子どもでいる前に、役を担っていた。
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※母親を嫌いになりたい話ではありません。
ただ、自分の人生を守るための話です。
答えを出すための記事ではありません。
ただ、同じ場所で立ち止まっている人に、
「ひとりじゃない」と伝えたくて書いています。
幼い頃、
私は子どもでいるより先に、
母の感情を受け止める役を担っていた。
それは、
「大変だったね」と言ってもらう側ではなく、
「わかるよ」「そうだよね」と
大人を支える側の役だった。
母はよく、私に話をした。
父のこと。
お金のこと。
うまくいかなかった人間関係のこと。
近所で起きた出来事のこと。
話題は違っても、
そこに流れてくる感情はいつも同じだった。
不満。
不安。
怒り。
そして、自分は被害者だと肯定してほしい気持ち。
私は、それを受け止めていた。
否定せず、疑問も挟まず、
母の感情が正しいものとして
収まる場所になっていた。
子どもにとって、
親の感情はとても大きい。
それを受け止めるには、
あまりにも重すぎた。
ときには、
母の都合を守る役も求められた。
「こう言っておいて」
そう頼まれたあと、
母は必ずこう付け加えた。
「嘘も方便だからね」
その言葉の使い方が違うことは、
子どもながらにわかっていた。
父に嘘をつくことは、
何か悪いことの片棒を担がされているようで、
父を裏切っているようで、
罪悪感を感じていた。
それでも私は、
母が悪者にならないための役を引き受けていた。
私は今も、昔も変わらず、
嘘が大嫌いだ。
嘘をつくのも、
嘘をつかれるのも。
感情をぶつけられることもあった。
不機嫌を浴びることもあった。
泣けば、怒られた。
理由があっても、なくても。
不安で泣いても、寂しくて泣いても。
泣くこと自体が、許されなかった。
それでも私は、泣いていた。
泣きたかったから。
感じていたから。
今ならわかる。
あれは弱さではなかった。
私が私でいるための、
最後の抵抗だったのだと思う。
長い間、
私はこれを「仕方のないこと」だと思っていた。
どこの家にもあること。
大したことじゃないこと。
でも大人になり、
子どもを持ち、
逃げ場のない修羅場をいくつも越えてきて、
ようやく言葉が見つかった。
あれは、
愛情ではなかった。
教育でもなかった。
役割を背負わせることで、
子どもを使っていた。
今なら、
あれは虐待だったと言える。
怒鳴らなくても、
殴らなくても、
支配は起きる。
感情を処理させること。
罪悪感を背負わせること。
子どもに「守る側」をやらせること。
それは、
静かで、見えにくくて、
でも確実に、心を削っていく。
この話は、
誰かを断罪するためのものではない。
ただ、
「大したことじゃない」と
見過ごされがちな関係の中で、
子どもが何を失ってきたのか。
その構造を、
ようやく言葉にできただけだ。
私は今、
この役を降りようとしている。
子どもでいられなかった時間を、
責めるためではなく、
取り戻すために。
— Luminara
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