「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑦」

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学び
(4)「実学主義」から出発した「近代教育」のスゴさ

①「リアリズム」の根底には「合理主義的精神」がある

教育の近代化~形式化した人文主義に対抗して、16世紀に事実・経験・実践などを重視する「実学主義」(リアリズム)が起こり、17世紀以降、自然科学や哲学の経験論の影響のもとに有力になります。
→「宗教から科学へ」「注入から開発へ」
→「アカデミー」(学士院)、「レアルシューレ」(実科学校)

「*1コジモの文化政策もまた、絶対主義王国の栄光化にむかって統合された。まず第一に、知識人、芸術家らは、君主であるコジモに仕える宮廷人(延臣)として、コジモの統括のもとに置かれた。このもっとも明瞭な例が、王立アカデミーの創設である。
 現在文明国のすべてに存在する近代的アカデミーの組織、つまりは、その国家が有する知識人を国家財産として統括し、国家の与えた組織の中に組み込んで、その中で地位、名誉、財産を与えるという知識人を取り込む権力的構造の原型は、この時代のフィレンツェにおいて発生したのである。もっとも、すでに老コジモのころから、優れた学者芸術家の集まりである緩いかたちのグループがアカデミアと呼ばれていて、それをメディチが保護してきたという伝統が基礎になってはいた。だが、今度できた組織は任務や階級などの規定が明確で、国家組織として整備されていたところがまったくちがっていた。
 最初にできたのは言語アカデミーのウーミディ(湿った者たち)のアカデミーで、一五四〇年に創設されたが、三月もたたぬうちにそこにコジモ大公が介入し、自らその保護者になった。彼はすぐさま名称を国家的な名前アッカデーミア・フィオレンティーナに変更し、パラッツォ・ヴェッキョを根拠地として、イタリア語すなわちトスカーナの自国語を整備し、整然たる体系を作り上げるという目的が打ち出された。ここでは、一五五三年からフィレンツェの生んだ大詩人ダンテとペトラルカについての講義が、人文主義者で、芸術論も書き、当時の知識界をまとめていたベネデット・ヴァルキ(一五〇三~六五)などの有給講師によっておこなわれた。ここの院長には、フィレンツェ大学の総長の特権、地位、収入が与えられた。一五六九年には、これと似たアルテラーティ、一五八七年にはデジオージが生まれ、一五八二年にはもっとも重要なアッカデミーア・デッラ・クルスカが創設され、一五九一年イタリア語辞典の編集を決定、一六一二年にもっとも権威あるクルスカ辞典が発行された。
 このクルスカの名声は、イギリス、ドイツ、フランスの君主に強い感銘を与え、一六〇〇年代に各国にアカデミーが生まれる。各国の絶対君主の文化政策の基本となったのはこの知識人の国立機関への集中統合であった。一六三五年に、フィレンツェのアカデミーにならってリシュリューが書いたアカデミー・フランセーズ創設布告書にはつぎのように書いてある。「アカデミーの重要な任務は、あらゆる配慮と努力をつくして我が国語に正しい法則を与え、純化し、雄弁にし、芸術や科学を扱う十分な力をもつようにすることである。」
 科学のアカデミーは、一六〇三年にローマにできたアッカデミーア・デイ・リンチェイで、ここには、一六一一年にガリレオが入っている。このアカデミーは、ガリレオに対する教会の迫害がはじまると危機に陥り、一八〇一年に再開されるまで活動を停止してしまった。
 ところで、建築、彫刻、絵画の教育と制作にかかわる美術アカデミーだが、これもまたコジモ一世の時代のフィレンツェで、今日の美術アカデミーの原型ができあがった。この創立を提唱したのは『芸術家列伝』の著者として有名なジョルジョ・ヴァザーリ(一五一一~七四)である。…もともと、ヴァザーリは一五五〇年に、トスカーナに生まれたジョットをはじめとして、ミケランジェロをピークとする大芸術家を称えこれを永遠に記念するための膨大な伝記を書いて、コジモ一世に献呈していた。彼の考えでは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのような偉大な知性人はとうてい注文仕事をこなす手仕事職人と同列ではなかったし、彼自身もまたそうではない、ヴァルキのような知的なアカデミーに属するに値する存在だと確信していた。
 一五六二年五月二十四日にフィレンツェの画家ポントルモの葬儀の機会に彼はアカデミー創立を告げ、三十一日に「最善の選択」会を招集した。ヴァザーリはコジモを説得してアカデミーの後援者とし、会則をつくって一五六三年一月十三日に設立を宣言した。これは、ニコラウス・ぺヴスナ―のことばによれば「美術家の社会的地位の向上とこれを特徴づける貴族と美術家の結合」であった。このとき、ローマ在住のミケランジェロとコジモ一世が総裁におされた。これがアッカデーミア・デル・ディセーニョである。このとき、コジモ一世とミケランジェロの二人が総裁になったということは、この機関のもつ本質をよく示している。組織としてのアカデミーは絶対主義の国家の政治形態に対応するもので、そのことを総裁としての君主が象徴している。いっぽう、ミケランジェロのかつぎ出しは或る偉大なスタイル、ある確立された芸術上の権威への信仰であって、アカデミーはその理想に向かって美そのものを統括する。この状況に対応する美術様式が、マニエリスムである。このマニエリスムという言葉は、権威ある巨匠の手法(マニエラ)の踏襲という意味である。
 アカデミーが発足して数年たたぬうちに、これは美術に関する最高権威の様相を帯びた。」 
(若桑みどり『世界の都市の物語13 フィレンツェ』)
*1コジモ…フィレンツェの「祖国の父」老コジモの弟ロレンツォの息子ピエルフランチェスコの孫に当たる傭兵隊長ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレの子で、フィレンツェ公国を絶対主義国家トスカーナ大公国に発展させた。

