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点滴の量を減らしましょう。

ICUに勤務していると亡くなる場面に出会うことがある。大体、昇圧剤を投与しても血圧が低くて、輸液量を増やすパターンが多い。点滴の量も5L/日程度投与することもある。普通の人ならおしっこで出ていくが、重症な患者はおしっこが出ない。そんな状態の患者の体はどうなってるか。どんどんむくんでいきます。「長時間立ってたから足がむくんじゃった」というレベルではなく手、足、お腹、顔、陰部などすべてむくむ。なので、1日経つと別人のような姿になる。そんなとき医療者は「そろそろ点滴減らそうか」と考える。これは「点滴減らして、さっさとあの世に送り出そう」ということではなく、容姿が変わるのが不憫でしょうがないからだ。この治療方針の変更について家族の理解を得るには丁寧な説明が必要で、「点滴を減らします」だけ伝えると「この医師や看護師はおかしい」と思ってしまう。特にICUや救急など今まで元気だった方が急変し数日がんばっても亡くなる場合は、状況を理解できず医療者を責めるパターンが多い。なので、点滴を減らす場合は(こまめな病状説明を行い状況を理解してもらったうえで)・予後が短いがAさんの姿が変わるが家族はそれを望むか・輸液により、呼吸に影響を与えている可能性があるなど輸液を減らすことも患者のためであることを理解してもらうような説明が必要である。
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「尊厳死を選択した彼女は・・・;;」

なんか、ちょっと胸を締め付けられる感じがしたね~。彼女は、あの時64才じゃった。子供の時に、両親が離婚した。母親に引き取られたが、母親のつきあっていた男が、彼女を虐待していたのじゃ。;;その最悪の状態を耐えに耐えたが、大きくなってその「地獄」から抜け出せたのじゃ。それが原因ではナイじゃろ~けど、彼女は「パーキンソン病」を確か50才過ぎ頃に発症した。家をでて、社会人となり、それから彼女は、「海外生活」をするようになるのじゃ。それは「自由」を思い切り感じていたのじゃと思う。そして「恋」もした。「スイス」では「人生最高の恋愛」を経験した。そして、そこは「人生最後の場所」になった。学校を出て、社会人となり、それから決意して、「海外生活」をするようになった彼女は、「生涯独身」であったが、「海外」では「いっぱい恋」をした。そして「運命の相手」が「スイス」にいた。結婚まで至らなかったが、「人生最高の時」を彼女は過ごしたのじゃ。彼女は「スイスの湖」が好きだった。「運命の彼」との思い出の場所じゃった。彼女は「最後の時」を迎えるまでに「最後の恋の軌跡を訪問」したのじゃ。その「最後の時の看取り」に運命の彼は「立ち会う」との「約束」をした。しかし、それは「果たされなかった」・・・彼はその場所に「存在」しなかった・・・彼女は落胆したが、もう「覚悟」はできていた。彼氏の「心変わり」も素直に受け入れられた。そして彼女の「最後の時」は、「安楽死団体」の女医が付き添ったのじゃ。「女医」は言った・・・・・・「このバルブを開ければ、あなたの希望は叶えられます。いいですか?」・・・「はいとてもうれしいです。」・・・「
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時の住人 忘れられない人  

今までに、様々な人との出会いを繰り返してきました。人と触れ合うことで自分を磨かせてもらったと思います。その出会いの中忘れられない人たちを、ご紹介できればとこのコラムを書いています。生き方や終わりの学びのために人は2度死ぬといわれる。1度目は本当の死、2度目は誰からも忘れ去られた時であると言われる。忘れないだろう、あの日、あの時の記憶。私がいなくなった時に、誰かが覚えてくれたら入所で過ごした長い日々より記憶の中で生きてもらえる。そう、存在という事実を残したいためにここに書き留め、あなたに伝えたいと思う。こんな人が居た。あの人は、こんな時の流れにいた。L字型に曲がった建物の誰も来ない暗い一角に、その人はいつも居た。ぽつんと置かれたテレビの前に居て、人の目を避けて一日に数杯のコーヒーを楽しみ、一人でテレビを見ている。人と言葉を交わすこともなく、時々車いすから立ち上がる練習を繰り返す。行事やイベントがあると、さらに車いすを進め、人目に付かないように隅へ隅へと向かい、食事も摂らずに隠れていた。無精ひげ、尿道カテーテル、尿臭が時々あった。右手が肩の下から無い。右足が膝下から無い。立ち上がる練習は、トイレ介助をする職員の負担を、少しでも軽くするため。毎日毎日、片足で立ち上がる練習をしている。右手と右足は太平洋戦争で失った。戦争が始まって、すぐに招集された2か月後。右手と右足は機関銃の弾を浴び、砕け散って飛んだと主任から聞いた。終戦までの長い日々を、あの人は野戦病院から内地の病院で過ごし、更に終戦から、長い長い何十年もの間、いろいろな施設で過ごしてきた、措置入所として。実家が無い。病院と施設。
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余命3ヶ月から生命力の回復

