「どっちでもいい」が薄くなっていた。

「どっちでもいい」が薄くなっていた。

記事
学び
人には長所がたくさんあると思う。

私でいうと、

・好奇心がとても豊か。
・「面白そう」を行動に移せる。
・日常の出来事から学びを見つけられる。
・物事を深く考えられる。

など。

でも、何事も表裏一体。

場面によって見え方が変わるというか、
どちらも存在していて、同じ性質がグラデーションのように価値を変えているんだと思う。

例えば、

・好奇心が強い
 ⇔ 興味があちこちに向きやすい

・深く考えられる
 ⇔ 考え込むこともある

・行動力がある
 ⇔ 思い立ったらすぐ動くこともある


包丁も「切れる」という同じ特徴があるからこそ、
料理では役に立ち、使い方によっては危険にもなる。

長所と短所に分けてしまうと、
良い・悪いになってしまうけれど、

本当は、
「同じ性質を、どんな場面でどう使っているか」
なのかもしれない。


最近の私は、
自分の特徴を良い・悪いで見ることが減って、
ただ眺めていられるようになった。

「これが出来ている私は良い。」

「こんな私はダメ。」

そんな見方が、少しずつなくなってきた。

だからこそ、
ただ眺めたあとに湧いてくる

「じゃあ、どうしたい?」

という感覚を選べるようにもなっていた。


でも先日、
「眺めているつもり」だったのに、
なかなかその感覚が消えていかなかった。

「あれ? なんだろう?」

そうやって探り始めた。

ただ違和感を感じているだけのつもりが、
気づけば理解しようとして重たくなっていた。

「なんでだろう?」
「どうしてだろう?」
「理解したい。」

そのとき、ふと気づいた。

あぁ、“どっちでもいい”が薄くなっていたんだ。

わからないままでもいい。

わかってもいい。

ただ感じていればいい。

それなのに私は、

理解してスッキリしたい。

早くこの感覚を消したい。

そんなふうに、
答えを急いでいた。

「あー、これか〜!」

そう気づいたら、
なんだかおかしくなって、
ふっと笑えて力が抜けた(笑)。


最近思う。

「どっちでもいい」は、
諦めじゃない。

「私はどちらになっても大丈夫。」

という、自分への信頼なんだ。

だからこそ、

「じゃあ、私はどうしたい?」

と、自分で選べる自由が生まれる。


人でも。

物でも。

お金でも。

昔の私は、
何かを手に入れたり、
環境が整えば幸せになれると思って必死だった。

でも今は、

幸せは、
「何を持っているか」より、
「どんな在り方でいるか」
に近い気がしている。

だから私にとって「どっちでもいい」は、
とてもシンプルだけど、
知れば知るほど奥が深い。

試行錯誤を面白がれている今の自分が、
なんだか心地いい。



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こんなふうに、
言葉にならない気持ちを一緒に眺めるのが好きです☺️

気づいたら少し心が軽くなってた。
そんな時間を一緒につくれたら嬉しいです🌷





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