時間なのです。 何もしない時間に 耐えられないのは ありのままの自分と 向き合うことに 恐怖を感じているからです。 瞑想の習慣というのは ありのままの自分と 向き合う習慣でもあるのです。 最も贅沢な時間であり 価値がある時間なのですが その時間に 耐えられない人が多いので 瞑想が続けられない人が 多いのです。 瞑想はとにかく 続けるしかないのです。 続けることでしか 効果を感じることはできません。 苦しくても 恐怖を感じても とにかく耐えるしか ないということです。 ありのままの自分は 誰でも醜く感じるのです。 その醜さを客観的に 観察していくことで 自分の醜さに 耐えることが できるようになります。 私たちが感じている境地は 似たり寄ったりなのです。 どんなに善人ぶっていても 感じている境地には 大差はありません。 心理的な成長には 差がありますが 感じている境地には 大差はないということです。 他の人と比べる必要はないのですが 自分が感じている境地に 振り回されないで歩むには ありのままの感情の把握が 必要になっていきます。 瞑想を続けて 瞑想を極めていくことで 過去の記憶が 整理されていくので ありのままの感情も 小さくなっていくのです。 瞑想の必要性を 多くの人が 感じているのですが 続けることができないのが 大きな課題になっています。 何もしない時間に 耐えられないので ありのままの自分と 向き合うことができないのです。 心理的な苦痛と
0
カバー画像

【前倒しのリズムを身につける】

日常的スピリチュアル、安田です。 今はスピードが求められている時代なので 何をするにしても、早め早めの歩みが 必要なのです。 スピード時代に 合わせていくには 前倒しのリズムが 必要になります。 前倒しのリズムを 身につけることで 何をするにしても 早め早めの歩みが できるようになります。 どうせやることが 決まっていることは 早く実行してください。 やることでなくても 行くべきところには 早めに行ってください。 間に合うように 行くのではなく 早く行って 自分のリズムを 身につけるのです。 前倒しのリズムが 身についている人は 何をするにしても早いのです。 自然に、即断、即決 即実行ができるのです。 スピード時代と言っても 現実的には時間 空間の制限があるので 早い実行というのは できないのです。 瞬間移動はできないので 早めに移動することしかできません。 霊的世界は 時間、空間の制限がないので 瞬間移動ができ 時間に縛られることも ないのですが この世の私たちは 制限の中で工夫して 歩むしかないのです。 霊的世界から見たら この世の歩みというのは もどかしいくらいに遅いのです。 ですが 霊的世界は身体がないので 霊的な協助しかできないのです。 この世の私たちは わずかでもスピーディーに 歩むことができれば 霊的世界の 波動に合わせることが できるのです。 前倒しの歩みは リズムでもあるのです。 即断、即決、即実行も リズム的な歩みになります。 何をするにしても 早め早めの歩みができれば より早く歩むことが できるようになります。 今の時代は 遅いだけで失格であり 早いだけで
0
カバー画像

【直感を頼ることに慣れる】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代は 直感を頼りにして 歩む時代です。 というより 直感を頼りにするしかない 時代でもあるのです。 なぜなら 変化が早くて 大きいからです。 変化が激しいので 考えている暇 余裕がないのです。 何となく煽られるような 時代であるので 直感で歩むしかないのです。 直感で歩むことに 慣れていくしかないし 直感を頼ることに 慣れていくしかないのです。 直感的に歩むことで 歩みに勢いをつけることができ 即断、即決、即実行の リズムができるのです。 今の時代に 煽られていることを 感じるのは 霊的世界から 煽られているからです。 霊的に鈍感でも 煽られていることを 感じるというのは それだけ、霊的世界からの 願いがあるということです。 霊的世界は 時間、空間の 制限が無いので そのままの状態で 煽ってきます。 その霊的な基準で 煽られても この世の私たちには 制限があるので 良くも悪くも 振り回されてしまうのです。 直感というのは 霊的世界から与えられるので その直感の通りに できる限りでもいいので 歩んでください。 できる限りというのは 妥協することではなく 今の私たちの基準に合わせた 歩みをしていくということです。 霊的世界から 煽ってくるのは 霊的世界では 時が分かっているからなのです。 今の時にやるべきことがあり 成すべきことがあるので 霊的世界も焦りを 感じているのです。 霊的世界は 思いだけの世界なので 思いのままに 煽ってくるのです。 その煽りに まともに対応すること
0
カバー画像

