私は、800個のおにぎりを握った。 ~「ともちゃん、どこまでできる?」~
2007年7月16日。午前10時13分。新潟県中越沖地震が発生しました。私は、深夜の営業を終え、眠っていました。突然、大きなタンスが、私の上へ倒れてきました。慌てて、タンスを押しのけ、裸足のまま外へ飛び出しました。気が付くと、足から血が流れていました。でも、そんなことは、どうでもよかったのです。私は、すぐに車へ乗り込み、店の様子を見に向かいました。途中で見た光景は、今でも忘れられません。家は、まるで紙で作ったように、ぺしゃんこになっていました。マンホールは、人の背丈より高く、地面から飛び出しています。別の店舗へ入ると、棚から落ちた焼酎の瓶が割れ、店の中は、息ができないほど、アルコールの臭いが充満していました。「またか…。」そう思いました。三年前の、中越地震が頭をよぎりました。翌日、村長から連絡が入り、私は村長室へ向かいました。そこには、東京電力柏崎刈羽原子力発電所へ、お弁当を納めていた会社の方もいました。村長は、その方へ、「どこまで対応できますか?」と尋ねました。でも、すぐには答えが出ませんでした。すると、村長は、私を見て、こう言いました。「ともちゃん、どこまでできる?」村長は、2,000個のおにぎりを希望していました。私は、「800個ならできます。」と答えました。店で一番大きな炊飯器は、二升炊きです。一度に炊ける量。握る時間。働く人数。すべてを計算すると、一日800個が限界でした。できない約束は、したくありませんでした。柏崎の本社で、ご飯を炊き、刈羽店で、私、社員、アルバイトが、握る担当、包装する担当に分かれ、塩おにぎりを作りました。最初の一週間は、毎日800個。その後は、避
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