願いを叶えるときに必要なのは、「現在地」をいじることではない
願いを叶えたいと思ったとき、多くの人はまず「今の自分」を見てしまう。自分には何が足りないのか。今の位置は高いのか低いのか。もっと上に行くには何を変えるべきか、何を削るべきか、どこを修正するべきか。
けれど、願いを叶える仕組みは、そんなふうに動いていないのではないかと思う。
それは、エレベーターに似ている。
行きたい方向を押せばいい
エレベーターで上の階に行きたいとき、押すのは「上」のボタンだ。下の階に行きたいときは、「下」のボタンを押す。
当たり前のことに聞こえるかもしれない。でも、願望実現の話になると、この当たり前が急に分からなくなる人が多い。
たとえば、エレベーターが今、自分より上にいるとする。このとき、それを自分のところまで下ろしたいからといって、「下」のボタンを押す人はいない。なぜなら、自分が下に行きたいわけではないからだ。
押すべきなのは、あくまで自分が行きたい方向である。エレベーターの現在位置を操作するためのボタンではない。
ここを、多くの人が取り違えている。現状を無理やり変えようと躍起になるのだ。エレベーターの位置をコントロールするようなことだ。そんなことはしなくていい。
多くの人は「願い」ではなく「現状との差」を見てしまう
願いを叶えたいとき、人はつい現状との距離を見てしまう。
「自分はまだこの程度だから」「今の自分には到底無理だ」「もっと現実的な願いにした方がいいのではないか」「まずは今の状況に合わせて調整しないといけないのではないか」
そうして、本当は上に行きたいのに、現実を見て下のボタンを押してしまう。
つまり、本音では望んでいない方向を、現実に合わせて選んでしまうということが起こる。
でも本来、行き先を決める基準はエレベーターの位置ではない。自分がどこへ行きたいのか。基準は、それだけでいいはずだ。
まず決めるべきは、「どこへ行きたいのか」
願望実現において、最初に必要なのは、自分の現在地をどうにかしようとすることではない。また、現状を頑張ってコントロールすることでもない。自分がどこへ行きたいのかを決めることだ。
上に行きたいなら、「上」。下に行きたいなら、「下」。
とても単純な話だが、実はこれが一番難しい。なぜなら人は、願うことそのものよりも、願ったあとに傷つくことを恐れるからだ。
本当に望んでいることを認めてしまうと、「叶わなかったらどうしよう」「自分には無理だったらどうしよう」という不安も同時に浮かび上がる。
だから人は、願いを小さくしたり、別の願いにすり替えたりする。けれど、それでは押しているボタンが違う。違う方向を押していれば、違う場所に着くのは当然だ。
願いと現状の距離が大きいほど、時間はかかる
もちろん、願えば何でも一瞬で叶う、という話ではない。
エレベーターだって、今いる位置によっては自分のところに来るまで時間がかかる。遠くにいれば、すぐには来ない。
願望も同じだと思う。願いと今の自分の現状との距離が大きいほど、それが目の前にやって来るまでには時間がかかる。
でも、ここで大事なのは、遅いことと間違っていることは別だということだ。
なかなか来ないからといって、押すボタンを変える必要はない。「まだ来ないから、やっぱり違う願いにしよう」「自分には無理そうだから、もっと低い階にしておこう」とやってしまえば、本当に行きたかった場所から遠ざかってしまう。
時間がかかるのは、距離があるから。ただそれだけのことだ。
実際に、近ければ早く来る
私自身、先日あることを「やる」と決めたら、そのときは全くの当てがなかったが、5日で実現したことがあった。
これは特別な奇跡というより、単純に現状の自分と理想との距離がかなり近かったのだと思う。だから、エレベーターがすぐ来た。それだけのことだ。
ここで大事なのは、「5日で叶ったこと」そのものよりも、決めた方向に対して現実が動いたという感覚である。
逆に言えば、もっと大きな願いなら、もっと時間がかかることもあるだろう。でもそれは、叶わないからではない。エレベーターがまだ遠いだけだ。
必要なのは、操作ではなく選択
願いを叶えるために必要なのは、世界の仕組みを細かく操作することではない。現状を見て過剰に調整し続けることでもない。
必要なのは、もっとシンプルだ。自分がどこへ行きたいのかを決め、その方向のボタンを押すこと。
そして、来るまで待つこと。途中で不安になっても、ボタンを押し間違えないこと。「今どうなっているか」よりも、「自分はどこへ行きたいのか」を見失わないこと。
願いを叶えるとは、現実に合わせて願いを縮めることではない。自分の本音に合わせて、進む方向を選ぶことだ。
願望実現とは、現在地をいじる技術ではなく、行き先を明確にすることなのだと思う。
願いを叶える鍵は、現実を見て迷うことではなく、自分が行きたい階をはっきり選ぶことだ。