【見えない境地の方が大きい】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちが見えていることは ほんのごく一部なのです。 現実的に どんなに視力が良くても 空中にある塵を 全て見ることはできません。 もし、まともに 見ることができたら あまりにも汚くて 生きていくことが できなくなります。 なので 適度に見えていることが 幸いなのです。 そして 見える境地よりも 見えない境地の方が 大きいのです。 あるいは 見えない力の方が 大きいということです。 私たちの現実的な歩みは 目の前のことに 最善を尽くすことしかできないので 大した歩みはできません。 その小さな歩みに 大きな力が合わさって 物事が進んでいくのです。 どんなに実力が ある人でも 目に見えない導きがなければ 実力の発揮はできません。 この世の私たちは 時間、空間の制限があるので 大したことはできないのです。 どんなに限界まで 歩んだとしても 自分の無力さを 知ることで 霊的世界から 協助されていることを 感じることができるのです。 そして 見えない力の大きさを 感じることができるのです。 これからの時代の 実力というのは 霊的世界の霊人と 協力し合うことで 実力の発揮ができます。 霊的世界には ごまかしが利かないので 原則的な歩みが 必要なのです。 原則的な歩みというのは 出し切って、やり切って 投入し切る歩みのことをいいます。 目の前のことに 最善を尽くしていくことが 原則的な歩みになります。 とくに 真新しいことではなく 当たり前のことを 当たり前に歩むだけなのですが この当たり前のことが
0
カバー画像

【前向きさよりも、霊力を強化させる】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊力を強化させることで 霊的に明るくなるので 無理に前向きに なろうとしなくてもいいのです。 無理なポジティブシンキングは 必要ないのです。 なぜなら 無理というのは 疲れるので 続けることが できなくなるからです。 霊力は前向きでなくても 身につけることができます。 学びと瞑想と運動を 続けていけば 霊力を身につけることが できるのです。 表面的な前向きさというのは 違和感があるので 無理していることが バレてしまうのです。 そして、無理というのは 心理的なバランスが崩れるのです。 心理的なバランスが 崩れることで どこかに八つ当たりを してしまうことがあるのです。 霊力の強化には 時間がかかりますが 霊力を強化させることで 本当の意味で前向きに なることができるのです。 本質が求められる時代になったので 今まで通用していたことが 通用しなくなっていくのです。 否定されることは ないにしても 飽きられて しまうのです。 本質の時代に必要な力が 霊力なのです。 霊的に振り回されない 霊的に負けない力を 身につけていくことで 本質的な歩みが できるようになります。 本質を求めてきた人にとっては 歩みやすい時代になったのですが 表面的なことを 頼りにしてきた人は 歩みにくい時代に なったのです。 霊力の強化を意識して 歩んでいる人は少ないのですが これからの時代は 霊力が求められてきます。 霊力を強化させることで 霊的世界にも影響を 与えることができるのです。 そして この世の人にも
0
カバー画像

【承認欲求を手放す】

日常的スピリチュアル、安田です。 誰でも認められたい思い 願いはあるのですが 現実的には 承認されることは そう多くはありません。 なぜなら、人は他人には 興味関心がないからです。 これは誰がどうこうではなく どんな人でも同じなのです。 承認欲求自体は 悪いことではないのですが 過度に承認されることを 期待してしまうと 裏切られたと感じてしまうのです。 ある意味 勝手に期待をして 勝手に裏切られたと 感じているだけなのです。 承認欲求を手放すには 誰にも知られないように 努力をすることで 手放すことができます。 努力というのは 自己成長のために やっていることなので 他の人に承認される 必要はないのです。 誰にも知られないように 努力することができれば 承認されることを 一切期待しなくて済むのです。 この世の人には 誰にも知られないように 努力することはできますが 霊的世界には ごまかせないのです。 いくら陰で努力をしていても 霊的世界からは全てがバレています。 逆に、この世の人に 「頑張っています」の アピールをしていても 実際に努力をしていなければ 霊的世界にはごまかすことはできないのです。 霊的世界から この世の私たちに 願っているのは 努力することなのです。 なぜなら、努力をしなければ 霊的な協助ができないからです。 この世では 誰からも承認されなくても 霊的世界から 承認されれば 霊的世界を 味方にすることができます。 誰かに知ってもらわないと 損をすると思い込んでいる人は 表面的な歩みしかできないのです。 本
0
カバー画像

