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シェルターまで(後半)

新幹線に乗り東京へ 新幹線内ではずっと携帯がなっていました。 モラ男からはもちろん モラ男の友人とその奥さん。 しばらく電源を切っていましたが東京に着き呼んでくれた友人と連絡を取る為、携帯の電源を入れた直後もすぐ電話がなっていました。 大量のメールも。。 今でも記憶にある一つのメールの内容は モラ男から「もうオカン(姑)も、もう意地悪しないってゆーてるから帰ってきてくれ」 兄夫婦の嫁は姑を嫌っていて寄り付かない、子供を抱かすことすらさせてくれなかったからと 私にはなるべく子供連れて実家に遊びに行ってくれ、と言われており モラ男と姑の希望で義実家近くの保育園を選んでお迎えは曜日を決めていたのに勝手に早い時間に迎えに行き好き勝手お菓子やジュースを与える 私には嫌味のオンパレード。 妊娠した時は「モラ男には言わんでな。ほんまにモラ男の子なんか?」 出産した直後病院では大きな声で「間違いないわ~お父さん(義父)にそっくり!」 などなど、きりがなくなるので書きませんが モラ男には何度も相談し我慢していたのに今更何なんだろうとしか思えませんでした。 無事、呼んでくれた知人の家に到着し、夕飯をごちそうになりました。 モラ男の顔を見なくていい声を聞かなくていい、そう思うと安心できました。 翌日 役所に連れていってもらい、相談窓口へ 私と友人それぞれで事の事情を説明。 一旦はシェルターで保護してもらえる事になりました。 友人宅にいることがいつバレてもおかしくない、遠いといっても数時間で来れる 友人も母子で親子3人預かるのは負担が大きいなどが理由だったと思います。 相談後 すぐ車が用意され友人とは
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離婚を決めてからシェルターまで(前半)

前回のブログで書いた、モラ男に〇されそうになり離婚しようと決めたところからシェルターで保護してもらうまでのお話です。今では家族からの暴力やDVで保護してもらえる事は一般的に周知されていますが当時はあまり少なく 警察は事件が起きてからしか対応はしてもらえません。命の危機を感じ離婚を決めてから、私が探した保護施設と言えば、1日500円で3食、保護所から 仕事に行き子供たちは保護所から通園。特に期限は設けられてはないところや期間は3ヵ月間など。一時的な保護はしてもらえますが、今後どうするといったことが全くなく時期が来たら実家へ頼るか自宅へ帰るか。。。という流れに。普通に話し合いができる状況であれば、別居しつつ離婚調停なり話し合いで済んだのですが、二人で話し合っても会話にはならず、友人に入ってもらい話す機会をもらいましたが、モラ男の友人夫婦が数組来て モラ男軍団vs私のような状況。。。ある意味袋叩きですもちろん自分の実家とも絶縁していたので頼れる実家もなく。。。当時、共通の趣味で仲良くしていた都内に住む友人に相談していたところ役所に相談にのってくれる管轄があるんじゃないかと教えてもらい当時住んでいた場所の役所に相談に行きました。受付で、事の事情を話し役所で保護してもらえるんじゃないかと聞き、相談にきた事を伝え、私自身の事でしたが上手く説明できず、友人に電話をつなぎシェルターの説明をしてもらいました。しかし当時住んでいた街にはシェルターはなく、保護してもらえる施設を紹介できるがこちらで保護することはできませんとのことでしたやはり田舎は事例が少ないせいか制度が整っていなかったのが結論で友人
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「UAW=全米自動車労組」、時給22000円要求!

