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東京と埼玉が震度5強

今日の23時過ぎに大きくて、ながぁあああああああああああいい地震がありましたね。皆さん、ケガはありませんでしたか?私はトイレでおしっこ中なので、避難することもできず、怖かったです。311のときもお風呂でシャンプー中でした。311のときよりもながく、311のときよりも揺れたのでびっくりしました。コロナ渦に洪水に地震にやヴぁいですね。将来、食料が足りなくなるから、色んな企業がコオロギの食品開発してるけど、食糧難のときまで、そもそも人間は生きてられるんですかね?人が足りなくなるから、AIが活躍してドラえもんの時代が来るようなんですけど、その時代が実現するまえに、隕石とかウイルスとかで、気候の変動とかで恐竜が滅亡したように人類滅亡してそうで・・・・皆さんはもし、隕石とかなんらかの事情で人類が滅亡することになったら、最後の日は何をしたいですか?誰と傍にいたいですか??『弥生、三月 -君を愛した30年」という映画しってますか?311の話です。とても良い映画なのでおすすめです。ずっとお互いに両想いで好きだったのに、三角関係で親友に遠慮して素直になれず、すれちがったまま大人になってしまったのです。そんなときに311が起きて、津波にのみこまれて、死んでしまったとおもって、すごく後悔して、好きな女性が亡くなってから、素直になればよかったと後悔するんです。実はまだ生きてたんですが・・・・死んでから素直になるのは遅いですからまた明日があるとか、そのうちとか先延ばししないでコロナとか何があるかわからない時代ですから、好きな人が死んでからでは遅いので素直に生きましょう。実は私の従妹(女)はすごく恋に奥手で
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多角的に視る事は大事

物事の見方は、一方向だけで見るのは気を付けた方が良いと言う事かつては私達は人生の中で会える人は近くの人しか会えなかったり、意見や経験などを聞く事が出来ずに一方的な偏向的なメディアが多かったです。敗戦国なので戦後教育の弱〇化計画により多くのメディアは、答えは一つと言う風になってしまいました。(歴史から紐解いた一つの見解です)ですがそれが今、多角的に知れる媒体がたくさん出来たので個人での発信も増えました。真偽を見極めるのも大切ですが、1人の生活で知れた事、人生、見解だけを盲目的に信じてしまうのが怖いのでいつでも自分で調べて考える力が益々、昨今の災害にしても感じます。必ずしも優良情報では無くても個人で発信しているメディアでコメントからも多角的に視たり知って考える事が大切です。特に大災害程、イレギュラーな事が多いからです。マニュアル的な事を言われたり避難訓練が必ずしも無駄ではないですが、ほぼイレギュラーだと感じたのは311の時。高層ビルの19階で当時働いていた私は、人生で経験した事が無い位の揺れを感じてとても驚き怖かったです。ビルの免震構造上、ゆっくりと揺らす様に出来ている為、船の中にいるかの様なゆっくりと地面がゆらりゆらりと揺れるので普通に船酔い、気分が悪くなります。体感的に震度6か7位だった気がします。その時は私も他の人も命の危機を感じたので何とか無事で良かったです。交通機関も無い、電話も通じないと言う状況でしたし、その後に取引先関係の方は、たまたま移動していて高速だったらしく地震の時は、止まらなくちゃいけないですから、そのまま、高速で止められて何時間も車の中。必ずしもパニックって
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できること

あの日、失われた命。 あたり前だった日常。 あたりまえの明日が来なかった人々。そうして、残された人はまた。 『あたりまえなんてない』ことを知る。 でも、時間が経つと。 またあたり前の日常を生きてしまうから。 無理に悲しまなくてもいい。 ただ、忘れない。 思い出して、これからのためにできる事を。 生きられなかった人の分も。 そんな重荷は背負わなくてもいい。 大きな気持ちがなくてもいい。 ただ、小さな行動が大きな力になる。 あなたにとっても。 みんなにとっても。 そんなあなたの行動、素敵な繋がりが。 大きな未来に繋がりますように。
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揺れましたね

福島のみなさまの安全をお祈りします。どうぞお怪我などなされませんように。今朝は関東でも揺れました。ここのところ頻繁に地震があり311を思い出します。当時は何年もかかった仕事が大詰めの段階で、初夏には完了する予定となっていました。管理職についていた私は体調を崩し、たまたま自宅にいて、その日の難を逃れました。わたしの実家は静岡ですが、こちらも大きく揺れたことが報道されてました。夜中まで連絡が取れずとても気を揉みました。そのあとはしばらく公私共に生きた心地がしない日が続きました。原発が爆発し、スーパーから食料が消え、飲料水の汚染が伝えられ地下鉄でさえ頻繁に携帯の警報が鳴りました。他府県から参加しているスタッフは帰りたがり、計画停電でスケジュールの遅延は確実となりますが遠く離れたところにある取引先からは「なんでおくれるんですか?」というお言葉。みんなが余裕を失っていきました。そんな中で私を支えてくれたのは妻の言葉でした。「私はもうここの人間(妻の実家は関西です)だから避難しない」娘が幼かったこともあり私としては非難をしてくれた方が正直安心でした。でも、妻はそれをしませんでした。そして、難関を乗り切ることができて予定通り初夏には仕事を完了させることができました。家族は無事にこの災害を乗り切ることができました。あの時の妻の言葉には今でも感謝しています。あのような状況で業務を進めてくれたスタッフにも感謝しています。周囲の人に支えられて自分は生かされていると強く感じました。一方で、厳しい現実とも向き合いました。その時に体得したのは「危機に陥ると人は本性をむきだしにする」というものいつもは温厚で
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