【霊性教育が全ての教育の土台になる】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな分野の教育にも 霊性教育の土台が必要なのです。 なぜなら 全ての分野は 霊的世界と密接に つながっているからです。 この世と霊的世界は コインの表と裏のように 表裏一体になっています。 表裏一体というのは どちらからも影響を与えることができ 影響を受けるということです。 どんなことを 学ぶにしても 必ず言語化されているのは 言葉には魂が宿っているからです。 この世は国によって 言葉の違いがありますが 霊的世界は思いの世界なので 瞬時に伝わるようになるのです。 この世の私たちには 時間、空間の制限があるので この世の生涯で 学べることには 限度がありますが 霊的世界は 永遠の世界なので どんな分野でも 学ぶことができるのです。 そして 時間の概念がないので この世の1日が 1年に該当するのです。 霊性教育というのは 全ての分野の教育の 土台になるのと同時に 全ての分野を統合できる 教育でもあります。 究極の原理原則なので この世でも霊的世界でも 通用する教えなのです。 今、時代の恩恵によって 霊的世界が整理されていますが その整理は 究極の原理原則の 教育によって 整理されています。 霊的世界の整理が 進んでいくことで この世も必然的に 整理されていくのです。 この世の私たちが 携われる分野は そう多くはありませんが どんな分野であっても 究極の原理原則に つながるようになります。 そして この世での生の目的も 明確になっていくのです。 この世での生の目的が 明確になっていないので
0
カバー画像

【流されない歩みを意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちの日常というのは 非常に流されやすいのです。 そして 今の時代の環境も 流されやすい ありとあらゆる 誘惑があるのです。 なので 流されない意識をしないと いくらでも流されてしまうのです。 四六時中 常に緊張することは できませんが 適度な緊張感は 必要なのです。 流されている人は 現実の環境に 慣れてしまっているので 緊張感がないのです。 適度な緊張感がないと 人は堕落するのです。 流されている人は 流されている自覚すら できない状態になっています。 流されている状態というのは 何も積み重ねていない状態なので 成長ができていないのです。 これから 自己管理、時間管理を 自分でしていく時代になるので より緊張感がなくなり より流されやすくなります。 そして、どんなに流されても 誰も何も文句を言わなくなるので より流されている自覚が できなくなります。 流されない歩みをしていくには 流されない意識が必要なのです。 意識というのは 意図的に意識をすることなので 苦しくなるのですが その苦しさが 緊張感という 刺激でもあるのです。 流されない歩みができれば 今できることに集中し 投入することができるのです。 私たちの歩みは 今の瞬間にしかできません。 過去に戻って 歩めないし 未来にワープして 歩めないのです。 流されているというのは 今の瞬間が流されているのです。 今の瞬間が流されていることに 危機感を感じていかないと いくらでも流されていきます。 全ての瞬間に 気を張ることはできないの
0
カバー画像

【ウイルスの使命】

安田です。 時代が大きく変わるときは ウイルスの問題が生じます。 そして ウイルスの収束を 願うのですが ウイルスは収束せず 諦めてきたのです。 ウイルス自体は 生物でもなければ 無生物でもありません。 人の身体に入ることで 生物化されて 働きだすのです。 生物でもない 無生物でもない というのは 生物と無生物の 中間のものということです。 ウイルスの使命は この世と霊的世界を 結ぶ使命があります。 ウイルスを克服することで 霊的世界と結べる境地に 至ることができます。 実際に今までの ウイルスの克服は ワクチンによって 克服してきたのではなく 抗体免疫によって 克服してきたのです。 つまりウイルスを避けて 克服してきたのではなく ウイルスと一つになって 克服してきたのです。 ウイルスの克服から 次の段階に引き上がることが できるようになるのです。 ウイルスは肉眼では 見ることはできません。 見えないので 恐ろしく感じるのですが 見えないけど 存在している 霊的世界と 通じるということです。 ウイルスの克服には 免疫が必要なのですが 身体の免疫と 心の免疫が必要なのです。 身体の免疫は よく食べて よく寝てと 健康的な生活によって 免疫ができます。 心の免疫は 好奇心を持って歩んだり 波動を上げていくことで 免疫ができます。 好奇心というのは 新しいことに挑戦したり とにかくワクワク感を 感じることであり 波動を上げるには 何をするにしても 勢い的に歩むということです。 好奇心からの歩み 波動を上げる歩みとい
0
カバー画像

キョンシーのスピリチュアル

カウンセリングの相談内容は人それぞれです少しでも、今のこのコロナ過で楽しく豊かに生きて生きたいですね仕事、転職や引越しのタイミング、少しでも良い方角へ、恋愛・結婚・離婚・再婚、、、、そして運気の流れ、苦しみからの脱出・・・・霊障問題・家族のこと・病気のこと・人間関係などなど悩みはいつの時代も尽きません少しでも、また前向きに相談できたらと思っています人は心が豊かになるとオーラが大きくなりますし、そうなると運気も上がります、、、悩みがある方の応援をとことんしています
0
31 件中 1 - 31
有料ブログの投稿方法はこちら