新しい自分へ…15

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その時、ふと自分を振り返った。

私は今まで「親には恵まれなかったけど人には恵まれていたんではないだろうか…。」と。

結局、どんな時も「助けてくれた」のは親でもなく「知人・友人」だった。

母親から逃げるときのお金も居場所も…。

それに気づいたとき、全てに「感謝」ができた。
もちろん、母親に感謝できるほど人間はできていないけど。

今の彼もそう。
最初は「同情」だったかもしれない
けれど「同情」だけでできないこともたくさんしてくれていると思っている。

多分、毒親に育てられた人のほとんどは「同情」なんかしてほしくないと思う。
「同情」がいかに自分を惨めにして、悲劇のヒロインを作り上げるかをわかっているから。

私も「同情」という言葉も、その気持ちも大嫌いだった。

だからこそ、I子さんは「同情」とは思わせないようにしてくれたのかもしれない。それはI子さんにしかわからない。

私と彼の計画はドンドン進んで行った。
こんなに順調でいいのか、と疑うくらいに…。

アパートも家を購入前提で一時の間借りとして1LDKを借りることにした。

この私が彼と再婚をして家を購入する、までになるなんて!
人生とはどこでどんでん返しがくるかわからない、と本当にその時は思った。

けれど、100%全部を信用できないでいる自分もいたことは確か。

だからこそ「慎重になろう」と心がけた。

確実に一歩一歩。

まずは、上の娘は「住む場所が決まって保育園が確定した1か月後」に退所ということになった。その前に児童相談所の相談員さんがアパートを見に来る。ということ。
その日は、割とすぐに来た。
相談員さんは結構年配の女性で、気軽におしゃべりなんかをしながら、部屋の環境や交通の便、引っ越し先の間取りなどを見たりした。
そして、私の仕事も「保険屋さん」と聞いて逆に保険の相談をされたくらいに話し込んでしまった(笑)
彼のことも一応聞かれたが、あまり深くは聞かず「あなたまだ若いから頑張るのよ!市役所の人たちにも大丈夫です、って伝えておくからね」と心強い言葉をもらえた。

相談員さんがいい人で本当に良かった。
聞く話では結構厳しい人もいると聞いていたので内心ちょっと警戒をしていた。

まず一つクリア!

次はアパートの契約。
これはさすがに彼がいないとできないので彼の予定に合わせなければならない。

そして、息子。
息子はもうじき1歳になろうとしていた。
これが結構重要なことだった。

乳児院では1歳未満、しか入所できないという決まりがあった。
けれどその一か月くらいで引き取れそうなのに、児童養護施設に移動になってしまう、というのだ!
さすがに施設のスタッフの方も一か月くらい居てほしい、と要望を出してくれたそうだが、やはり「特別扱い」をするわけにもいかず…。
一か月くらいの間、児童養護施設に移動になってしまうことが告げられた。

ガッカリした…。
児童養護施設は娘が入っているところと同じところにはなるのだが、一度に二人同時に引き取るということができない、と市役所や施設の方に言われていたので、一か月でもずらして引き取ろうと思っていた矢先の話である。

もっと早く行動していれば…。
本当に後悔した。
一か月ずらさなければならないならもっと早くに行動して乳児院から直接引き取りたかった…。
赤ちゃんや子供というのは「環境」になれるまで相当時間が掛かるのは痛いほどわかるから、施設の移動だけは避けたかった。

けれど、それも「仕方ない」と言い聞かせるしか私にはできなかった。
心の中で何度も「ごめんね」と言い、その間は息子中心に面会に行っていた。
もちろん外泊もその頃には二人同時にしていたりもした。
幸い、保険屋さんは土日休みだから施設に迷惑をかけることも少なくて済んだ。

車を買ったので移動はかなりラクになった。
自転車だと二人を乗せて荷物を積んで走るのは危険だった。

そして、狭いアパートに帰ると3人で散歩に行ったり、夜ご飯の買い物をしたりして過ごした。

もうすぐ、みんなとこうやって毎日過ごせる日が来る。

寝顔をみてそう思うと、なんでもできる気がした。

母親にはなぜか場所を特定されることはなかった。
シェルターに入ったことがかなり効果があったのだと思う。

シェルターに入ると住所の特定などが難しくなるうえ、例え場所が分かったとしても絶対に「居ることがわからない」ようにしてくれているし隣に警察も常勤している。
面会などとてもできるような場所ではない。
かといって、山の中というような隔離された場所にあるわけでもない。

確実に「身の安全」が守られた場所。

今は携帯電話がないと不安に思う人が多いと思うが、携帯電話でどんなことでも調べられる世の中になっているのも、ある意味とても怖いことだと思う。

けれど私が言えるのは、「シェルター」から「新しい人生」の一歩を歩めたことは事実として伝えたい。

現に今でも母親とは会っていないし、もちろん母親が生きているかすら知らない。

話は戻って…。

数日してから保育園を決めたいと市役所から連絡があった。
入園時期でもないため、比較的入りやすい状態にあるということと、施設からの退所ということで優先的に入れてもらえるということだった。

私の仕事の会社の近くに丁度市役所の人が勧めてくれた保育園があった。
私は迷わずそこに決めた。

市役所の人は、「ではこの保育園で話を勧めておきますね」と言ってくれた。

が、少し「不安」があった。

私の住んでいる市内と会社は車で1時間ほど離れた距離にある。

そう「地元」…。

母親にバレないか心配だったが、それも市役所の人が
「お母さん以外の接近、送迎は禁止しておきますので!」と言ってくれた。
シェルターや相談員さんの話がちゃんと伝わっていることにすごく感謝した。

よかった…。
本当にその時は安心した。

そして、次はアパートの契約。

契約が済んだら、娘を引き取り、引っ越しが済んだら、息子を引き取り、という流れになる。

1LDKだけど、そこそこ広いアパート。新築。
そのアパートは「地元」になった。

なぜ「地元」に戻ることになったのか。

それは…。

理由はまず会社が「地元」に移動?採用した人の地域の所属になる、ということ
それと保育園をもう決めてしまっていること。
そして、彼の実家が近いということ。
それと私の父親が眠るお墓が地元にあり、管理者が私になっていること。
秋田市内だと家賃や色々な面で苦労するということがあった。

再婚して苗字が変わればバレることも少ないかという安易な考えもあった。
もちろん、その時には母親がどこに住んでいるのかは知っていたので、その近辺は避けた。
なるべく目立たないように生活することを心掛けることにした。

そして、秋田市役所の人にも「地元に戻る」ということを伝えたら「そちらの市役所とも連携しておくのでお母さんに近づかれないよう、そして、なにかされたらすぐに警察に電話してください」と言ってくれた。

そして、アパートの契約の日が近づいた。

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