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私は、300人分の豚汁を作った。 ~善意は、時に受け入れられない。~

2004年10月23日。午後5時56分。新潟県中越地震が発生しました。私は、出前の準備をしている最中でした。店の外へ飛び出すと、自分の足元の地面が、揺れるたびに、パカパカと開いたり閉じたりしていました。電気も、水道も、ガスも止まりました。冷蔵庫も、冷凍庫も止まっています。このままでは、店の食材はすべて駄目になります。私は考えました。捨てるくらいなら、温かいものを食べられない人へ届けよう。店で一番大きな、直径50センチほどの寸胴を使い、社員やアルバイトと一緒に、約300人分の豚汁を作りました。柏崎の本社から水を運び、バーベキュー用に備えていたプロパンガスを使って、何とか炊き上げました。出来上がった豚汁を積み、避難所へ向かいました。一番多くの人が避難している避難所でした。私は、役場の職員へ、無償で配りたいと伝えました。すると、返ってきた言葉は、「もし食中毒になったら、どうするんですか?」でした。私は、「今は、そんなことを言っている場合ではない。」そう思いました。でも、何も言えませんでした。社員が、「切ないですね…。ほかの避難所へ行ってみましょう。」そう言いました。私たちは、その避難所をあとにしました。道路は歪み、車に積んだ大きな寸胴の豚汁は、走るたびに、バシャ、バシャと揺れます。次の避難所へ向かいました。でも、そこには、十人ほどしかいませんでした。配れたのは、三杯だけでした。時間も遅くなり、その日の炊き出しは終わりました。翌日、柏崎の本社で、残った大量の豚汁を、私自身が捨てました。仕方ありませんでした。数週間後、私は、村長へ、この出来事を話しました。村長は、最後まで話を聞き、こう言
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私は、800個のおにぎりを握った。 ~「ともちゃん、どこまでできる?」~

2007年7月16日。午前10時13分。新潟県中越沖地震が発生しました。私は、深夜の営業を終え、眠っていました。突然、大きなタンスが、私の上へ倒れてきました。慌てて、タンスを押しのけ、裸足のまま外へ飛び出しました。気が付くと、足から血が流れていました。でも、そんなことは、どうでもよかったのです。私は、すぐに車へ乗り込み、店の様子を見に向かいました。途中で見た光景は、今でも忘れられません。家は、まるで紙で作ったように、ぺしゃんこになっていました。マンホールは、人の背丈より高く、地面から飛び出しています。別の店舗へ入ると、棚から落ちた焼酎の瓶が割れ、店の中は、息ができないほど、アルコールの臭いが充満していました。「またか…。」そう思いました。三年前の、中越地震が頭をよぎりました。翌日、村長から連絡が入り、私は村長室へ向かいました。そこには、東京電力柏崎刈羽原子力発電所へ、お弁当を納めていた会社の方もいました。村長は、その方へ、「どこまで対応できますか?」と尋ねました。でも、すぐには答えが出ませんでした。すると、村長は、私を見て、こう言いました。「ともちゃん、どこまでできる?」村長は、2,000個のおにぎりを希望していました。私は、「800個ならできます。」と答えました。店で一番大きな炊飯器は、二升炊きです。一度に炊ける量。握る時間。働く人数。すべてを計算すると、一日800個が限界でした。できない約束は、したくありませんでした。柏崎の本社で、ご飯を炊き、刈羽店で、私、社員、アルバイトが、握る担当、包装する担当に分かれ、塩おにぎりを作りました。最初の一週間は、毎日800個。その後は、避
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