寿司屋の大将との別れ

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私の職場の忘年会は100人以上の参加者で盛り上がりました。いつも、お決まりのような内容だったので、その年、ゲームの景品として珍しいものを探して欲しいと私に依頼がありました。その中に、私が馴染みにしている寿司屋の寿司折もあげられていました。
その寿司屋の味は職場仲間にも評判が良かったのですが、誰もが大将を怖がっていました。

私は、大将の握りをゲームの景品に使うことに対し失礼にあたると考えて、彼らの要求を拒んだのですが、何度も頭を下げられ、忘年会の当日、特上握りとしめ鯖だけのものとの2つの折を大将に作ってもらいました。でも、大将には忘年会で行うゲームの景品とは話せませんでした。

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忘年会では、司会者から景品が寿司折と紹介され、参加者が優勝を目指して熱気に包まれました。やがて優勝者に寿司折が手渡されると、数名の女子が優勝者から寿司折を奪って食べ始めてしまい、寿司折は無残な姿になりました。私は、一気に酔いが冷め、会場を後にしました。

自分が犯した罪を償いたい。犯罪者のような気持ちになり、雪が降る道を静かに歩きました。

雪の夜道.jpg

私は、1年間、寿司屋へ行かないことと、大将からの遊びの誘いは断ることを決意しました。それが、私への罰と設定したのです。後に、仲間から、そこまで気にすることではないと言われましたが、私は自分が許せませんでした。そして、酔っていたとはいえ、大将の寿司を無作法でむさぼる女子の姿が目に焼け付き、あんな行事には二度と協力しないと心に誓いました。

それから10か月程が経ったとき、大将が入院しているという話を耳にしました。
私は居ても立ってもいられなくなり、彼の見舞いに出掛けました。久しぶりに会った彼は病室で眠っていました。私は、ベッドの脇に手紙を置いて病室を出ることにしました。手紙には、長い間、店に顔を出していない理由と詫びの言葉を書いたのですが、思いが伝わるか心配でした。

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2度目の見舞いのときには彼と話すことができました。彼は「いったい何を気にしているんだ」と私に言って笑っていましたが、私は、何度も何度も頭を下げました。
その1週間後には退院の予定らしく、退院後、1番最初に私のために寿司を握るから、もう頭を下げるなとなだめられ、私の気持ちは少し軽くなることができました。そして、退院のときには迎えに来ることを約束しました。

ところが、退院予定日の前日、事件が起きました。妹さんから、大将の容体が急変したと連絡を受けました。腹痛を訴え、調べたところ腹に水が溜まっていることが発見され、その措置を行ったのですが回復せず、大将は、その日から数日間、入院が伸びてしまったのです。翌日、見舞いに行ったとき大将は笑っていましたが、見るからに痩せていて驚きました。
そして、数日後、大将は帰らぬ人となったのです。

私は葬儀の準備を手伝い、通夜、葬儀、そして火葬まで、ずっと彼のそばで見送りました。通夜の夜、家族は彼と時間をともにしてくれませんでした。弔問客への対応も、面倒臭いという態度でした。深夜になって、その態度に腹を立てていると、私の職場の仲間が私を心配して会場に来てくれました。私と大将との仲は、それ程だと、周知の事実になっていました。

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私には、病院に対する怒り、家族に対する不満の気持ちが、今でも心の中に冷たい炎となって燃えています。

今年で7年になると思いますが、今年も彼が亡くなった季節を迎えました。
まだ、私の心の中に彼は生きているのです。きっと、これからもずっと…。

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