【悟りとは与えられること】

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日常的スピリチュアル、安田です。

悟りの境地というのは
悟りにいくのではなく
与えられることなのです。
「悟り」というと
自分で悟るような
印象がありますが
教えられることであり
与えられることなのです。
もちろん
悟るための努力は
必要なのですが
悟れる時期、タイミングは
人それぞれで違います。
他の人が悟れても
自分が悟れない場合があるし
自分が悟れても
他の人が悟れない場合もあります。
なので
他の人、周りの人とは
比べてはいけないのです。
悟りというのは
自分が悟ることを
目指すのであって
他の人を悟らせるのでは
ありません。
他の人が悟るかどうかは
良い意味でどうでもいいのです。
この世で生きている期間に
悟れる人もいれば
悟れない人もいます。
現実は、ほとんどの人は
悟れないで、霊的世界に行くのです。
悟れないで
霊的世界に行っても
時が来れば悟れるように
導かれていきますが
いつ時が来るのかは
分からないのです。
この世で悟れる人は
この世で悟ってから
霊的世界に行けますが
背景的に悟れない人もいます。
悟りの境地というのは
究極的には本来の基準で
歩めるようになることですが
本来の基準にわずかでも
近づいているのであれば
わずかながらでも悟っています。
本来の基準というのは
元々知っていることなので
知っている基準で
歩むことをいいます。
私たちは実感で
教えられるのです。
啓示、直感というと
言葉が天から降ってくるような
印象がありますが
一瞬で感じることが
悟りの境地なのです。
実感を通して
教えられたことは
何年経っても
何十年経っても
それこそ、生涯忘れることが
できなくなるのです。
知っていることは
時間が経つと忘れてしまうのですが
悟ったことは
時間が経っても
忘れないのです。
学んだことを
忘れないというのは
深い境地で学んでいて
悟っているということです。
知的に悟ることで
悟ったことができるようになり
より強く悟ることができます。
悟っているかの目安は
知っているだけではなく
できるようになること
実行できるようになることが
目安になります。
知っていても
できていないことは
悟っていないのです。
悟っていないことを
嘆く必要はありません。
悟っていないことを
自覚すればいいのです。
自覚していくことで
自分の今の成長段階を
把握することができるのです。
知っていることが
できるようになるには
繰り返しの学びが
必要なのです。
同じようなことを
繰り返し学ぶことで
脳が転換されて
できるようになるのです。
今まで出来なかったことが
できるようになることが
悟りの境地に至ったことなのです。
基本的な努力も
悟らないとできないのです。
必要性を悟ることで
学ぶことができ
実行することができ
瞑想、運動ができるようになります。
時代の恩恵によって
悟りやすくなりましたが
悟るための努力は必要なのです。
悟りの境地で歩むことで
今の時代の波動に合わせることが
できるようになり
歩みやすくなるのです。
そして、自分の軸で
歩むことができるので
歩みの基準を
上げることができ
成長につながる歩み
成長欲求を満たす歩みが
できるようになります。
先駆けて悟れる人には
使命があります。
その使命を全うするためには
悟った通りの歩みをしながら
最善を尽くすことを意識してください。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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