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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑪」

(6)世界の「教育」を比較してみるとオモシロイ ①「飛び級・飛び入学」を認めれば「落第」も認めなければならない エリート教育と落第~フランスでは「エリート教育」こそ「国民教育」の基本と考えられ、全国津々浦々の小学校が人材を発見するためのネットワークとなっていて、どんな貧民の子どもでも、どんな田舎の子どもでも、才能は必ず見つけ出して、適切な進学の機会を与えます。そのため、中央政府や地域社会からの特別の激励や奨学金のような財政的支援システムがあるのです。その一方で出来ない生徒はどんどん落第させますが、親も子も平気で「もう1年やればいい」と受け止めると言います。 「2014年から15年にかけて『21世紀の資本』が飛ぶように売れた。原書のフランス語版は1000ページを超え、日本語版も700ページを超える大著にもかかわらず、である。その著者トマ・ピケティはフランスを代表する知性ともてはやされ、将来のノーベル経済学賞候補という呼び声も高い。  ピケティは、18歳で名門グランゼコールのエコール・ノルマル・シュペリウール(ENS、高等師範学校)に入学し、22歳の若さで博士号を取得。アメリカの名門大学MIT(マサチューセッツ工科大学)で教え始めた。彼の早熟な才能を開花させることにおいて、フランスのエリート主義が果たした役割は小さくない。  そう、ピケティの経歴が象徴しているように、フランスほどエリート主義や学力中心主義を徹底している大国はないのだ。  世界を席巻するアングロサクソンにも、イギリスのオックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)やアメリカのハーバード大学といった名門校は
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑫」

(6)世界の「教育」を比較してみるとオモシロイ ②「中等教育」に各国の特色が現れる イギリスのパブリック・スクール(私立)とグラマー・スクール(公立)~イギリスのエリートの60%はパブリック・スクール出身です。 「ウォータールーの勝利はイートンの校庭で得られた。」 (ナポレオンの軍隊を破ったウェリントン) 現代イギリスの教育制度~バトラー法(1941年)→ベイカー法(1988年)イギリスの公立学校の中等教育~グラマー・スクール~大学進学。テクニカル・スクール~技術系大学進学。モダン・スクール~就職・継続教育機関、義務教育5~16歳→コンプリヘンシブ・スクール~3種の中等学校を統合した総合制中等学校。イギリスの中等教育修了資格試験(GCSE=General Certificate Secondary Education)~中等学校在学中の14~16歳時、「Oレベル」=Ordinary Level→「Aレベル」=Advanced Level~科目数は300にも及び、その評価は一生つきまといます。「ASレベル」=Advanced Subsidiary Level、Aレベルの半分の教授・学習時間で習得されます(18歳)。→「大学」~オックスフォード、ケンブリッジなどの超一流大学、ロンドン、バーミンガム、ブリストル、リバプール、マンチェスターなどの近代的大学、キール、エセックス、サセックスなどの新大学の3つにグループ分けされます。フランスのリセ(国立)とコレージュ(公立)~ドイツのギムナジウムと同じく、「古典語」(ラテン語、ギリシャ語)と「宗教」を主な教育内容としていました。1829年よ
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑩」

(5)「教育」とは結局「人間観」と「教育制度」である ②国家・社会の持つ「理想的人間像」が「教育制度」を形成する ケルシェンシュタイナーの「労作教育論」~小さな労作共同体における生活や学習が国家という大きな労働共同体での生活の準備になるという観点から、「労作教育」と「公民教育」を結合し、国民学校と実業補習学校を陶冶の場としました。 ナトルプの「社会的教育学」~意志は集団生活の中で最も重要であると考え、教育の根本は「意志の陶冶」であるとし、「教育の社会的意義」を強調しました。 デュルケームの「教育社会学」~デュルケームは「社会学の父」と呼ばれ、「教育」とは「各社会が固有の理想に従って、個人を社会化すること」「成熟した世代が未成熟の世代に対して行う、組織的社会化の行為」としました。 戦前日本の教育~「忠君愛国」と「資本主義の育成」。 「日本の経済発展の秘密を解く鍵は全く国民教育の普及にある。・・・これを国力の未だ整っていない時に見抜いて、早くも義務教育を強行したのは、経済史にとっても極めて重要な点である。」 (東畑精一『日本資本主義の形成者―さまざまの経済主体―』) アメリカの初等教育~最大の眼目は英語を教えることでも、数学を教えることでもなく、「アメリカ人であること」を教える所にあります。このため、日本からアメリカの大学院に行った留学生がアメリカ人の大学生に「英語」を教えることすらあるのです。2番目の眼目は「コミュニケーションの仕方」についての教育で、これは多様性に富んだ多民族国家であるので、自分と全く考えの違う人の意見をどう理解し、逆に自分と考えも利害関係も宗教も違う人にどうや
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑦」

