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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑥」

(3)「宗教教育」と「世俗教育」の分岐点はどこか ②人間の「二重性」を認めた「世俗教育」の意義 「宗教は無くなっても、教育は残る」~宗教改革者ルターも宗教的契機からの教育を否定し、国家的契機からの国民教育を主張しました。 「霊魂や天国や地獄が無いとしても、なおかつ現世のために学校が必要なことは、ギリシャやローマの歴史に徴して明らかである。世は教育ある男子と女子を必要としている。男子はまさしく国を治め、女子はまさしく子供を養育する家政を整えるために。」 (ルター「ドイツ諸都市の市長及び市会議員に告ぐる書」) 公教育の世俗的中立性の原則~「アメリカ公立学校(国民教育)の父」ホレース・マンによる義務教育法に始まり、マサチューセッツ州の「公立学校の世俗化規定」で確立されました。 教育投資論~教育は「物質的富の最も多産な親である」「財産を蓄積するのに最も確実な手段である」「教育は暴力や詐欺によって、かつて蓄積された以上に確実に、そして速やかに財産を作り出す特権を有している。…それはむしろ長期にわたって高い収益をもたらす固定資本に類似している。(ホレース・マン)大学の世俗化~宗教的権威が後退し、商工業の発達を背景に世俗的権威が進出します。そのため、大学教育において、自然科学・社会科学が大幅に導入されます。これはアメリカでは1635年設立のハーバード大学が先鞭をつけ、18世紀初から旧来の古典語・数学と並んで、デカルトの論理学、ニュートンの物理学が講じられるようになりました。やがて、1755年のペンシルヴァニア大学設立に至り、大学は宗教的指導者だけでなく、社会人・職業人の養成を目的とするように
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「教育史点描~最後に残るのは「教育」である~⑤」

(3)「宗教教育」と「世俗教育」の分岐点はどこか ①教育は基本的に「宗教教育」だった 教育は教会や寺院が担った~中世ヨーロッパでは「唱歌学校」(初等教育機関)、「修道院学校」「本山学校」(中等教育機関)といった「教会学校」が教育を担い、日本では「寺院」が長らく高等教育機関で、後に「大学」「国学」「別曹」などが官僚養成機関として整備されていきました。江戸時代には「昌平坂学問所」「藩校」「私塾」「郷校」が中等・高等教育機関で、「寺子屋」が初等教育を担いました。 ユダヤ人の教育~「教育」を意味するヘブライ語「ヒヌーク」は「奉納・奉献」も意味しています。ちなみに世界の政治・芸術・科学・思想の各界で指導的役割を担っている人物の10人に1人はユダヤ人とされ、その教育熱心さには定評がありますが、ユダヤ人にとって、「教育」とは知識の伝授ではなく、「神と社会とに貢献できる人材の育成」が目的であると言います。ここから少人数教育、全身学習法、聖書やタルムードの丸暗記・暗誦、安息日、歴史教育、実業教育といった伝統が出て来ます。 「普通のユダヤ人の中にも、旧約聖書全部をヘブライ語で朗々と暗誦できる者が少なくない。タルムード学者の中には、あの膨大なタルムードを全巻暗記している者さえいる。彼らは明らかにリズムと朗詠によって膨大な量のテキストを頭脳にプリントしたのだ。だから、記憶の糸をたぐる時には、適当な章句の区切りから暗誦し始めて、お目当ての特定の句や文が出てくるまで聖書なりタルムードなりを唱詠し続ける。こういう芸当のできる者が二、三人もいれば、聖書が手もとになくても、正確なテキストがいつも入手できる。  
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