母親同居していた時の気持ちと離れてからの自分の気持ち

記事
ライフスタイル
母親と初めて会ったときは、前にも書いていた通り、別に「会いたくない」という気持ちが強かった。

それから、父親と二人で過ごした時間は、とても私には「つらい」ものだったた。強制的な「習い事」やイジメを黙認する父親。テストの点数が悪いと暴力を振るう父親。
その当時は本当に父親が憎かった。
そして、特に会いたくもない母親に会い、「家族」というものの新鮮さを一瞬でも感じた。
それに惹かれてしまった自分。

もちろん、これは「自分の意志」でもあったが、その「本当の姿」を見抜くことはできなかった。

父が亡くなってからは、すごく「後悔」した。

もっと父と会話していればよかったかな、とか、もっと自分の気持ちを言えばよかったのかなとか…。
けれど多分、あの当時の父も自分も「素直」にはなれなかったと思う。

父に対する気持ちは「感謝」へと変わっていったが、母親への「憎しみ」は暴走した。

「母親として」というより「人としてどうなのか」という気持ち。

いつの間にか「絶対母親(あいつ)より、いい生活をしてやる!」
「絶対あいつのようなことはしない、したくない」
「あいつはラクになんか死なせない」
「父の彼女をも苦しめたことは許せない」
「あいつが死んでも絶対葬式なんか行かない」
「あいつより幸せになる」
何度となく
「頭の中であいつを殺した」

犯罪心理学のお偉いさんが言っていた…
「本当に憎い人を殺すときは『心臓ではなく、顔を潰す』行為をする」と…。
私はまさにソレだった。

本当に手を掛けないだけで頭の中では何度も母親を…あいつの顔を原型を忘れるくらいに潰してボコボコにした。

本編の中では割愛しているが、頭がおかしくなったと見せかけて…というか、すでにおかしかったかもしれないが、おかしくなったと見せかけて「包丁」を向けたときもある。

離れてからも、その気持ちはずっと続いていた。

逆にそれが私が「生きる糧」のようなものになっていたかもしれない。

恨んで、憎んで、何度も頭の中で殺していた。

私の人生の半分は、母親に対する「逆襲」と「意地」だったと思う。

綺麗に言えば
「気合い」と「根性」
という言い方があるかもしれない。
けれど、本当の感情は違ったと思う。

タイムリーな話をすると本編でも話しているけど
母親は「新興宗教」にハマっていた。
それは今回の容疑者の母親と大して変わらない。

私の母親には「財産」がなかったから、その代わり
「子供の食べ物よりも献金」という名の
「お布施」。

私よりも幼い弟妹たちは「袋ラーメン1袋」を二人で分け合っていた。
もちろん「副菜」や「ご飯」などは一切なかった。
ある時は「豆腐一丁」を二人で食べていた時もあった。
その時、母親は「宗教」か「パチンコ」「飲み屋」につぎ込んでいた。
飲み屋は、ほぼ「ツケ」で飲んでいたようだ。
宗教には毎日のように「千円」のお布施。それ以外もある、と考えると、ひと月に3万は超えていたと思う。

宗教だけにお金が流れていたわけではないが、その当時の弟妹は「難民の子」のような体型をしていた。

その宗教も選挙になると必死だった。
当時選挙権がなかった私ですら「恐怖」を覚えるほどだ。
その党の人が教会に「演説」のようなことをしに回ってくると、その立候補者は「神」のように讃えられていた。

今回の事件は「氷山の一角」といっても過言ではないと思う。

話は逸れたが、母親に対する気持ちは「憎い」ままだった。

それを「許せ」という周りの声は全く私には響かなかったし、
「なぜ許さなければいけないのか」という問いに、「許せ」という人たちは
「親だから」という。
「じゃあ親だったらなんでもしてもいいってこと?」というと決まって口を継ぐんだ。
「けどね、どんな親でもいなければ今の自分はこの世にいないのよ?」と畳みかけてくる人もいたが、ここまで「戦って生きてきたのは自分だ」と言いたかった。
畳みかけてくる人に何をいってもわかってもらえはしない。
そんな言葉を吐いてくる人は決まって、「自分は安全なところ」で暮らしている。

そこまで憎んで恨んで生きてきた自分。

今はどうなのか…。

「全く恨んでない」と言えば「嘘」になるかもしれない。

けれど、「恨み、憎しみ」はもうない。
ただ、「関わらないでくれればそれでいい」と思っている。

それでも「関わったら最後」という危機感はまだ残っている。

子供たちにも「あなたたちのおばあちゃんよ」、という人がもし話しかけてきたら『知りません』か、無視をしなさい、と伝えてある。

これは、人間が生活することにおいて
「安心・安全の欲求」が崩壊されてしまうからと思っている。

もちろん、順番でいくと母親が先に他界するだろうが、人間、いつどこでどうなるかはわからないものである。
そして、「葬式」というイベントがあるとそういう所に嗅ぎつけてくるのも
毒親のよくする行為の一つだ。

もちろん母親自体、幼少期に何かあったのかもしれない、
けれど、それを自分の子供や他者に「していい」理由にはならないと思う。

これを読んでいる人のほとんどが
「なんで今は恨んでいないのか」という疑問を持ったと思う。

それは
「自分の人生は自分の物」、「自分の気持ちは自分だけのもの」
という気持ちで
「母親を捨てた」から。

そこに「罪悪感」はない。

むしろ「罪悪感」などもってはいけないと思っている。

誰がどう産んだか、は関係ない

「この世に生まれたからには生きてやる!」
という気持ちくらいにはなりました(笑)

今回はこの辺で…
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す