(4)「実学主義」から出発した「近代教育」のスゴさ ①「リアリズム」の根底には「合理主義的精神」がある 教育の近代化~形式化した人文主義に対抗して、16世紀に事実・経験・実践などを重視する「実学主義」(リアリズム)が起こり、17世紀以降、自然科学や哲学の経験論の影響のもとに有力になります。 →「宗教から科学へ」「注入から開発へ」 →「アカデミー」(学士院)、「レアルシューレ」(実科学校) 「*1コジモの文化政策もまた、絶対主義王国の栄光化にむかって統合された。まず第一に、知識人、芸術家らは、君主であるコジモに仕える宮廷人(延臣)として、コジモの統括のもとに置かれた。このもっとも明瞭な例が、王立アカデミーの創設である。  現在文明国のすべてに存在する近代的アカデミーの組織、つまりは、その国家が有する知識人を国家財産として統括し、国家の与えた組織の中に組み込んで、その中で地位、名誉、財産を与えるという知識人を取り込む権力的構造の原型は、この時代のフィレンツェにおいて発生したのである。もっとも、すでに老コジモのころから、優れた学者芸術家の集まりである緩いかたちのグループがアカデミアと呼ばれていて、それをメディチが保護してきたという伝統が基礎になってはいた。だが、今度できた組織は任務や階級などの規定が明確で、国家組織として整備されていたところがまったくちがっていた。  最初にできたのは言語アカデミーのウーミディ(湿った者たち)のアカデミーで、一五四〇年に創設されたが、三月もたたぬうちにそこにコジモ大公が介入し、自らその保護者になった。彼はすぐさま名称を国家的な名前アッカデーミア・フィオ
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑥」

(3)「宗教教育」と「世俗教育」の分岐点はどこか ②人間の「二重性」を認めた「世俗教育」の意義 「宗教は無くなっても、教育は残る」~宗教改革者ルターも宗教的契機からの教育を否定し、国家的契機からの国民教育を主張しました。 「霊魂や天国や地獄が無いとしても、なおかつ現世のために学校が必要なことは、ギリシャやローマの歴史に徴して明らかである。世は教育ある男子と女子を必要としている。男子はまさしく国を治め、女子はまさしく子供を養育する家政を整えるために。」 (ルター「ドイツ諸都市の市長及び市会議員に告ぐる書」) 公教育の世俗的中立性の原則~「アメリカ公立学校(国民教育)の父」ホレース・マンによる義務教育法に始まり、マサチューセッツ州の「公立学校の世俗化規定」で確立されました。 教育投資論~教育は「物質的富の最も多産な親である」「財産を蓄積するのに最も確実な手段である」「教育は暴力や詐欺によって、かつて蓄積された以上に確実に、そして速やかに財産を作り出す特権を有している。…それはむしろ長期にわたって高い収益をもたらす固定資本に類似している。(ホレース・マン)大学の世俗化~宗教的権威が後退し、商工業の発達を背景に世俗的権威が進出します。そのため、大学教育において、自然科学・社会科学が大幅に導入されます。これはアメリカでは1635年設立のハーバード大学が先鞭をつけ、18世紀初から旧来の古典語・数学と並んで、デカルトの論理学、ニュートンの物理学が講じられるようになりました。やがて、1755年のペンシルヴァニア大学設立に至り、大学は宗教的指導者だけでなく、社会人・職業人の養成を目的とするように
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑤」

(3)「宗教教育」と「世俗教育」の分岐点はどこか ①教育は基本的に「宗教教育」だった 教育は教会や寺院が担った~中世ヨーロッパでは「唱歌学校」(初等教育機関)、「修道院学校」「本山学校」(中等教育機関)といった「教会学校」が教育を担い、日本では「寺院」が長らく高等教育機関で、後に「大学」「国学」「別曹」などが官僚養成機関として整備されていきました。江戸時代には「昌平坂学問所」「藩校」「私塾」「郷校」が中等・高等教育機関で、「寺子屋」が初等教育を担いました。 ユダヤ人の教育~「教育」を意味するヘブライ語「ヒヌーク」は「奉納・奉献」も意味しています。ちなみに世界の政治・芸術・科学・思想の各界で指導的役割を担っている人物の10人に1人はユダヤ人とされ、その教育熱心さには定評がありますが、ユダヤ人にとって、「教育」とは知識の伝授ではなく、「神と社会とに貢献できる人材の育成」が目的であると言います。ここから少人数教育、全身学習法、聖書やタルムードの丸暗記・暗誦、安息日、歴史教育、実業教育といった伝統が出て来ます。 「普通のユダヤ人の中にも、旧約聖書全部をヘブライ語で朗々と暗誦できる者が少なくない。タルムード学者の中には、あの膨大なタルムードを全巻暗記している者さえいる。彼らは明らかにリズムと朗詠によって膨大な量のテキストを頭脳にプリントしたのだ。だから、記憶の糸をたぐる時には、適当な章句の区切りから暗誦し始めて、お目当ての特定の句や文が出てくるまで聖書なりタルムードなりを唱詠し続ける。こういう芸当のできる者が二、三人もいれば、聖書が手もとになくても、正確なテキストがいつも入手できる。  
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~④」

