#67 雷門の提灯にも使われる「若狭和紙」の職人が残り1人に 96歳の男性が引退、寂しさにじませ伝統託す
若狭和紙雷門の提灯にも使われる「若狭和紙」の職人が残り1人に 96歳の男性が引退、寂しさにじませ伝統託す
1/19(水)
1200年の伝統を誇る若狭和紙の里、福井県小浜市中名田地区で、紙すきを続けてきた和多田区の大江重雄さん(96)が今季、引退を決意し約80年の職人人生を終えた。
大江さんの紙は丈夫で、浅草寺(東京)の雷門の提灯にも使われている。職人がどんどん減る中、伝統をつないできたが「もう体が続かない」と断念した。若狭和紙の職人は残り1人になった。
和多田は延暦(782~806年)の頃、坂上田村麻呂の荘園だった。
この時代に和紙作りが始まり、遅くとも延喜(901~922年)には都に紙を納めるようになった。
小浜藩主の酒井忠勝が原料のコウゾ、ミツマタの栽培を奨励して製造が盛んになり、「若狭郡県志」には小浜市湯岡、おおい町名田庄三重でも作られていたと記されている。
良質な水と絶妙な繊維の混ぜ具合ですいた若狭和紙は、破れにくいのが特徴。嫁入りの時に持参した蛇の目傘や、呉服の包装紙によく使われたという。
大江さんは尋常高等小学校を卒業した14歳ごろから、若狭和紙職人の父親を手伝うようになった。
材料となるコウゾをたたいて柔らかくしたり、鍋で煮たり、下積みを経て初めて紙をすかせてもらったのは20歳過ぎてからで、その後、3代目を継いだ。
大江さんの和紙を取り扱ったことがある県外の業者は「破れにくい上にしなやかで、曲げや折りにも強い」と太鼓判を押す。
約30年前から雷門の提灯に使われるようになったという。
最盛期の昭和初期には約250軒が和紙をすいていたが、戦後に需要が減り職
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