絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

8 件中 1 - 8 件表示
カバー画像

ツインレイに大切にされていないと思ったら…

こんにちは😊沖津蓮です。あなたは、魂の繋がりがある存在から大切にされていますか?素っ気ない態度をされたり、怒鳴られたり、大切にされていないと感じる時はありますか?時には拒絶を示してくるお相手もいるかと思います。拒絶をされると、自分を責めてしまう方も多いです。しかしながら、拒絶や大切にされていないと感じた時、自分を責めないで下さい。頑張らないで下さい。どうしても、鑑定では前向きになって欲しいため一緒に頑張りましょうという言葉が多くなってしまいます。ただ、辛い時は頑張らなくてもいいのです。“頑張らない”となると、“諦めてしまう”事だと思う方もいますが、そうではありません。力を抜くという事が大切なのです。そこで今回は力の抜き方、頑張らなくてもいい部分を紹介致します。ソウルメイトの為に頑張らないどうしてもソウルメイトやツンレイの為に頑張りすぎてしまう方がいます。しかしながら、それだと辛さが増すだけです。力を抜いて、、ソウルメイトの為ではなく自分為だけに頑張って下さい😌一度心に手を当てて、これは誰のために頑張っているのかと考えてみましょう。愛されようとしない愛されようと努力しないで下さい。お相手の好みに合わせたり、お相手のタイプの人になる事はありません。ありのままが美しいのです🤍自分磨きは大切ですが、お相手のタイプに無理に寄せなくても大丈夫です。我慢をしない我慢すべき時や、待つべき時は確かにあります。ただ、暴力や怒号に対して我慢すべきではありません。言い返す、または逃げて下さい。一番大切なこと一番大切なことは、自分自身を愛し許す事です。頑張っている自分が好きという方もいるかとは思いますが
0
カバー画像

「愛」するということの大きさ

「愛」は古代より人間がテーマにしてきた人生に欠かせないエッセンスであるようです。「愛」は物質ではありませんので、その在り方は人を悩ませてきたようです。多くの人に馴染みがあるのは「恋愛」の「愛」ではないかと思います。あなたは「恋愛」の「愛」をどのように感じるでしょうか。与えるものでしょうか。貰うものでしょうか。「恋愛」が難しいのは、人間が普段感じていない本能が働く部分でもあるからではないかと考えます。子孫を残す、生存するための本能です。ですので、意識しないまま搾取的に動いてしまう部分が多くあるように感じられます。子孫を残す点で言うと、性的欲求と強く結びつきます。人によっては「好きでなくても行為できる」という人もいるでしょう。それを受け入れられる人も居れば、そうでない人もいるでしょう。良い・悪いはなく、人間も動物の一種ですので、必要な能力の一つだと思います。この点が関わる人が合意できているのであれば、問題ないのでしょう。一方で「恋愛」には「相手を大切にし、守りたい」と思う愛情も含まれます。多くの人が探し求めるのは、この「愛情」ではないかと思います。この「愛情」と言うものが非常に曖昧なため、人生に大きな影響を与えることになります。嫌がる人も少なくないと思うのですが、極端に書きます。もし、読んでいる方が成人しているのでしたら「愛」はもう既に「貰うもの」ではありません。「愛」が足りないと感じるのは、これまでの経験によります。経験というのは、環境的・物質的・金銭的な面で他人が客観的に見て、満たされているように感じたとしても、当人が「満たされていない」と感じていれば「満たされていない」です。
0
カバー画像

愛し愛され生きるのさ

最近お友達からフォローやプレゼントなどをたくさんいただいています。他のサイトの話になりますが、suzuriさんでも結構いいねをいただけるようになってきて、ピクシブもファンボックスに登録してくださる方もいたり。めっちゃ愛のチカラを感じます。愛っていうと、何か胡散臭いけど、愛ってあるとベアたんは信じています。あい【愛】    そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。        かわいがり、いつくしむ心。「子にそそぐ―」。いつくしみ恵むこと。「神の―」。いたわりの心。         「人類―」        大事なものとして慕う心。         「母への―」。特に、男女間の慕い寄る心。恋。        その価値を認め、大事に思う心。         「真理への―」あい〖愛〗 アイ いとしむ・めでる・かなし・まな・おしむ    1.    かわいがる。いとしく思う。いつくしむ。いたわる。     「愛憎・愛妻・愛娘(あいじょう)(まなむすめ)・愛情・恩愛・慈愛・偏愛・博愛・寵愛(ちょうあい)・親愛・敬愛・鍾愛(しょうあい)・情愛・溺愛(できあい)・母性愛」    2.    男女が思いあう。親しみの心でよりかかる。     「愛執(あいしゅう)・愛欲・相愛・恋愛・求愛」ベアたんは特別に何かをしているというわけではありません。ただ、出来るだけありのままでいたいとは願っています。喜怒哀楽は必要以上に隠す必要はないと思っています。落ち込むことだってあるし、怒ることだってある。でも、そんなベアたんを優しく包み込んでくださるみなさんが大好きです。ベアたんに出来ることって、絵を描
0
カバー画像

愛ってなんだろう?

