(3)「宗教教育」と「世俗教育」の分岐点はどこか
②人間の「二重性」を認めた「世俗教育」の意義
「宗教は無くなっても、教育は残る」~宗教改革者ルターも宗教的契機からの教育を否定し、国家的契機からの国民教育を主張しました。
「霊魂や天国や地獄が無いとしても、なおかつ現世のために学校が必要なことは、ギリシャやローマの歴史に徴して明らかである。世は教育ある男子と女子を必要としている。男子はまさしく国を治め、女子はまさしく子供を養育する家政を整えるために。」
(ルター「ドイツ諸都市の市長及び市会議員に告ぐる書」)
公教育の世俗的中立性の原則~「アメリカ公立学校(国民教育)の父」ホレース・マンによる義務教育法に始まり、マサチューセッツ州の「公立学校の世俗化規定」で確立されました。
教育投資論~教育は「物質的富の最も多産な親である」「財産を蓄積するのに最も確実な手段である」「教育は暴力や詐欺によって、かつて蓄積された以上に確実に、そして速やかに財産を作り出す特権を有している。…それはむしろ長期にわたって高い収益をもたらす固定資本に類似している。(ホレース・マン)
大学の世俗化~宗教的権威が後退し、商工業の発達を背景に世俗的権威が進出します。そのため、大学教育において、自然科学・社会科学が大幅に導入されます。これはアメリカでは1635年設立のハーバード大学が先鞭をつけ、18世紀初から旧来の古典語・数学と並んで、デカルトの論理学、ニュートンの物理学が講じられるようになりました。やがて、1755年のペンシルヴァニア大学設立に至り、大学は宗教的指導者だけでなく、社会人・職業人の養成を目的とするようになりました。
「今日、キリスト教が何億という人々の心に慰めを与えるのは、キリストという人が常に逆境にいて、人生の辛酸をつぶさになめたからであろう。ゲーテはキリスト教のことを「悲哀の神殿(Temple of Sorrow)」と言ったが、これは興味深い言葉である。
いわゆる逆境があるから、我々は他人に対し思いやりの心を持つことができる。もし毎日浮かれ騒いでおもしろおかしく人生を過ごすならば、どうして人に対する思いやりの心を持つことができよう。思いやりの心を持たない者がどうして人情の味を知ることができるだろう。武士はもののあわれを知るといい、これを知らない者はほんとうの武士ではない。
身をつねってこそ人の痛さを知れ、と言うように、逆境に陥りそれがどういうものか知った者でなければ、本当の人情を知ることはできない。
喜びがあれば喜びをともにし、悲しみがあれば悲しみをともにするのは、人情の最も麗しい点である。もっとも世間には喜びを他人と分かちたがらない者がいるが、そうだとしても別に他人に迷惑はかけない。
これに対し悲しみは、それを他人に分かちあってもらうことで、十貫目の荷物も五貫目に半減したような気持ちになる。これは社会生活上、最も大切なことであるが、こうした思いやりは逆境を善用することで養うべきことに思う。
アルゼンチンに渡り、日本民族の力を発揮した伊藤清蔵農学博士は、札幌農学校を卒業したのち、一人で東京まで歩いて旅をしたことがあった。真夏の炎天下を歩き、しかも途中病気になって、非常に苦労して東京にたどり着いた。当時、僕は北海道で神経衰弱にかかり病床にあった。
伊藤博士は東京から手紙をよこし、「自分は今まで病気というものをしたことがなく、人が病気だと聞いても全く同情心が起こらなかった。しかしこのたび自分が病気をしたことで、先生のご病気もさぞ辛いことだろうと思った。今回の自分の病気は、先生のご病気に同情させるため天が自分に与えたもののように思う」と書いてきた。
僕はアメリカにいたころ、国からの送金が途絶え、半年近く生活に困ったことがあった。同窓生の中には金を使い放題の者もいたが、僕は小さなものは自分で洗濯し、三度の食事も一度にして後の二食はパンと水だけで過ごした。この経験があるので、苦学生を見ると、金銭的に助けることができなくても、せめて励ましの言葉をかけてやりたくなるのである。
(新渡戸稲造『逆境を越えてゆく者へ 爪先立ちで明日を考える』~新渡戸稲造は内村鑑三と共に札幌バンドの中心であった札幌農学校に学んだクリスチャンですが、『武士道』で日本人の精神性を世界に発進し、アメリカのローズヴェルト大統領やエジソンなどにも感銘を与えると共に、教育者としては一貫して「人格教育」を重視し、コモンセンス(常識)の重要性を教えています。宗教教育を世俗教育に普遍化した人物の一人と言えるでしょう。)
「私は、少年が吐き出した感情を全面的に受容した。
四回目の面接が終わったころ、少年は少し落ちつきと明るさをとり戻し、単独寮から昼間だけ実科(職業補導としての農業科)にも出ることができるようになった。
彼は私に、どんな小さなことでも相談するようになった。私は忙しい時間をさいて、彼が求めてくれば面接するようにしていた。
ところがある日、カウンセリングルームに入ったとき、私は机の上に置いていた新しいインク瓶(当時の少年院ではインクを使用していた。現在はボールペンである)にインクがほとんどなくなっているのに気がついた。わずか二分程度しか残っていないのである。
