その家は暖かかった…。
「家族」というのにふさわしかった。
バイトも少しずつ慣れてきて、嫌味を言うお客さんもいたけど、ママも応援してくれて、ぎこちないながらもバイトを続けていた。
母親は到底、このA子の家はわかるまい。
けれど、もし、また今までのようなことがあったら、この家族に迷惑がかかる…。
早くお金を貯めて部屋を探さなければ!
毎日5時間働いて5000円…。
タダで置いてもらうわけにいかないのでそこから少しA子のお母さんに渡していた。
けれど、子供のオムツ、ミルク…。
追いつかない…。
2週間くらいたっただろうか…。
様子がおかしくなった…。
A子の様子も…。
家族の様子も…。
何かぎこちない…
そんなある日、A子のお母さんから「話がある」
と言われた。
「悪いんだけどね…。おばあちゃんが他の家への体裁が悪いっていうのよ…。けど私たちもあなたの状況はわかっているつもり、だからこのまま出て行ってとも言えない。それでね、色々役所の人に聞いたりしたんだけど、『女性相談所』というところがあるらしいの、そこだと守ってもらえるし子供たちも安心できると思うの、それでその方がいいと思ってね手続きしてきたわ、明後日A子に送って行かせるから…。」
と言われた。
私は、「女性相談所」というところがあるのすら知らなかった。
A子のおかあさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんなさい…。そういう施設があるとは知らなくて…。ありがとうございます」
と頭を下げた。
この数日間、私がバイトに行っている間、みんなを悩ませてしまった…。
携帯はとうとう止まってしまった。
払えなかった。
女性相談所に行くまでは、みんな優しくしてくれた。
最後の夜、私はA子に心からの感謝を伝えた。
そしてお互いに泣いた。
子供のいないA子は「少しの間おばあちゃんにひ孫を見せられた気分になったよ、嬉しかった」などと話してくれた。
女性相談所に行くと連絡や接触は一切とれないらしい。
バイト先にもやめることをいい、ママも事情を知っているので「お母さんなんだから、頑張りなさいよ!」と送り出してくれた。
前の夜に荷物をまとめ…
次の日、午後1時に到着予定ということで、A子の家族にお礼をいいお別れをした。
女性相談所までは車で一時間ちょっとのところにあった。
そして、車から荷物を降ろし玄関に入ると数名の女性の方が待っていてくれた。
そして、A子ともココで帰ってもらう、という。
A子にお礼をいい、女性相談所に入った…。
まず、なにがあったか、なにをされたか、今までどうしてきたか、など細かく聞かれた。
私は今までのことを全部話した。
祖父母の死、父の自殺、母親の虐待、学校のイジメ、借金、子供を取られていること、旦那からの暴力…。
一通り話した後、相談所の人は
「もう安心ですよ。ここには身内も入れませんから」
と…。
そして、お金などは一切要らない、衣食住もきちんと確保できると話してくれた。
子供のオムツ、私の服など全部支給されるという。
私は一気に肩の荷が下りた気がした。
「他の人もここに住んでるけど何があったなどは一切聞かないこと」などを約束させられた。
携帯電話なども預かっておく、と。
まぁ使えないから別にいいけれども…。
話が終わると、これから過ごすであろう「部屋」に案内された。
6畳くらいあっただろうか。
テレビとちょっとしたタンスと布団が置かれていた。
けれど、子供たちははしゃいでいた。
本当に子供は私を生かしてくれる。
そして必ず長男を迎えにいくと決意した。
食事は食堂があって、それぞれ決まった場所のテーブルで食べることになっていた。
そこで初めて「ここに住んでいる人」がわかった。
年齢はバラバラ。
自分より若い人もいた。
おばあちゃんくらいの年齢の方もいた。
お風呂は順番で入ることになっていた。
子供連れは私のところと、私より若いお母さんの二組だった。
その日は色んなことがありすぎて疲れていたと思う。
けれど、子供とだけで過ごす時間は有意義だった。
思えば子供たちと私だけ、という時間はあまりなかったように思う。
姑がいたり、母親がいたり…。
子供ながらにどれだけ気を使ったことか…。
そう思いながらその日は眠りについた。