アホか?!時給22000円って、もう日給じゃんか!!(^^;;;え~っと、「時給22000X8H=176000円/日」って、ア~タ!そりゃ、もう一日で「月給」じゃ!^^:なんなん???それって、ナンナン???ボクも最初の会社で「労組」というか「青婦協?」とかっていう若い青年たちが「無理やり?」入会させられる組合の青年部?みたいなヤツに入ったよ。あの時代はまだ「民社党」とかっていう会社組織なんかに「票?」を持つ政党があって、ボクの会社もその政党を応援し、「組合活動やレクレーション」等をよくやっていたね~。ヤレヤレ。(^^;ま、たのしい「スキーツアー」とか「スケート大会?」とか「ボーリング大会?」なんかもあったよ~に思うね。だけど、誰も入らないので、ボクは指名されたのじゃ。トホホ・・・(;;ま、ボクのブログで有名な「おじいさん」も大会社の「広島組合長」じゃったね。でも、アメリカの組合って「ユニオン」って呼ばれるけど、ちょい要求し過ぎ?じゃないかい?「戦うユニオン」じゃ!まるで映画「ノーマ・レイ」のサリー・フィールドじゃね。ホホホ^^;日本なんて「じゃ~、今回は、会社と組合でこれっくらいでOKですね?」とかっていう「談合(だんごう)?」というか「調整?」、「お話合い?」というとても「なごやか」で「静か?」な「団体交渉?」が続く。(^^;決して「御用組合?」ではナイ!?「今回のベースアップは、3800円でどうですか?」「いやぁ~、もうちょっと上げてもらわないとねぇ~、マスコミも騒ぎますよ!こんなに売り上げ上がっているし、昨年もベースアップゼロだったしね~。」「じゃ、しゃ~ない!4200
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「超貧困世代60代以上の女性を救え!」

ボクは、若い時「東京」にいた。「広島」から「東京」へ、12年間。「自由が丘」、「豊洲」、「池袋」、「江古田」・・・ちょっと懐かしい。誰もが知っていそうな場所ばかり。もちろん「渋谷」もよく行っていた。しかし、そこで「悲惨な事件」があったのを全然知らなかったよ。2020年11月、渋谷区幡ヶ谷のある「バス停」で起こった。そこには「64才のホームレスの女性」がいた。そこを居場所にしていた女性、そこを通り過ぎた「ひきこもり男」が、「なんか、ジャマだ!」との一方的な言いがかりをつけ、「石の入ったペットボトル」で頭部を殴りつけ、死亡させた。「くも膜下出血」だ。あとで、老母と一緒に出頭したが、仮釈放の間に「自殺」した。なんとも「痛ましい」事件だけど、彼女はね~、「広島出身」なんだよ。「広島」では「劇団女優」もやっていた「笑顔の魅力的な女性」だった。あだ名は「ミッキー」だ。どうして渋谷で「ホームレス」をやっていたのか?少し前には「試食販売員」として働いていた彼女。「コロナ」での「解雇」が襲った。「そんな状態なら、’生活保護’でも申請したらイイのに・・・」「いいですか?」「生活保護」って、税金です。なるべく市役所も「お金」を出したくないんだ。もし「市役所」に「お金」が足りなくなると「公務に支障が出たり」、最悪だと北海道の夕張市のような「破産団体」として「国とかの直轄管理となり、職員の解雇や減給、その他のあらゆる削減を強行される」と聞いたことあるよ。おそらくそうじゃ。だから、もし生活保護申請しても、「あの~、できれば住所地で申請していただけませんか?」「ネットカフェではダメなの?」「はい、実際の住所
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「3Dプリンター住宅550万」(コンクリ製)