盗んだのは健一少年であった。
前日彼から面接の申し出があり、相談相手になってあげたのに、完全に裏切られたわけである。
カウンセリングルームは、単独寮の中に併設されているので、私はさっそく少年をテスト室に呼び出した。彼は真っ赤な顔をして、恐怖のあまりうなだれたまま、まともに私の顔を見ることができなかった。
やっと、蚊の鳴くような声で「すみません」と言うのが精いっぱいのようであった。
私は、静かに彼の顔をみつめたまま、おもむろに「インクを持っていらっしゃい」と言った。彼は、私が何の叱責も説教もしないのが、とても耐えられないくらいつらいようであった。
「インクを持ってきなさい」と言ったことは、彼にとって罪障感から解放されることでもあったのだろうか……。いそいそと自分の部屋から持ってきた。
しかし、持ってきた少年のインク瓶の中には、盗んだインクの五分の一ぐらいしか入っていなかった。
「どうしたんだい……」
「みんなに配ったんです……」
私は黙っていた。しばらくの間、重苦しい沈黙が続いた……。
「先生……。すみません。ぼくは事故(規則違反)ばかり起こして実科に出ないので、賞与金(当時実科に出て働けば賞与金が毎月五十円ぐらい出ていた。現在は二百三十円~三百円である)をもらっていないので、何も買えないんです。昨日、テスト室で先生に相談にのってもらったとき、インクがたくさん入っていたので、ついほしくなって……」
と、蚊の鳴くような声で、やっとここまで言った。
私は黙って、少年のインク瓶を引き寄せた。
彼は、自分のインク瓶から私のインク瓶にインクが流しこまれるのを、寸分の疑いなく期待しており、またそうされることによって、自らの罪の意識から解放されたいようであった。
しかし、私は無造作にとりあげた自分のインク瓶を静かに傾けて、残っていたインクを彼のインク瓶の中に注ぎこもうとした。
そばで、恐怖のあまり身の置きどころもないといった恰好で立っていた少年は、驚きのあまりアッ!、アッ!と言って、急いで私の手を押さえた。
しかし、一瞬の間に、インクは一滴残らず、私の瓶から少年の瓶の中に入っていった。彼の目から大粒の涙が流れ出し、彼は声をあげて嗚咽し始めた。無心にしゃくりあげて泣きつづける彼の姿は、童心そのもので、私は手を合わせたい気持ちでいっぱいだった。<不良少年はいないのだ!すべて不幸少年にすぎないんだ!>ということを、改めて知らされる思いだった。
彼は、私を裏切った。しかし、彼には何の叱責も懲罰も加えられなかった。「盗み」という行為に対して、私はいたわりと理解を態度によって示した。彼は、私の表情の中から、何らとがめだてする裁きの匂いを感じ取らなかったはずである。
彼が本当に更生を誓い、まじめな生活を営むようになったのはそれからである。
非行のたびに懲罰が加えられると、教育者自身が良心の代行をすることになり、こどもの良心は窒息してしまう。叱らずに、いたわりと理解を示すと、こどもはだれにもとがめられないので、こんどは自分の良心が自らを裁くようになるのである。
叱らぬ教育がこどもの良心を濃厚にするのである。
健一少年は、その後まもなく単独処遇を解除され、集団生活を営むようになったが、見違えるように明るい少年になり、上級生になってからは寮委員にも抜擢されるようになり、権威にあれほど反抗的であった粗暴児が、ウソのように教官に素直になるとともに、寮生たちからも親しまれ信頼されるようになっていった。
教育は、こどもに裏切られたときが、こどもの心をつかむ最大のチャンスなのである。
このとき、教育者自身がとり乱してはならない。三度裏切られ、五度裏切られても、なおかつこどもの中に宿る善なる本性のみをみつめ得る人でなければ、非行少年の味方になることはできないであろう。愛には限りない忍耐が必要とされる。しかし、叱りたいけれどもがまんするのであってはほんものではない。自然に叱らなくなる心境にならなければ、問題児の再教育は困難である。
急いではいけない!
構えてもいけない!
待つことだ!
祈ることだ!
これはあるケースワーカーの言葉である。
(相部和男『非行の火種は3歳に始まる 親が泣かない25の鉄則』~相部和男は少年院法務教官、保護観察官などを歴任し、1万人の非行少年少女を指導してきた人物です。「問題の子供は問題の親によって作られる」と喝破した教育者ニイルの思想やフロイトの精神分析学に基づいていますが、その実践はほとんど宗教教育と言えるものです。)
【参考文献】
『ユダヤ人はなぜ優秀か その特性とユダヤ教』(手島佑郎、サイマル出版会)
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』(小室直樹、ワック出版)
『教職のための教育史 西洋編』(溝口貞彦、東研出版)
『逆境を越えてゆく者へ 爪先立ちで明日を考える』(新渡戸稲造、実業之日本社)
『非行の火種は3歳に始まる 親が泣かない25の鉄則』(相部和男、PHP文庫)