小さな存在は、小さくない。
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コラム
一時、
実家で過ごす事がございました。
実家には子供2人居ります。
わたしは未婚ですので、
兄姉の子供になります。
子供達と私、お互いに
「お顔見知りさん」程度の関係。
突っ込んで接する事は
ありませんでした。
私が実家で
過ごし始めるまでは。。。
まず、反応確認する為に
子供達の隣に座り続けました。
結果
→すぐ「逃げられ」ました。
それでも、三日間
無言で座り続けました。
四日目に
痺れを切らしたのは
子供達でしたね。
『なんで?
大人なのに
気を使わないの?』
少し自信ありげに
私に質問してきました。
(おそらく、質問に困って
逃げると考えたんでしょう。)
私「なぜ??
気を使わないといけないの?
同じ人間なのに??」
子供達は
絶句した表情で
わたしを見つめていましたね。
私「大人も嬉しかったり。
悲しくなったりするよ。
同じ人間だもん。
なのに。。。なぜ?」
子供達『だって、大人だもん。』
私「でも、
君が言った言葉に。
私は傷ついたよ。」
子供達『。。。。。』
(驚き、困った表情の後、
考えていました。)
私「みんな、心あるからね。」
子供達『。。。そうなんだ。』
私「うん。あと、
やって欲しい事は、
頭を使って
伝えた方がいいよ。」
子供達『頭をつかう?』
私「うん。君が
10歳になった時には、
今のやり方は使えないよ。」
子供達『え⁉使えないの??』
私「うん。
君が沢山傷つくことになる。
だから『して貰う為』には?
と考えるんだよ。
大人にも、
心があると伝えたよね?」
子供達「うん。」
私「まず、やって
考えて、行動しても、
その通りにならない時もあるよ。
みんなには心が
あるからね。」
子供達
「ん!?どうしたらいいの?」
私「また、考えるんだよ。
考えて→やって
→上手く行かない
その時は、
相手をよく観るの。」
子供達「。。。みる?」
私 「うん。お願いする相手を
じーっと観るの。
バレない様にね。
まずやってごらん。」
子供達「うん。」
私「やって、 解らないと
想ったら、
私に聞きに来て。」
子供達「うん。聞き来る!」
私「うん。嬉しい時は、
ありがとう。
してもらった時も
ありがとう。
これも忘れないようにね」
子供達「うん!。。。。」
私「どうしたの?」
子供達「一緒に遊ぶかな?
と観てた。」
私「(笑)。何して遊んでいるの?」
子供達「あのね。最近は。。。。。」
その後、一時間一緒に遊んで、
お互いに‘’おやすみ‘’解散しました。
子供達は見た目は小さいです。
ですが、子どもの中にある
【引き出し】は、
埋まっていないだけで
決して小さくは、ないんです。
あれから10年程経ちますが
ふたり共「あざとい」
発想や行動はありません。
逆に、純粋です。
引き出しが埋まり始めるまでの
試行錯誤の途中は、
確かに
【あざとかった】です。
その度に、粘り強く、
「それは嫌だな。
君はこう想っているよね?!」
と伝えていました。
逆に埋まり始めた頃には、
「おぉ♪素敵だね。
真似していい?」
とも、伝えていました。
世の中のお母さまは
大変だと想います。
兄姉も子供達の引き出しが
埋まるまでは、ストレスが
溜まっている様子でした。
私は独身ではありますが、
子供時代の記憶が鮮明なんです。
母から
「常に考えなさい」と
教えられましたが
考えて、
目前の事の
『理由』が解ればわかるほど
心の衝撃に耐える事に
必死でした。
経験上、自分を守る方法が
分かっています。
子供たちには、
自分を【守る方法】も知ることで
そのまま育って欲しい
と感じました。
もちろん、
自分の【居場所】確保も
考えていましたよ。
自分を守るのは、
自分です。
ただ、生きる為には
周りの人間から
吸収し、感謝できる余裕を
持つ事が自分を救います。
今、疲れている時に
子供たちに会うと
『どうしたの?』
と声を掛けてくれます。
私は「素敵だね。ありがとう。」
と伝えます。
とても嬉しそうな
子供たちのお顔観て
ホッとします。