と問いかけます。一度ではありません、何度も聞いて、何度も『あなたです』と言われて安心します。しかし日を置くとまた不安になって同じことを聞きます。
何度も『あなたが一番』と言われ続けたのに、ある日突然『あなたは一番じゃない』と言われてショックを受けます。
継母にとって国一番の美女であることが価値でありアイデンティティだったのでしょう。もしかしたら国一番の美女だから国王と結婚できたのかもしれません。
だとしたら尚更、二番目になった衝撃は図り知れません。
ここで継母が『でも大丈夫、自分には他に〇〇と△△という美点がある』と違う見方をすることが出来れば良かったのでしょう。
鏡の役割もとても重要です。人ではないのですから、人には出来ないこと(国中の人間を見比べて、一番の美人が誰かを決める)が出来てもおかしくありません。更にお后はこの鏡が『真実しか言わない』ことを信じています。
信じているからこそ、『あなたより白雪姫のほうが美しい』と言われてショックを受けたのでしょう。『そんなはずない』とは思えなかった。
誰が誰より美しいなど、固定の基準があるわけではありません。だから『そんなはずはない』と鏡の言葉を否定して、どちらがどんな点でどのように美しいのか、を
自分で考えて決めることが出来ればよかったのかもしれません。
典型的な抑うつ症状です。お后様なら(童話の世界なら尚更)気晴らしする方法はいくらでもあったでしょうに、まったく目もくれず、鏡に問いかけ続けたのでしょう。
夫である王様に聞くこともしない。王様なら妻と娘を比べて、鏡同様に公平な判断をしてくれたかもしれないのに。
夫に、自分の一番大事な価値観(もしかしたらコンプレックス)を相
談できる関係性を構築出来ていなかった、というのが、継母の淋しさの原因の一つでしょう。
継母の生きていく価値は、国一番の美女であることです。それを脅かす存在はこの世から失くしてしまえばいい、という、一番頭の悪い方法を取ってしまいました。
童話の中の悪役キャラですから、殺害に成功した(と思わせられた)としても後悔などしません。スッキリして、
一時的なメンタルの均衡を取り戻します。
ただし、現実ならそんなことありえるでしょうか。
殺害はないとしても、例えば気に入らない相手を集団(グループ、学校、職場など)から追い出して自分の目に触れないところへ追いやっても、どこかで後ろめたさを感じたり、そのやり口によって他の人から非難されたりもします。
また、一番の人がいなくなったから、二番の自分が一番になった、というのは、
ただの比較の問題です。
価値として、一番の美しさを手に入れたわけではありません。場合によってはまた自分より上の人が現れます。相手を排除して解決しようとすることは、
同じことを延々と繰り返さなければいけない悲劇です。
このラストは知らなかったのですが、王子と白雪姫の結婚式で、継母は真っ赤に熱せられた鉄の靴を履かされ、踊り続けて死んでしまうそうです。
結婚式に招待されて、最初は行く気はなかったのに、どうしても気になってしまい出席した結果、死ぬことになりました。
結局継母は、自分が国一番の美人でなければならない、という
自己像に振り回された結果、死んでしまったのでしょう。
白雪姫が成長するまでは間違いなく国一番の美人だったのですから、恐らく美人であることは間違いないのでしょう。
しかし
問題は「一番」であろうとしたこと。誰かと比較して、自分が上だと、〇〇は下だと
比較することで自分に価値を見出していたのでしょう。
それでは心が休まるはずはありません。24時間全力で走り続けているようなものです。少しでも気を抜けば抜かれてしまいます。
24時間走っている自分に価値を見出せば、例え疲れていても、誰かに抜かれる瞬間があっても、前を走る人を排除しようとして結果自分が排除されるようなことになったりしません。
白雪姫はなにもしない、ただ美しいだけです。継母より自分のほうが若く美しいと言ったりしません(そう言って戦いを挑んでくる姫なら、それもまた面白いかもしれませんが)。
継母の最大の敵は、
自分で自分を認めることが出来なかったこと、
自分軸が無かったことではないでしょうか。
しかし、大人になったなら、もう比較するだけでは自分は幸せになれないのでは、と気づく人が多いと思います。
自分の価値は自分で決める、という「
自分軸」を持ちたいですね。