「どっちでもいい」が薄くなっていた。
人には長所がたくさんあると思う。私でいうと、・好奇心がとても豊か。・「面白そう」を行動に移せる。・日常の出来事から学びを見つけられる。・物事を深く考えられる。など。でも、何事も表裏一体。場面によって見え方が変わるというか、どちらも存在していて、同じ性質がグラデーションのように価値を変えているんだと思う。例えば、・好奇心が強い ⇔ 興味があちこちに向きやすい・深く考えられる ⇔ 考え込むこともある・行動力がある ⇔ 思い立ったらすぐ動くこともある包丁も「切れる」という同じ特徴があるからこそ、料理では役に立ち、使い方によっては危険にもなる。長所と短所に分けてしまうと、良い・悪いになってしまうけれど、本当は、「同じ性質を、どんな場面でどう使っているか」なのかもしれない。最近の私は、自分の特徴を良い・悪いで見ることが減って、ただ眺めていられるようになった。「これが出来ている私は良い。」「こんな私はダメ。」そんな見方が、少しずつなくなってきた。だからこそ、ただ眺めたあとに湧いてくる「じゃあ、どうしたい?」という感覚を選べるようにもなっていた。でも先日、「眺めているつもり」だったのに、なかなかその感覚が消えていかなかった。「あれ? なんだろう?」そうやって探り始めた。ただ違和感を感じているだけのつもりが、気づけば理解しようとして重たくなっていた。「なんでだろう?」「どうしてだろう?」「理解したい。」そのとき、ふと気づいた。あぁ、“どっちでもいい”が薄くなっていたんだ。わからないままでもいい。わかってもいい。ただ感じていればいい。それなのに私は、理解してスッキリしたい。早くこの感覚を消したい
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