ほぉ~、やっと日本も「3D」ハウスに目覚めたよ~じゃね。^^その会社は兵庫県西宮市の「セレンディクス」という会社じゃね。しかも「建築時間は、45時間ほど」耐火性、耐水性、耐熱性、耐震性?、防音性?もかなりアルと見たね。地震や台風、「暴走族?」にもいいかもよ。^^ローンもかなり「軽く?」なるね。土地もそんなに必要ないから、あと「車2台分」くらいの余裕あればいいじゃんか。建蔽率、容積率次第だけどね~♪^^前々から、機械、建設分野とか~「3D」技術とかってすでに「実用化」されていたからねえ~、それがとうとう「家」にまできたか!^^というか~、実は前からボクは知っていたけどね。^^ただ、前の「3Dハウス」って、まだ水道とかの設備が整ってなかったので「単なるハコ?」みたいだったんだ。それがねえ~、とうとう「1LDK」っていうヒトの住める感じになってきた。しかも「お手軽価格の550万」じゃ。前の「ハコ」が330万?だったかな?まあ~、今回の家は「2人」が住めるっていうのがイイね。^^なぜか問い合わせは、60代が多いという。なんでじゃろ?(^^;「古屋の建て替えも、1000万位かかるし~、なんか3Dハウスもいいかも~」ということなのかな??それと、「核戦争」に備えて?っていうことでもないじゃろ~けど、この「3Dハウス」って、やっぱ「コンクリ」でできてるし、かなりしっかりした作りだね。まるで「シェルター」みたい。なんか「コドモの頃の隠れ家?」的な感じかなぁ~♪^^ま、こういう「ムーミンの家?」の様な雰囲気もいいじゃん。^^あと「カラー」次第で、けっこう洋風というか、「モダン」なヨーロッパにあり
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「はだしのゲン」・・・3度目の投下?!

なんか、もう「終わっている戦争?」なのにまだ「継続?」してるみたいに見える。(^^;そう「ウクライナ紛争」じゃね。なんか太平洋戦争末期の日米戦みたいじゃん。もう日本は沖縄を壊滅され、もう「本土決戦」を決意?するという「バカげた論理?」で、日本を「全滅?」に追いやろうとしていた。だってもう「武器ナシ?」「兵士ナシ?」「食料ナシ?」でどうやって戦うの??今の「ウクライナ」がそうじゃん。ずっとゼレンスキーは世界に「武器くれよ」「兵士送れ」とか言っている?けど~、もう「停戦」を受けいれて、早く「国土復興」を目指したほうが、いいぜよ。もうアメリカの「禁止兵器?=クラスター弾」を地上にばらまいたら、あとど~するの??あの個別の地雷だって、「地雷除去」するのに大変で「死傷者」だってでるじゃろ~。それが、あんな「大量で、小型の不発も多いやっかいな爆弾」を誰かが踏んだり、蹴ったりしたら?・・・こわいぜよ!(ーー;ヤバイもうね~、なんかイヤだけど「ウクライナ」は「敗戦?」しているんだと思う。;;(おそらく負けているので禁止兵器を使うんだ)だから、ここで「負けを認め、国土の20%」をロシアに提供?し、一時的でも「停戦」に合意したほうがいいぜよ。なんで、まだ、テレビとか新聞とかで「善戦」してるみたいになってるの??しかも「戦死・戦傷者数=35万?」くらいなのかな??ウクライナ人口比でいくと、まだ「戦士」っているの??そう、ソルジャーじゃね。(^^;徴兵イヤだから、かなり「逃亡?」してるでしょ???ちがう??まさかの、このままいくと「どっちかが、広島、長崎、の次の3番目の(原爆投下地)」ってならないかい
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離婚まで…36

20万円…。これがあればアパートが借りれる!けれど、シェルターに帰ると、このお金、没収される…。どうしよう…。そして、思いついたのが、知人に預かってもらうことだった。「大金だから怖いけど、アパート決まるまで預かっておくね!」と言ってくれた。シェルターに帰り、職員の人に事の説明をした。そしてそのお金は知人に預かってもらっていることも伝えた。職員の人は「いろんな人がいるから大金をもってたら危ないからね」と言ってくれた。そして、早くアパートを探そうとも言ってくれた。そして、前回見ていた35000円のアパートの物件を見に行くことにした。保証人などが必要だったが、シェルターの職員の人が付いてきてくれて不動産屋さんに話をつけてくれて、大家さんにその場で電話してくれて「貸してくれる」ことになった!よっしゃ!!順調だ!35000円あれば入れる!あとは家電などがリサイクルショップなどで揃えよう!と、そんなとき、シェルターで私に色々してくれたi子さんがシェルターを出るという話を聞いた。その人の行く先は誰にも教えない、教えられない決まりだった。ただi子さんは「このシェルターの近くにはいるから!」とだけ言って翌朝には居なくなっていた…。みんないなくなる…。そんな中、シェルターの上は「母子寮」になっていたことがわかった。全然顔も合わせないからそんな施設が併設されているのは知らなかった。どうやら玄関が違うらしい…。その母子寮に入っていた若いママが話しかけてきた。子供はまだ1歳くらいだったと思う。髪を金髪にして、いかにも「今時のママ」のような恰好をしていた。ハスキーな声で「シェルターいるの?」などと話しかけ
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離婚まで…34