皆さんはこの質問に何と答えますか?なかなか哲学的な質問ですよね^^そして「好き」をずっとずっと深くして、大きく大きくしたもの。そんなイメージもあるかも知れませんね。愛ってどんなものだろう?私がここまで生きてきて、色んな人に出会い、色んな人と話し、色んな物語や、詩や、音楽に触れ、そして自分が辿り着いた「愛」とは…見返りを求めず、その相手を大切にしたいと思い、幸せであって欲しいと願う。やっぱりこれだと思います。ただそれだけです。それだけなのですがだからこそ、愛って簡単じゃないとも言えます。「こんなにしてあげたのに」「自分だけのものにしたい」「自分のことも愛して欲しい」「嫌われぬように優しくし過ぎてしまう」「自分の感情のままに傷つけてしまう」なんてこともよくあって、それはまだ恋であり、自分本位です。なので、「愛」ってなかなか口に出せない。ちょっと勇気がいる。結構、覚悟もいる。「本当に私はその域に達してる?」そう心で問いかけてじゃないと、口に出来ない。とても厳しい言い方をするならば、「愛していたのに裏切られたから憎い」は、「強く好きになったから自分を犠牲にして尽くしてあげたのに、そんな私を蔑ろにしたから憎い」に言い換えられると思います。私自身を振り返るとそうなのです。では愛した対象が、自分にとってとんでもなく許せないことを行ったらどうなるのか?瞬間、どうしてそんなことをしたのだろう?と疑問に思います。その回答が自分の倫理観と相反する場合は、もう愛する対象ではなくなったりもします。けれども、愛しくって「自分が尽くしたくて」介入していたことだから、自分を犠牲にしたとは思っていません。愛する
0
カバー画像

運命の人など存在しない

タイトルを見て、少なからず驚いた人がいるのではないでしょうか。 現在の日本人の多くは「運命の人」がいると信じ、出会いを求めています。 しかしアドラーは、「運命の人」を明確に否定しています。 その理由としてアドラーは、「全ての候補者を排除するため」だと述べました。 出会いがないと嘆く人も、じつは毎日のように多くの誰かと出会っています。 この多くの誰かとの出会いを、何かしらの関係に発展させるには、一定の勇気が必要になります。 そこで、関係を築く勇気をくじかれた人や勇気がない人が結果的に、「運命の人」という幻想にすがりつくのです。 目の前に愛すべき誰かがいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完璧な、もっと運命的な相手がいるはず」と可能性に生き、目を伏せるのです。 アドラーはこのような人たちを、「ダンスホールの壁際に立って、ただ踊る人たちを傍観している。こんな自分と踊ってくれる人などいるはずがないと決めつけ、運命の人をただ下を向きながら待っている人」と述べています。 しかし実際に、「運命の人」と結婚を決意したと言う人たちがいますが、そのような人たちをアドラーは運命を信じることを決意しただけだと述べています。 またフロムも「誰かを愛するという事は単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」と述べています。 アドラーは「運命とは、自らの手でつくりあげるもの」と述べています。 あらかじめ定められたものではなく、偶然に降ってきたものでもなく、ふたりの努力で築き上げてきたものであるはずです。もっと詳しく聞きたい方はぜひ一度ご連絡く
0
カバー画像

愛とは喜んでする自己犠牲

小説家の二葉亭四迷は I love you. を 死んでもいいわ と訳した・・・ という伝説の様な逸話があります 愛することとは 単に好きな気持ちとは 少々違うのかもしれません 愛とは思いやりであり 相手を慈しむ心 極論は 喜んで行う自己犠牲 なのかもしれませんね
0
カバー画像

こんなに苦しい想いをするなら出会わなければ良かった。

『こんなに苦しい想いをするなら出会わなければ良かった。』そう、思うことはありませんか???ディズニー映画、『ポカホンタス』に『私たちが出会わなければ、こんなことにならなかったのに。』 (It would’ve been better if we’d never met, none of this would’ve happened.)という言葉があります。 主人公ポカホンタスが想人のジョン・スミスに向けた言葉です。この言葉に対してジョン・スミスは 『僕は明日死んでもいい。君を知らない100年を生きるなら。』( I’d rather die tomorrow than live a hundred years without knowing you.)と応えます。二人の愛の深さを感じる言葉ですね。心から愛する人と出会い、苦しんでも愛を知らずに生きるよりもいいどんな結末になろうとも『出会えたこと』がとても幸せで『愛』の偉大さ、強さ、深さを感じます。
0
カバー画像

愛とは

愛し続けることは「覚悟」であり、愛され続けることは「努力」である愛する事と愛される事どちらの方が難しいかは一目瞭然愛するのは対象が誰でも出来るが、愛されるのは誰からでもとはいかない愛する人の為に自分自身と闘いながら愛され続ける努力をする愛とは愛せる自分を作る事から始まる
0
8 件中 1 - 8
有料ブログの投稿方法はこちら