人文的実学主義(humanistic realism)~人文主義的古典教育と自然・社会についての実際的知識とを結合し、実用に役立てようとする立場です。「万能人」の養成を目的としています。ラブレー、ミルトンらがこの立場です。

ラブレー~『ガルガンチュア物語』『パンタグリュエル物語』は「文芸復興の聖書」と呼ばれました。

「私(ガルガンチュア)はお前(パンタグリュエル)にいろいろな語学を完全に学ばせたいと思う。中でも先ずギリシャ語、次はラテン語だ。その次には聖書を読むためにヘブライ語を学ばなければならない。それから、カルディア語やアラビア語も学ばなければならない。ギリシャ語ではプラトンを模してお前の文体を作るがよい。そして、ラテン語はキケロに範を取れ。
 歴史は余す所なく記憶せよ。幾何や算術や音楽などの自由科については、私はお前が5、6歳の頃から多少授けた。それらについてはさらに深く研究し、出来れば他の自由科についても学ぶがよい。
天文学については、その全ての法則を研究せよ。しかし、占卜易断的な占星術は欺瞞・虚構以外の何物でもないから、不問に付せよ。国法については、その原文をすっかり暗記せよ。
 さて、自然界の知識については、綿密に調べて欲しい。魚類、鳥類、種々の灌木や喬木、あらゆる草花、様々の金属、数々の宝石、これら全ては1つとしてお前の知らない物が無いようにせよ。
 次にアラビア、及びラテンの優れた医学書を注意深く精読せよ。絶えず解剖を行い、小宇宙、すなわち人間についての完全な知識を獲得せよ。また、1日のうち、いくらかの時間は聖書の研究に当てるとよい。要するに、私はお前が底知れぬ知識の深淵となってくれるのを見たい。」
(ラブレー)

ミルトン~『失楽園』(Paradise Lost)は、ピューリタン文学の最高峰とされます。

社会的実学主義(social realism)~古典よりも旅行や実際の社会生活の中で修業し、立派な社会人を形成しようとする立場です。

モンテーニュ~ラブレーの弟子にして、フランスのモラリストです。当時のフランスは激しい宗教内乱であるユグノー戦争の最中であったので、モンテーニュは新旧両派の仲裁に苦心しました。『随想録』(エセ―)はフランスのモラリスト文学の基礎を築いたとされます。

感覚的実学主義(sense realism)~感覚・経験を重んじ、直接自然から学ぼうとする立場です。教育史上、最も重要な狭義の「実学主義」です。

ラトケ~直観教授法の先駆者で、ベーコンの影響を受けて、言語中心ではなく、事物中心の教育を行うことを主張しました。
「全ては自然の順序、もしくは経過に従わねばならない。」

コメニウス~「パンソフィア」(汎知学)、ベーコンの「帰納法」の影響~「客観的自然主義」「自然に従え」
→『大教授学』~「全ての人々にあらゆることを教授する」
→「直観教授」~世界初の絵入り教科書『世界図絵』など。

【参考文献】
『教職のための教育史 西洋編』(溝口貞彦、東研出版)
『世界の都市の物語13 フィレンツェ』(若桑みどり、文藝春秋)
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