【感じられることに責任が持てる】
日常的スピリチュアル、安田です。
責任を持つことができるのは
感じられたことなのです。
逆に感じたことは
責任を持たないといけないのです。
感じている境地は
人それぞれで違うのですが
その違いというのは
分かりようがないのです。
なぜなら
私たちは他の誰かには
絶対に成ることはできないからです。
全く同じことを学んでも
感じ方が違うので
自分がどう感じているかを
把握すればいいのです。
感じられたことには
責任を持つことができ
全うすることができるのです。
大きな目的の場合は
自分の当代だけでは
限界がありますが
責任を持ったことというのは
次世代につなげることができるのです。
超長期視点から考えていることは
必ず何らかの形で引き継がれていくので
大きな志を持って歩める人は
より大きなことに
責任を持つことができるのです。
責任というと
重荷に感じ、プレッシャーを
感じてしまうのですが
責任を感じられた人が
全うしていかなければ
何も前に進まないのです。
責任というのは、位置や立場で
感じられることではないのです。
理想的には、位置や立場が
与えられている人が責任を感じ
全うしていくことなのですが
責任を感じられる背景が
人それぞれで違うので
位置や立場と責任が
一致しない場合があるのです。
何の影響力も持っていない人が
大きな志を持って
責任を感じるというのは
非常に苦しいのです。
現実の環境の中で
できることを
やっていくしかないのですが
志と責任感は
持ち続けてください。
思いがあっても
身動きが取れない時期は
準備をしていく時期なのです。
その準備の期間は
人によって違
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