結婚生活20

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ちょっと前に時は戻って…

妊娠初期の段階で、お義母さんに言われた。

「あんた暇ならおしめでも縫ったら?」
と…。

今の時代、わかる人がいるのだろうか…
「布おむつ」…

私は、断ることができずに、
布おむつを80枚縫った。

そして迎えた出産で、あの言葉…。

息子に付けたい名前があった。

けれど、私の希望は1つも採用されることはなかった。

なぜなら、勝手に出生届を出されていて名前が決まっていたのだ。
私は後から知らされるという事態になっていた。

出産後の入院生活を終え、旦那の家に帰った。
そしたら、自分たちの部屋ではなく
「座敷」
だった。
そこには、私の布団と息子の布団が殺風景に置かれていた。

そして、「ここからは一か月間、ご飯以外でるな」
と言われた。

薄暗い、テレビもない
当時携帯電話もない
そしてお風呂に入ることはもちろん、シャワーを浴びることもさせてもらえなかった。体を拭くだけ…。
私が子供を産んだのは、昭和初期でもなく
平成9年だ。
時代錯誤も甚だしい…。

息子と二人きりになった。お義母さんは布おむつを取りに来る以外部屋にはこなかった。
その間旦那は、その部屋には一回もくることはなかった。

そうして一か月が過ぎた。

その間、弱音を吐くことは許されなかった。

一か月を過ぎてようやく自分たちの部屋で息子と寝ることができた。

夜泣きなどでは旦那は
文句は言わなかったが、同じくらい子供に関して関心もなかった。

一か月を過ぎ、どうやらお義母さんの通院の日が近づいていたらしい。
そうすると、自分を病院へ連れて行ってくれというのだ。

車で片道15分くらいのところだ。
3月ごろで、まだ外には雪があった。

最初は息子も連れて行っていたが、これが2,3回すると
「めんどくさいから息子は家に置いていけ」
と言われた。

めんどくさい?
おいていけ?

まだ生後1か月後くらの乳児を?

それに対して何か言おうものなら、
「誰が車を買ってやったんだ!」
などと言われた。

それを言われると私は何も言えず、息子を置いて
病院に連れていき、急いで帰って時間になったら子供を寝せてお義母さんを迎えに行く、そういう生活が続いた。


母親とは疎遠になっていたが、

5月の連休、舅が出稼ぎからかえってきた。
その時、
「結婚式を挙げる」
と言い出したのだ。

私は、結婚式はいらないと言っていたが、
「体裁が悪い」と言われた。

子供が落ち着く半年後に結婚式を挙げるというのだ、
そしてその式に母親も呼ぶ、と
私はも猛反対した。
それだけは、絶対に阻止したかった。
だが、それも体裁が…というので
「私は反対したからね、金銭面で何かあっても私に言わないでね」
とだけいった。

もはや結婚式は、私たちのための式ではなかった。

ドレスも、会場の進行も、なにもかも旦那のお姉さんが仕切っていた。

そして、私の方の招待状を作ると言われたが、
私は当時18歳。

周りは花の高校生だ

参加すら危ういし、なにせ呼べる「友達」
がいない。

お姉さんが母親と話をした結果、
ドレス代などは全部、旦那側が持つ
母親のほうは飲食代だけ負担してくれ、という条件で式を挙げることにしたらしい。

自分の意思ではないドレスを着せられ、旦那とも何一つ話し合わない結婚式…

それでも周りは
「結婚式を挙げさせてもらうだけありがたいと思え」
というのだろうか…。







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