(4)「実学主義」から出発した「近代教育」のスゴさ
②「体系的教育学」と「科学的教授法」から「公教育制度」に至った「近代教育」
コメニウス~「近代教授学の父」。『大教授学』は「体系的教授学の嚆矢」とされます。実質生活に即した知識や技能の習得を目的とした「実質陶冶」を説きます。
「あらゆる人に、あらゆる事柄を(全般的に)教授する普遍的な技法を提示する大教授学」
(コメニウス『大教授学』)
ロック~記憶・推理・想像などの能力を鍛錬して、諸能力の育成を重視した「形式陶冶」を説きます。
「人間の精神ははじめ白紙(タブラ・ラサ)の如きものである。」
(ロック『教育論』)
ヘルバルト~「教育目的」をカント倫理学に、「教育方法」を心理学に依拠して、「教育学の体系化」を図り、「4段階教授法」(明瞭・連合・系統・方法)を提唱しました。
「私は教授のない教育などというものの存在を認めないし、また逆に教育しない、如何なる教授も認めない。」
(ヘルバルト『一般教育学』)
ツィラーの「5段階教授法」~分析・総合・連合・系統・方法。
ラインの「5段階教授法」~予備・提示・比較・概括・応用。
モリソン~ヘルバルト派の5段階教授法を発展させ、デューイの問題解決学習も取り入れた教授法「モリソン・プラン」を提唱しました。教科を科学型、鑑賞型、言語型、実科型、純粋練習型の5型に分け、科学型について新しい5段階教授法「探求・提示・類化・組織・発表(反唱)」を提示しています。
コンドルセ案~「国民教育は公権力の当然の義務である」として、教育の自由の原則、教育を受ける権利、教育の無償性、教育の中立性などの「近代公教育制度」の諸原則を確立しました。
新教育運動~進歩主義教育、改革教育学とも呼ばれ、教師中心の教育から「子どもから」の教育へ、ヘルバルト教育学からペスタロッチ教育学へ、書物主義から活動主義へと転換していきます。
オスウィーゴー運動~シェルドンによるペスタロッチ主義の教育改革運動で、アメリカの新教育運動の源流となります。
クック・カウンティのモデル学校(イリノイ州)~「直観教授」「合科教授」「単元学習」などで新教育運動の担い手となったパーカーによる、アメリカ教育史上初めての「児童中心」の学校です。パーカーはペスタロッチから「方法」を、ヘルバルトから「統合」を、フレーベルから「子どもの見方」を学んだとされます。
ジョン・デューイ~プラグマティズム(実験主義、道具主義、実用主義)の立場からシカゴ大学に「実験学校」(「生活による生活のための学校」)を作り、児童中心主義、問題解決学習を展開します。「新教育運動」を理論的体系化し、『学校と社会』『思考の方法』『民主主義と教育』などの著書によって大きな影響を及ぼしますが、「這い回る経験主義」という批判も受けます。
「なすことによって学ぶ。」(Learning by Doing)
(デューイ『学校と社会』)
キルパトリック~ジョン・デューイの弟子で、同僚、かつコロンビア大学での後継者です。デューイとキルパトリックは「プロジェクト・メソッド」の構想とその基礎理論と実践方法を次々と発表し、世界的に反響を呼びました。プロジェクト・メソッドは児童・生徒が自ら計画を立て、現実生活の中で問題を解決する実践的活動を重視するもので、「構案法」とも呼ばれます。
ヘレン・パーカースト~モンテッソーリの自発性・自主性を重んじる着想(モンテッソーリ教育)やジョン・デューイの問題解決学習などの長所を取り入れ、「ドルトン実験室案」(Dalton Laboratory Plan)を提唱し、アメリカのマサチューセッツ州のドルトンの小学校で指導・実施しました。「自由」と「協同」の2つの原理に基づく「ドルトン・プラン」を主体にした学校は世界各地に作られており、最も有名なものはパーカースト自身が創立したニューヨークのプレップ・スクールであるドルトン・スクール(Children's
University、子ども大学・児童大学)です。
ウォッシュバーン~シカゴ大学の実験学校での経験を踏まえたジョン・デューイの著作から触発され、アメリカのイリノイ州ウィネトカの小学校で教育的な実験「ウィネトカ・プラン」を行いました。このウィネトカ・プランでは、各教科を共通科目を「一般共通科目」(common essentials)と「創造的集団活動」(creative group activities)に分けら、「一般共通科目」は生徒たちに教科内容の学習と習得を求めますが、創造的活動では生徒たちにそれぞれ異なった関心の度合いでの取り組みが許容され、厳密な達成目標も到達度目標も設定されませんでした。これはアメリカ国内を問わず世界的に広まり、カリキュラム設定の焦点を再考するきっかけになったことで知られています。
【参考文献】
『教職のための教育史 西洋編』(溝口貞彦、東研出版)