【無料】「教育的無反応」の話と、「無視」ではない話

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発達支援に関わっていると「教育的無反応」、書籍によっては「教育的無視」という関わり方法に出会います

結構有名ですよね(´・ω・`)

ただ、この方法は大切にしなければならないことがたくさんあります

今回はその「教育的無反応」について以下に記述していきたいと思います


教育的無反応とは


「教育的無反応」とは

場面に適さない行動、言動をする人(子どもや大人)に対して、支援を行う者が反応を示さないことで、不適切な行動を一度なくし、別の行動につなげること

というのが一般的な認識だと思っています。ざっくり言うとホントにこんな感じです

生活の中で行動や言動の学習が「誤学習」になりがちな方に対して用いることがほとんどです

経験上、知的障害や、ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー特性)などのお子さん、成人の方でこの支援方法で関わる機会が多かったです

例えば、誤学習的に親御さんを叩くお子さんがいたとして

❶お子さんが家族を叩く→❷家族が怒る、声をかける→❸関わってくれた→❹家族と関わりたいときは叩こう

等です
❸の認識を持ってしまうところに、お子さんの特性、認知のゆがみが関係しており、❹学習結果にも大きく影響してきます

こういった❸と❹の部分に「無反応」を行いつつ、適切な行動を伝えることで、「教育的無反応」が支援として確立します

子育て、福祉、教育の世界の中でよく用いられる支援方法ではあります
しかし、間違った認識をもって行うとその効果も得られず、失敗することも多い支援方法になります

なぜ失敗するのか

ツイッターで失敗事例をこの前見かけました。先生のつぶやきですね
「授業中に教育的無視をしても上手くいかない」という…

その失敗には理由があります。端的に言うなら、それはやり方や考え方が根本的に間違っているからです

・誤学習と対人関係
お子さんの行動がまず「誤学習」だけかどうかという話なのです

この「誤学習」という学び方だけを見ると、お子さん、成人の方の行動の多くは、「相手を困らせよう」という意図はありません

正直にまっすぐに、ある意味自分の認識する世界の正道を歩んでいるといってもいいのです

ただ、私たちの正道と違うので、ちょっと歩みを変えてもらうという認識で「教育的無反応」を取り入れる という感覚です

「誤学習」に似ている、合わせて起こり得るお子さんの行動として「注意引き」や「お試し行動」があります

ある意味、「他者と関わりたい」という気持ちの成長と「他者の気持ちが分からない」といった心と理解のアンバランスさが生まれる瞬間でもあります

「注意引き」「お試し行動」は根本の原因として「心の満たされなさ」「私をもっと見てほしい」という気持ちなのです

ここが気持ちの成長とともに「誤学習」と合わせてこの行動が出てくることが多いです

ここで「教育的無反応、無視だ」と行って、結果として更に突き放すような行動になってしまう支援者がかなり多いのですが、逆効果になる場合が多いです

教育的無反応などの支援と合わせて、家庭環境へのアプローチや、クラスの状況の見直しなども考える必要があるのです

・チームでの連携が取れているか

「教育的無反応」はチームで行うことが前提だと私は思っています

無反応のあと、適切な行動をリアルタイムで伝え、しっかりした評価を本人に伝えることで、次回からの適切な行動に繋がっていきます

一人で行うと、無反応をした人がお子さんの行動声をかけて止めるといった、「意味のない状況」が出来上がってしまいます

「無反応をする人」、「適切な行動を伝える人」、と最低二人いることで、枠組みが整理されるのです

環境が整っているか

「教育的無反応」を行う際に、お子さんの行動のエスカレートは頭に入れておく必要があります
物に当たる
人に当たる
自分に当たる

周囲の環境を整えていないと、適切な行動につながる前に別の間違った誤学習につながってしまうケースもあります

なので、「教育的無反応」を支援に取り入れる際は、環境を調整し、計画的に行う必要があるのです

大前提に「信頼関係」があるか

対人関係が入り交じる「誤学習」で大切な基盤になるのは人との「信頼関係」になります

ここも段階があって、例えば、

「誤学習」+「他者との注意を引きたい」+「特定の他者との信頼関係が構築していない」お子さんは、

大きい声を出したり、走り回り、他のお子さんや大人の注意を引くような行動をとることがあります

それで誰かが同調すると、そこから「誤学習」につながっていくのです。この段階のお子さんに「教育的無反応」を行っても、どんどんエスカレートしていきます

無反応をしても、別に支援員に見てもらおうという気はなく、誰でもいいのです

ここで「当然自分に助けを求める、反応してもらおうとするだろう」と目測を立てる支援員は結構いますが、普通に恥ずかしい思いをして終わります

お子さんを支配的な意識、都合のいい方向性にもっていこうとする意識が垣間見えるのです

この次の段階、信頼関係ができている、「この人と関わりたい」というベースがあって、上記のような条件が整って「教育的無反応」という支援が機能するのです

個人的に「無視」という言葉は個人的に好きではないです

「無視」の意味は、存在価値を認めないこと。また、あるものをないが如くみなすこと

言葉狩りはあまり好きではありませんが、こういったニュアンスが含まれるなら、「無反応」の方が適切だと私は考えます

お子さんの状況をしっかり見極め、適切な対応をしていきたいですね(´・ω・



これからも少しづつ投稿していけたらと思っています

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