女性相談所…シェルター…。そこは私にとってとても気持ちがゆっくりした場所になった。朝起きて、子供を着替えさせ朝ごはんを食べる、歯を磨いて部屋を掃除したり、洗濯をしたり…。そして子供たちを遊ばせる。お昼ご飯を食べて、お昼寝させて、おやつを食べて遊ばせる。夜はご飯を食べて、お風呂に入り、三人で川の字になって寝る。そんな何気ない生活も今まではできなかった…。何日かすると、一人のおばさんが話しかけてきた。そのおばさんとはすごく仲がよくなった。口は悪いけど悪気がない、さっぱりした性格の人だった。年齢は…50代くらいの人。その人は自分からどんな理由でここに来たかを話してくれた。その人は知人からの嫌がらせで家が火事になって全焼したそうだ。それで急遽ここにきたらしい。知人は捕まったのかどうかもわからず不安だというのだ。そのおばさんをi子さんとよぶことにします。i子さんは子供たちにも優しくしてくれた。外で遊ばせたいから自分が付いてい行くから外に出してやってくれ、などと職員に頼んでくれたりした。職員からは30分だけ、という条件を出されたが、それでも子供たちにとっては嬉しいことだった。1週間くらいずっとシェルターの中にいたから子供たちも大はしゃぎだった。すぐ近くに公園があったのもありがたかった。生後6か月の息子はベビーカーを借り、ベビーカーで移動した。そうして、数日経った。その間、何もしないわけではない、仕事を探したり、保育園を探したり…、色々なことをしていた。けれど、車もない、特別な資格があるわけでもない、離婚もまだ済んでない状態、仕事などあるわけがなかった…。ましてや中卒…。子供が病気になったと
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離婚まで…33

その家は暖かかった…。「家族」というのにふさわしかった。バイトも少しずつ慣れてきて、嫌味を言うお客さんもいたけど、ママも応援してくれて、ぎこちないながらもバイトを続けていた。母親は到底、このA子の家はわかるまい。けれど、もし、また今までのようなことがあったら、この家族に迷惑がかかる…。早くお金を貯めて部屋を探さなければ!毎日5時間働いて5000円…。タダで置いてもらうわけにいかないのでそこから少しA子のお母さんに渡していた。けれど、子供のオムツ、ミルク…。追いつかない…。2週間くらいたっただろうか…。様子がおかしくなった…。A子の様子も…。家族の様子も…。何かぎこちない…そんなある日、A子のお母さんから「話がある」と言われた。「悪いんだけどね…。おばあちゃんが他の家への体裁が悪いっていうのよ…。けど私たちもあなたの状況はわかっているつもり、だからこのまま出て行ってとも言えない。それでね、色々役所の人に聞いたりしたんだけど、『女性相談所』というところがあるらしいの、そこだと守ってもらえるし子供たちも安心できると思うの、それでその方がいいと思ってね手続きしてきたわ、明後日A子に送って行かせるから…。」と言われた。私は、「女性相談所」というところがあるのすら知らなかった。A子のおかあさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「ごめんなさい…。そういう施設があるとは知らなくて…。ありがとうございます」と頭を下げた。この数日間、私がバイトに行っている間、みんなを悩ませてしまった…。携帯はとうとう止まってしまった。払えなかった。女性相談所に行くまでは、みんな優しくしてくれた。最後の夜、私は
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