子どもでいる前に、役を担っていた。
※母親を嫌いになりたい話ではありません。ただ、自分の人生を守るための話です。答えを出すための記事ではありません。ただ、同じ場所で立ち止まっている人に、「ひとりじゃない」と伝えたくて書いています。幼い頃、私は子どもでいるより先に、母の感情を受け止める役を担っていた。それは、「大変だったね」と言ってもらう側ではなく、「わかるよ」「そうだよね」と大人を支える側の役だった。母はよく、私に話をした。父のこと。お金のこと。うまくいかなかった人間関係のこと。近所で起きた出来事のこと。話題は違っても、そこに流れてくる感情はいつも同じだった。不満。不安。怒り。そして、自分は被害者だと肯定してほしい気持ち。私は、それを受け止めていた。否定せず、疑問も挟まず、母の感情が正しいものとして収まる場所になっていた。子どもにとって、親の感情はとても大きい。それを受け止めるには、あまりにも重すぎた。ときには、母の都合を守る役も求められた。「こう言っておいて」そう頼まれたあと、母は必ずこう付け加えた。「嘘も方便だからね」その言葉の使い方が違うことは、子どもながらにわかっていた。父に嘘をつくことは、何か悪いことの片棒を担がされているようで、父を裏切っているようで、罪悪感を感じていた。それでも私は、母が悪者にならないための役を引き受けていた。私は今も、昔も変わらず、嘘が大嫌いだ。嘘をつくのも、嘘をつかれるのも。感情をぶつけられることもあった。不機嫌を浴びることもあった。泣けば、怒られた。理由があっても、なくても。不安で泣いても、寂しくて泣いても。泣くこと自体が、許されなかった。それでも私は、泣いていた。泣きたかった
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