結婚生活19

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多分、ブログを読んでいて、あれ?
と思った人もいると思う。

そう…。
私は特別なプロポーズなどもらってはいないし、入籍も日にちを選んだわけでもなく、あれよあれよと流れるままに入籍していたのである。

そして、運転免許取得した数日後、今度は車を購入する、と言い出した。
それも、お義母さん。

「好きな車選んでいいよ」
とは言ってくれたものの、結局はお義母さんの好きな車になった。
けれど、私は文句を言える立場ではなかった。

母親がなにもしないかわりにしてくれているのだから、ありがたい、とさえ思っていた。

結婚生活は順調に進んでいるかのように感じた。

だが、もうすぐ私が臨月に入ろうという時、18歳になった。

旦那が珍しく「出かけよう」というので、誕生日のサプライズかとワクワクしていた。

車を走らせながら、なにも言わない旦那。

着いたところは

「プ〇ミス」
店内に誘導させられ、初めて入るその場所は
消費者金融だったのだ。
断るもなにもなかった。
進められるがまま契約書だろうと思われる紙に色々書いた。
隣には平然とした顔の旦那が座っている。

18歳の誕生日に私は借金をさせられた。

30万円…。

私にはその中から一万円渡された…。

旦那は仕事をしていなかったわけではない。
旦那の父親の跡をついで「大工」をしていた。

が、結婚を機に個人で仕事を取っていた。

最初こそ仕事があったが、たぶんそれも尽きたのだと思う。

それを何に使われたかはいまだに不明であるが、
私たちのために使ってくれた物や何かは思い当たらない。

そして、お金が無くなると暴力を振るうようになった。
臨月の私を押し倒されたこともあった。

そうして、迎えた出産の日。

お義母さんやお姉さんなど駆けつけてくれた
6時間に及ぶ出産でとうとう赤ちゃんが産まれた。

看護婦さんが家族を分娩室に呼んだ。

お義母さんの第一声は
「あぁー!よかった!男の子!よくでかした!」
だった。

なに?その言い方。
まるで女の子だったらダメだったような言い方…。

私は素直に喜べなかった。

私が子供を産む時に決心していたことがある、

「子供に絶対虐待と思われるようなことはしない!」
それだけだった。

自分はわからなくても、子供だけは一生懸命愛情をもって育てよう!と思った。

出産してから退院するまで家族がきてくれたのは
たった1回。

私は惨めだった。
他のお母さんは、毎日のようにお見舞いや赤ちゃんの様子を見に来てくれていた。

その様子を察してか、看護師さんは「家に帰ったら大変だからなるべく新生児室に預けて!」
と声をかけてくれた。

退院の日、旦那がきた。

それからまた始まる地獄のような日々は想像を絶するものだった。


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