※これは、特別な家庭の話ではありません。
母との関係に違和感を抱えながら、
「私が我慢すればいい」と生きてきた人なら、
どこか心に引っかかる話だと思います。
答えを出すための記事ではありません。
ただ、同じ場所で立ち止まっている人に、
「ひとりじゃない」と伝えたくて書いています。
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それは、何か特別にひどい出来事があった日ではなかった。
怒鳴られたわけでも、
決定的な言葉を投げつけられたわけでもない。
ただ、いつものように、
私は傷ついて、失望した。
「またか」と思った。
同時に、「もう無理だ」とも思った。
子どもの頃、
私の中にはいつも心配と不安があった。
それは特定の出来事というより、
空気のように、常にそこにあるものだった。
でも、周りからはそうは見えていなかったと思う。
元気で明るくて、
何でもそつなくこなす優等生。
「しっかりした子」
「手のかからない子」
そう言われるたびに、
私はその役を疑わずに生きていた。
小さい頃から、
私は母を気遣って生きてきた。
母が可哀想だから。
母が不安定だから。
母を心配させてはいけないと思っていたから。
それがおかしいなんて、
当時は思わなかった。
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でも大人になり、
子どもを持ち、
逃げ場のない修羅場を重ねる中で、
私はようやく気づいた。
私が守ってきたのは、
母だけじゃない。
母の感情によって、
私の人生が縛られていたという事実だった。
距離を取れば、
楽になると思っていた。
でも、そう簡単には終わらなかった。
今日みたいな日が来るたびに、
私は何度でも失望し、傷つく。
そのたびに思う。
私は、
どこまで健気でいればよかったのだろう、と。
そして今日、
はっきり思った。
これはもう、
「分かり合おう」とする関係じゃない。
「頑張り続ければ報われる」関係でもない。
私は今、
母との関係を断ちたいと思っている。
それは冷たい決断でも、
復讐でもない。
ただ、
自分の人生を生きるために、
これ以上、踏み込ませないと決めただけだ。
この気持ちに、
まだ名前はついていない。
でも私はもう、
背負う役を降りてもいいところまで来ている。
— Luminara
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