アガスティアの葉の聖者は、なぜわざわざ個人の予言をするのか:私がナーディ代行を続ける理由1
以前、何故代行を始めたかはどこかの記事に書きました。(館自体に辿り着けなかったり、内容を理解しない人があまりにも多すぎるから)他にある細々な理由も、書いてみようかなと思います。いろいろあるので、3つぐらいに分けて書くことになりそうです。今日は、聖者がなぜわざわざ個人に向けて予言をするのか、という考察を書いていきたいと思います。あくまで私の感想です。ところで皆さんは、たった一人を助けるよりも、もっと大人数に貢献できるかもしれないことをしたほうが効率良くない?と思ったことはありませんか?私の友人は、「なんで個人あてに聖者は葉を書き残したんだろ?もっと、大地震とか、戦争とか、そういう歴史に関わるようなことを予言すればいいのに」と疑問に思っていて、私も、このことについてしばらく考えていたんですよね・・・・。とりあえず訂正なのですが、ナーディのこういう、国についての予言とかもちゃんとあります。人類自体の未来予言とかもあります(公開したくなくなるような内容なので、書く予定はありません)。コロナについての予言もありますし、ワクチンのこともあったし、このブログの最初の方に投稿させていただいたように、インド以外の国でも手に入る材料で作れるコロナ予防レシピまでありました。今日のトピックは、そういう予言ができる人たちなのに、どうして、わざわざ一人一人について、葉にわざわざ、一人の人生を書き残したんだろう。百万人でもなく、一千万人でもない、たった一人の個人の人生を。不思議だと思いませんか?人類を救える聖者たちがなぜわざわざそんな手間がかかることをしたのか、ということを少し掘り下げて考えていきたいと思い
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