今日は少しだけいつもと趣向を変えて、私の趣味の話をさせていただきます。
私は以前から寺社仏閣をめぐるのが好きだったのですが、以前働いていた図書館で仲良くなった男子高校生に御朱印集めの楽しさを教えてもらったことがさらに拍車をかけて、この1年で北は宮城、西は京都の寺社仏閣に参拝しました。
(あとタロット占いも一時期やっていました。図書館で青少年とコミュニケーションをとるツールとしてタロット占いを披露していたこともありました。当たると評判だったので、気になる方はぜひ電話相談のときに言ってください笑)
わたしのお気に入りの場所
寺社仏閣の中で特にわたしのお気に入りは、ベタかもしれませんが、明治神宮です。
駅のすぐ横、竹下通りも目の前、若者や外国人が往来するその喧騒の中、急に現れる巨大な鳥居。漆塗りがされていないというのも渋くて良き。
一礼してその鳥居をくぐった瞬間に、先程までの喧騒が嘘みたいに思えるほどの自然に包まれます。
電車の音も遥か遠く、聞こえるのは風に吹かれて擦れる葉の音。
このちぐはぐさがたまらなく、いい。
梶井基次郎も、その名作『檸檬』で言います。
以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒さらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
梶井基次郎『檸檬』より
「あまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持」
わたしが教員時代に授業で高校生たちに話した例は、
映画を見終わった後、ものすごく感動なり興奮なりして映画館を出ると、そこには普通の日常が広がっている。そのギャップがなんとも言えません。
明治神宮の話に戻りましょう。
『檸檬』の引用は、ここでは少しズレている気がしますが、要は自分が今感じている気持ちと、その外側のギャップに気持ちよさを感じるのです(書き方よ、、)
森を抜けると、目の前に立派で荘厳な空間が広がります。白い。急に語彙力なくなるじゃんって思うかもしれないが、実際行って見ていただきたいのです。白いから。
参拝のルールとは?
お賽銭をゆっくり入れ、二礼二拍手一礼。あー、小銭ない、、10円てまずいんだっけ??だったら、「十分いー縁」ってことで11円で勘弁してもらおう。
そして自分の気持ちや意志を、拙い言葉で神様に伝えます。
今自分がなにを目指しているのか、なにに焦っているのか、どうしてほしいのか。
言語化するのはなかなか難しいもので、、
神様に伝えることも伝えたので夫婦楠(めおとくす。名前がかっこいい。ポケモンの名前みたいで)を崇めます。良いご縁がありますように、、
お賽銭に10円を入れてはいけない理由
そのとき、若い女の子たちの会話が耳に入りました。
「10円はダメだよー!縁が遠のくんだよー!」
そうなの!?!?
あ、でもわたしは11円だからセーフ、、なのか、、??
てか、縁が遠のくて、、!!
ダジャレかよ!!
5円の時点で!!ご縁がありますようにて!!
ダジャレじゃん!!
神様もそれで「ダジャレだなんて、粋だねぇ。よし、君のお願い、叶えちゃう!」とはならないでしょう。
そこでふと思いました。
すべての事柄は、自分にとって都合よく捉えられてるのかもしれない。
そりゃあ都合の良い解釈をしますよね。
図書館で働いていた際、珍しく2連休がありました。
その2連休でなにをしようか考えた末に京都に一人旅をすることにしました。
究極の寺社仏閣巡りです。
1番の目的は鈴虫寺こと華厳寺に参拝することだったのですが、がめついわたしはそこに行くまでの寺社仏閣という寺社仏閣で結べる縁を全部、固結びで結びました。
切りたい悪縁も全部千切りにしてきました。
そして目的の鈴虫寺の説法では、「幸せかどうかを決めるのは、天気でもこのお寺の混み具合でもなくて、自分の心なんですよ」といった話を聞きました。
それを、ふと思い出しました。
多分、お賽銭の額なんていくらでもいい。
でも、きっと5円を入れた方が「良いご縁」があったときに素直に受け入れられる。「良いご縁」がなくてもなにも思わない。
逆に10円を入れてご縁が遠のいたら「やっぱりあのとき10円入れたからだ、、」ってなるだろうし、ご縁が遠のくことに震えながら生活しなければならなくなる。良いご縁があったところで「このご縁、、遠のくかも!!」とすら思ってしまうでしょう。
恐るべし、ダジャレ。
結婚式の「仏滅」やら「大安」やらもそうでしょう。
幸せは自分の気持ちが決める。
それでも、すがりたい気持ちもあります。
自分の力で幸せになるには限度があります。
高次元の何者かのおかげで幸せになりたい。
すがった方が、気が楽になれるのも事実です。
言葉に呪われることもあるし、見えない何かに救われることもある。
でもそれをどう捉えるかは自分の心次第。
縁が遠のくのも、十分縁があるのも、決めるのは自分なんだと、改めて思いました。