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「安い服」の裏側で、誰かが払っているコストのこと。

クローゼットを開けるたびに、着ない服がある。そういう経験は、誰にでもあるだろう。私にもあった。バブル時代から積み上げてきたブランド品が、クローゼットの奥に眠っていた。何年も袖を通していないのに、手放せない。なんとなく、もったいない気がして。あるいは、いつかまた着るかもしれない、という根拠のない期待を持ちながら。ある時、思い切って全部処分した。驚いたのは、その後だ。それらを処分して、何一つ、困ることがなかった。そして、後悔もなかった。スッキリした、というより、軽くなった。長年背負っていたものを、やっと降ろせた感覚。それと同時に、ふと思った。これだけのものに投資してきたお金と時間は、いったい何だったのか、と。手放せなかった理由、心理学が教えてくれること行動経済学に「保有効果(Endowment Effect)」という概念がある。人は一度手に入れたものを、客観的な価値以上に高く評価する傾向がある、というのだ。手放すことへの抵抗感は、そのものへの純粋な愛着ではなく、「損をする感覚」への恐怖だったりする。つまり、クローゼットに眠るブランド品を手放せなかったのは、服が好きだからではなく、手放すことで「負けを認める」ような気がしていたからかもしれない。処分してスッキリしたのは、当然の反応だ。実は最初から必要なかったものを、手放して初めて気づいた...。心理学的には「認知的明確化」と呼べる状態だという。何一つ困らなかった、後悔もなかったという事実は、それをそのまま証明している。バブル時代の消費行動は、モノへの欲求というより、「持っていること」へのアイデンティティの依存だったのだと、今なら思う。
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「見られている」のは錯覚かもしれない...。         

見られているのは、私たちではない。人の目を気にすること。これは日本人、というより東洋人に広く共有された自己の基盤だと思う。前回も述べたとおり心理学者のマーカスとキタヤマによれば、欧米に多い「独立的自己観」は自分の内側にある意志や特性を核に自己を定義する。一方、東アジア文化に根付く「相互依存的自己観」は他者との関係性の中でしか自己を成立させられない。だから「自分がどう感じるか」より「他者からどう見えるか」が先に立つ。ここまでは、よく語られる話だ。だが、ここに一つ、決定的な錯覚がある。実際のところ、他人はあなたのことなど大して見ていないのだ、と言うこと。「変に思われないか」「浮いていないか」...。そう気にしているのは、たいてい自分だけだ。周りの人間は自分自身のことで手一杯で、あなたの服装や振る舞いを、あなたが思っているほど注視も記憶もしていない。この「他人は見ていない」という傾向は、スマートフォンの登場でさらに極端になっているとも思う。電車に乗れば、乗客のほぼ全員が、下を向いてスマホの画面を見ている。街を歩いていても、ながらスマホの人だらけだ。人々の視線の先には、常にスマホがある。だとすれば、私たちが気にしている「人の目」は、実は存在しないどころか、そもそも別の場所、その四角い画面に向いているのかもしれない。見られていると思い込んでいる視線の先には、私たちではなく、スマホがあるだけなのだ。たくさんの実物を見ることで、選択眼は養われる。だが、スマホで流れてくるものは、少し違うのではないか。「処理水準効果」と言う考え方がある。深く関わった情報ほど記憶や判断に残り、受け流すだけの浅い処
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日本人がオシャレに息苦しさを感じる、本当の理由

文化心理学が教える、日本人とファッションの深すぎる溝「ハイブランドや海外の着こなしを真似しても、なぜか自分が浮いている気がする」「トレンドの服を着ているはずなのに、息苦しい」...。服選びや自分の見せ方に、慢性的な違和感と自信のなさを抱えている大人たちは、実は多いのではないか。しかし、それはセンスの問題でも、体型の問題でも、予算の問題でもない。もっと根本的なところに、原因があると私は思っている。ファッションの撮影現場に立ち会っていた頃、ずっと気になっていたことがあった。日本人のフォトグラファーに「もっと寄っていいですよ」と伝えても、あと一歩、被写体に近づけないことが多かった。大概、引きの写真が多い。それがいつも私が思っていた印象で、なぜだろう?と思い続けていた。その答えが、心理学を学ぶ中でようやく見えてきた。OSが違う、という話心理学を学ぶ中で、「文化心理学」というジャンルに出会った。最初は、文化によって「好みや習慣が違う」程度の話だと思っていた。しかし実態は、もっと根深い。文化心理学が示すのは、西洋人と東洋人では「自己の定義」そのものが違うということだ。わかりやすく言うと、OSが違う。西洋、特に北米やヨーロッパの人々は「独立的自己観」を持つという。自分は他者から切り離された独立した個人であり、自己主張し、個性を際立たせ、差別化することが価値とされる。認知のスタイルも「分析的」で、対象を背景から切り離し、個体の属性にフォーカスする。一方、日本を含む東洋の人々は「相互依存的自己観」。自分は他者との関係の中に存在するものであり、空気を読み、調和を保ち、出すぎないことが美徳とされる。
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