離婚まで…36

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20万円…。

これがあればアパートが借りれる!

けれど、シェルターに帰ると、このお金、没収される…。
どうしよう…。

そして、思いついたのが、知人に預かってもらうことだった。

「大金だから怖いけど、アパート決まるまで預かっておくね!」と言ってくれた。

シェルターに帰り、職員の人に事の説明をした。そしてそのお金は知人に預かってもらっていることも伝えた。
職員の人は「いろんな人がいるから大金をもってたら危ないからね」
と言ってくれた。
そして、早くアパートを探そうとも言ってくれた。

そして、前回見ていた35000円のアパートの物件を見に行くことにした。

保証人などが必要だったが、シェルターの職員の人が付いてきてくれて不動産屋さんに話をつけてくれて、大家さんにその場で電話してくれて「貸してくれる」ことになった!

よっしゃ!!

順調だ!

35000円あれば入れる!あとは家電などがリサイクルショップなどで揃えよう!

と、そんなとき、シェルターで私に色々してくれたi子さんがシェルターを出るという話を聞いた。

その人の行く先は誰にも教えない、教えられない決まりだった。

ただi子さんは
「このシェルターの近くにはいるから!」
とだけ言って
翌朝には居なくなっていた…。

みんないなくなる…。

そんな中、シェルターの上は「母子寮」になっていたことがわかった。
全然顔も合わせないからそんな施設が併設されているのは知らなかった。
どうやら玄関が違うらしい…。

その母子寮に入っていた若いママが話しかけてきた。

子供はまだ1歳くらいだったと思う。
髪を金髪にして、いかにも「今時のママ」のような恰好をしていた。

ハスキーな声で「シェルターいるの?」
などと話しかけてきた。
そこで意気投合したが、基本シェルターの人と母子寮の行き来は禁止らしい。
なので、こっそり公園などで会話するくらいだった。

そして、2日後くらいにいよいよ私のアパートの手続きする日になり、
現金が必要になったため知人に電話をした。

そうすると…なにやら歯切れの悪い話し方…。

「ごめん…使ってしまった…、けれど明後日までには絶対用意するから!ほんとうにごめん!」
と言われた。

はい??
人のお金を使った??

20万全部??

ありえない…。

どうしよう…

もし持ってこれなかったら…。
私はシェルターの職員にも言えず、悩んでいた。

順調にいってたのにな…
どうしよう…。

どうすればいい…

もうどうにもならないか…

パニックになっていた。

もう契約は明後日だ。

契約当日までには持ってきてもらうはずだったのに…。
まして貸してくれたお客さんになんていえばいいんだ…。

シェルターに居れる期間もギリギリだ…
どうしよう…。

シェルターの職員の人に相談するか…
どうしよう…

私は、知人に電話をした
「どうやって20万用意するの?」
そしたら「親に借りるか借金してでも返す」
と言ってきた。

その日の夕方、知人のお母さんから電話がきた
「ごめんなさいね…話を聞いたよ、ごめんなさいね…お金が私が責任をもって持たせるから…。うちの子がなんてことをしてくれたんだ…。本当にごめんね」
と謝ってきた。

あぁ…お母さんに話したんだ。

なら大丈夫か…

少し安心した、

翌日、午後知人はお金をもってシェルターの近くまで来た。

「本当にごめん…」
「なにに使ったの?」
「…パチンコ…」
「…」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。

彼女のギャンブル好きは知っていたが、人のお金にまで手をつけるとは思ってもみなかった。

ちなみに知人のお母さんはパートを2件掛け持ちしてまで仕事をしているのを知っていたが、さすがに私も「返さなくていいよ」とは言えなかった。

そもそも私も人からの恩義で貸してもらっている身…。
返さなくていいよとは言ってくれたけど、そういう問題ではない。

その経緯を知っていながら、よく使えるな…。
もうこれでこの人とは終わったな、
と思った。

そして、どこのアパートを借りるか、なども伝えないまま別れた。

なんとも歯切れの悪い別れ方になってしまった。

もちろん、一時的にでも置いてもらったことには感謝している。
そして、そのおかげで「今」がある。

だからと言ってなんでも許せるものではなかった。
まして「人から預かったお金をギャンブルで使う」などもってのほか。

少しなら私もお世話になった身だから許せたかもしれない。

少しと言っても1.2万円くらいだが…。
その当時は1.2万…いや、千円でも惜しいくらいだった。
けれどお世話になったという気持ちがないわけでなはい。

ショックといえばショックだったのかもしれない。
信用もしていたから…。

なんだかんだありながらも、契約まで漕ぎけつけた。

そして、シェルターの人と不動産屋さんと一緒に部屋に行った。

鍵を渡され…

「ガチャ…」

明日から、私の家!

8畳一間の1K。

陽当たり良好…まではいかなかったが
お日様は入るようだ。

キッチンは1畳くらい
そこに洗濯機や食器などを置いたら、もう動けなくなるくらいだけど
嬉しかった。

そして、シェルターに帰ると
「明日がシェルターに居れる期限の最後です」
と言われた。
「明日から頑張ってね!」
と言ってくれた。

丁度確か土日だったから、家電を買おうと思っていたような気がする。

ぼーっと考えていたら職員の人が
「あ、これ、持っていく?1ドア冷蔵庫だけど、最初なら丁度いいんじゃない?こっちでも前の人が置いていったものだから使わないし」
と、冷蔵庫を持ってきてくれた。

あ!冷蔵庫までは考えてなかった!

私は素直に受け取った。

冷蔵庫とか以外に高いんだよな、たしか…。

そしてあのアパートの狭さだと2ドアとか置くところないしな…

私はシェルターでの最後の夜ごはんを食べた。

もちろん、明日私が居なくなることは誰も知らない…
お別れもできないのだ。
改めてお礼を言うこともできない。

この場を借りて、あの時知りあった人たちに感謝をしたい。
「ありがとうございました」

出入りも激しかったから名前すら知らないうちにいなくなる人もたくさんいた。

けれどシェルターに来る人は
「何かしら家には居られない状態の人が来る場所」

だから、なんだかんだ孤独を感じて生活していたと思う。

シェルターからどこへ行くのか、どこへ行ったのか、それはわからない。

けれど「自分の居場所」が見つかっていることを願っています。


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