(2)「高等教育」の伝統と「大衆教育」の伝統の違い②「公教育」の根幹は「初等教育」にある ルソーの『エミール』~近代教育思想の主要原理が打ち出されていて、その影響は大きく、カントは『エミール』を読みふけって散歩の時間を狂わせたと言います。例えば、「子どもの発見」「発達段階論」からは「児童中心主義」「漸進主義」が生まれ、「性善説」「主観的自然主義」「自然に返れ」からは「消極教育」が生まれています。 児童中心主義~デューイによれば、教師・教材中心→児童中心への転換は、教育における「コペルニクス的転回」だと言います。 「人間は自由なものとして生まれた。しかも至る所で鎖につながれている。」 (ルソー『社会契約論』) 「創造主の手を離れる時、全ては良いものであるが、人間の手に移ると全てが悪くなる。」 (ルソー『エミール』) 「教育の最大の秘訣は教育しないことである。」 (エレン・ケイ『児童の世紀』) 「近代教育の父」ペスタロッチ~「3H’sの思想」(head, heart, hand)、「直観のABC(数・形・語)」から直観教授、開発的教授が生まれています。ここからリーツの「田園教育舎」、ニイルの「サマーヒル・スクール」、ドクロリーの「生活による、生活のための学校」などが誕生しました。 「玉座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まっていても同じ人間、その本質から見た人間、そも彼は何であるか。」 (ペスタロッチ『隠者の夕暮れ』) 「生活が陶冶する。」 (ペスタロッチ『白鳥の歌』) フレーベル~教育史上最初の幼稚園「一般ドイツ幼稚園」を作りました。「恩物」思想、『人間の教育』。こうした幼児教
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~③」

(2)「高等教育」の伝統と「大衆教育」の伝統の違い ①「大学」の誕生と「ノブレス・オブリージュ」 大学の誕生~高等教育機関「大学」は、「都市の空気は自由にする」と言われた自由都市の中に発生した「学問をする者の自由なる団体」(学者と学生のギルド)を基礎としています。この学生組合(ウニフェルシタスuniversitas)は「大学university」の語源であり、「組合union」の語源でもあります。当初は聖職者の養成を主要目的としており、国際的な性格を有していて他国の学生も受け入れておりました。国王や法王の認可を受けて特権を付与されており(「ハビタ」)、「大学の自由」(リベルタス・アカデミカ)、「学問の自由」(リベルタス・フィロソファンディ)。という概念が生まれます。ちなみに「自由」は「人権」ではなく、「特権」であることに注意しましょう。かくして、大学は教権・帝王権と並ぶ中世3大勢力の1つとなっていきます。  学生は13~20歳の6年間に「自由学芸」(リベラル・アーツ)の教育を受け、その後、神学部・法学部・医学部のいずれかの学部に進みました。さらに人文学部がありましたが、神・法・医の3学部は人文学部より上位のものとみなされていたのです。 「(大学は)ヨーロッパの精神史・社会史の最高度に独特な現象である。」(グルントマン) 初期の大学の特徴~ ボローニャ大学(1158年認可)~法学。北部イタリアは国境紛争でドイツと長く抗争を続けたため、法律(特にローマ法)の研究が盛んになりました。 パリ大学(1180年認可)~神学。ノートルダム寺院を中心に、パリ大僧正の監督下に行なわれていた教育が
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~①」

