「お母さんが可哀想」だと思わされていた私。
※母親を嫌いになりたい話ではありません。
ただ、自分の人生を守るための話です。
答えを出すための記事ではありません。
ただ、同じ場所で立ち止まっている人に、
「ひとりじゃない」と伝えたくて書いています。
幼い頃、私は母の愚痴の聞き役だった。その内容は、父のことだけではなかった。友達関係がうまくいかなくなった話も、近所で起きた些細な出来事も、母の身に起きるすべての不満や不安は、いつも私のところに流れてきた。私は聞き役であり、共感役であり、母の感情を受け止める“受け皿”だった。それは、寂しいとか、誰かに寄り添ってほしいという話ではなかった。話の核はたいてい父のこと。そして、お金のことだった。「お父さんが好き勝手にお金を使うから、うちは貧乏なんだよ」その言葉を、私は何度聞いたかわからない。小さな私は、それを疑うことなく受け取っていた。母は被害者で、父が悪い。そう理解することが、この家で生きるための正解だった。当時、母は働いていなかった。節約しているようにも見えなかった。冷蔵庫には、食べきれないほどの食べ物がいつも詰め込まれていた。それでも、「貧乏なのは父のせい」という物語だけが、繰り返し語られていた。私はいつの間にか、母の味方になる役を引き受けていた。父を責め、母をかばい、「お母さんは可哀想なんだ」と思い込むことで、この家のバランスを保とうとしていた。今ならわかる。あれは同情ではなく、役割だった。母の感情を受け止め、母の怒りに共感し、母の世界観を正しいものとして引き受ける役。そうすることでしか、家庭の空気は保たれなかった。子どもだった私は、母を守ることでしか、この家に居場所を持てな
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