(1)「現代教育」の原点は「ギリシャ・ローマ」にある ①西洋文明はギリシャとローマを抜きに語れない「西洋哲学史は要するにプラトン哲学に対する一連の脚注にすぎない」(アーノルド・ホワイトヘッド) 「プラトンの呪縛」(カール・ポパー) 「ギリシア哲学はしかしヨーロッパの哲学にとってつねに故郷であり、思想が単に宗教的信念や世界観を越えて学としての哲学に高まるとき、ギリシア哲学と対話し対決することが不可欠の精神的営為となってくる。」(角田幸彦) 「征服されたギリシアは、猛(たけ)き勝利者を征服し、粗野なローマに学芸をもたらした。」(ホラティウス) 「ローマは三度世界を統一した(一度は武力で、二度目はキリスト教で、三度目はローマ法によって)。」(イェーリング)「アルケー」論~アルケーとは「万物の根源」のことを言います。 →「人間は万物の尺度である」(プロタゴラス~ソフィスト) →「アレテー」論(徳、本質。ソクラテス)~アレテーとは「国有の優秀性・卓越性」を指し、「犬のアレテー」「馬のアレテー」「眼のアレテー」「大工のアレテー」といった使われ方をします。 →「イデア(真実在)」論(プラトン) →「形相(エイドス)と質料(ヒューレー)」論(アリストテレス) ソクラテス~「ソクラテスより知恵ある者はいない」(デルフォイの神託)が出発点となります。 →「汝自身を知れ」(グノーティ・サウトン)~デルフォイ神殿に刻まれていた言葉で、ソクラテスが常に言っていたとされます。 →「無知の知」~ソクラテスは、人間の魂にとって大切な善美のことがらについて無知であることを自覚するからこそ、知を探し求めるようにな
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑨」

(5)「教育」とは結局「人間観」と「教育制度」である ①「人間」は「教育」されない限り、「人間」とはならない 野生児(動物に育てられた人間の子ども)~オオカミに育てられたアマラ(2歳くらい、間もなく死亡)とカマラ(8歳くらい、17歳の時に死亡)は、シング牧師夫妻によって育てられましたが、「オオカミ少女」(顔かたちは人間ですが、することなすこと全くオオカミ)のままだったとされます。このオオカミ少女の事例は今日では否定的に見られていますが、意義深いのはその細部にわたる事実性ではなく、人間は自然に、本能のままに「人間」になるのではなく、「養育」「教育」されない限り、「人間」にはなり得ないことが示唆されたことでした。 「牧師夫妻は、このオオカミ少女をなんとかして人間の子どもにしてやりたいと、一生懸命に努力したのである。カマラは、三年ほどして、支えるものなしにひとりで両足で立って歩くようになった。しかし、急ぐときには、四本足で走りまわっており、この習性は死ぬまでとれなかったという。三年ほどで、手を使って食べるようになり、四、五年して、喜びや悲しみの心を表現するようになった。シング夫人によって、ことばが教えられたが、死ぬまでに、四五語しか使うことができなかったということである。そして、知能は三歳半の子どもくらいだったという。」 (時実利彦『人間であること』) 「植物は恐らくひとりでに成長し、全然実を結ばないか、野生の実を結ぶ。馬はたとえ役に立たないとしても、この世に生まれて来る。しかし、人間は人間として生まれて来るのではなく、人間に形造られるのだ。」 (エラスムス『幼児教育論』) 「幼な子
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑧」

(4)「実学主義」から出発した「近代教育」のスゴさ ②「体系的教育学」と「科学的教授法」から「公教育制度」に至った「近代教育」 コメニウス~「近代教授学の父」。『大教授学』は「体系的教授学の嚆矢」とされます。実質生活に即した知識や技能の習得を目的とした「実質陶冶」を説きます。 「あらゆる人に、あらゆる事柄を(全般的に)教授する普遍的な技法を提示する大教授学」 (コメニウス『大教授学』) ロック~記憶・推理・想像などの能力を鍛錬して、諸能力の育成を重視した「形式陶冶」を説きます。 「人間の精神ははじめ白紙(タブラ・ラサ)の如きものである。」 (ロック『教育論』) ヘルバルト~「教育目的」をカント倫理学に、「教育方法」を心理学に依拠して、「教育学の体系化」を図り、「4段階教授法」(明瞭・連合・系統・方法)を提唱しました。 「私は教授のない教育などというものの存在を認めないし、また逆に教育しない、如何なる教授も認めない。」 (ヘルバルト『一般教育学』) ツィラーの「5段階教授法」~分析・総合・連合・系統・方法。 ラインの「5段階教授法」~予備・提示・比較・概括・応用。 モリソン~ヘルバルト派の5段階教授法を発展させ、デューイの問題解決学習も取り入れた教授法「モリソン・プラン」を提唱しました。教科を科学型、鑑賞型、言語型、実科型、純粋練習型の5型に分け、科学型について新しい5段階教授法「探求・提示・類化・組織・発表(反唱)」を提示しています。 コンドルセ案~「国民教育は公権力の当然の義務である」として、教育の自由の原則、教育を受ける権利、教育の無償性、教育の中立性などの「近代公教育制度
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