訪問看護では看取りまでやるところがあります。私は看取りまでできることを誇りに思います。最期までおうちで過ごせる方は、やはり少ないです。余命宣告されたショック食欲がないということで、病院を受診し、癌と診断され手術を受けることになったんです。と言う連絡をいただきました。癌の末期で転移もしていました。余命3ヶ月と言われたと、ご家族から聞きました。ご本人には伝えず、早く元気になろうね!と言って自宅へ帰ってきたと言うことでした。口からも食事は取れるけど、腸ろうをつくっているため、栄養は腸ろうへ管を通して流します。この間は接続が取れないように、最初のうちは不安もあり、付きっきりで介護されていました。ご家族のショックな様子が強く、訪問するたびにご家族のお話も聞いていました。夜中にトイレの介助があり、眠れないということをおっしゃっていました。なので、訪問に伺っている間は休んでもらうことにしました。とにかくやれることをやる食事が取れないので、何か食べたいと思っても食べられない。というか食べたいという気持ちがなくなっていました。ご家族から一緒にお茶してくださいと言われ、お茶を飲んでいたら、少し召し上がるようになり、お話をしながら気分転換になっているのか、訪問した時は、食事を少しづつとるようになってきました。訪問にお茶の時間って本当はないですけど、食事を取れるようになってほしいというご希望があり、笑顔が増えてくることでまだ生きられるという希望にもつながり、やれることはやろうと時間もうまく使ってやっていました。私は何年も訪問看護をやっていましたが、雪が降ると訪問はお休みさせてもらっていました。自転車で
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健康は尊く、流動的なもの。

私が勤めている特別養護老人ホームについ先日、お看取りステージに入った方がお二人います。 特別養護老人ホームは医療行為を行わない、 「終の棲家」なので、 最期を施設で迎えられる方ももちろんおられます。 食べられなくなる、飲めなくなると、 お医者様でなくとも、そろそろだなと分かります。 徐々に食べられる量が減っていきます。 食べられないので痩せていきます。 食べようという気持ちはあるのか、 食事なり水分なりを口にするけど、 飲み込めないということもあります。 イメージとしては 風邪をひいて食欲がなくて、 食べられない飲めない状態がずっと続くような感じです。 健康であれば回復していくけど、 回復せず全身状態は下降していきます。 生命を維持するための生理的な活動、 呼吸や内蔵の代謝などにエネルギーが消費されていきますが、 外からエネルギーは入ってこないので元気がでなくて 生命活動は鎮静化していきます。 食べられなくなる過程を見ていくと、 拒食症と似ていると感じます。 食事を目の前にしても、 食べる意欲がわかずに呆然としてしまう 頑張って口にしても飲み込めない 看取り期の 「生きることから死に移りゆく過程」と 拒食症の 食べることを自発的に拒否していた時期が進行して 「食べることを身体が受け付けなくなる過程」と きっと変わりないんだろうと感じました。 「生きることは食べること」だと強く感じます。 つい忘れてしまうけど 健康は最も尊く大切なものです。 これは、 生まれ育った国も 家庭環境も関係なく、 私のように比較的平和な福祉の世界に身を置いていても、 競争社会、弱肉強食の世界に身を置いて
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【食事】家で最期に

あなたの最期の食事、決めていますか? 今回は、家で最期に食べる食事について紹介します。 ①どう最期を迎えるか ②食べる楽しみ ③何を食べれば良い? ④食べない選択肢 まとめ ①どう最期を迎えるか あなたにとっての最期をどう迎えたいですか? 家、病院、施設など場所はそれぞれです。 慣れ親しだ家で過ごしたいという方が多いのが現状。 最期を迎えるには、ご家族の協力も必要です。 やはり家でのお食事、気になりますよね。 ②食べる楽しみ 食べることが楽しい方は多いはず。 特に、最期を家で迎えるご年齢になると食事は生活の上で楽しみの一つになります。 病気などがあると、何を食べて良いのか分からなくなってしまうことも。 次は、具体的な食べ物について説明します。 ③何を食べれば良い? 食べるための歯や口の機能に問題がなければ、基本的には何でもOKです。 お酒、サイダー、フライドチキン、うなぎなど… あなたのお好きなものを食べて大丈夫です。 ちなみに、以下は私の担当患者さまに人気が高いものです。 ④食べない選択肢 病気や状態によっては、食べないことを選ばざるを得ない時もあります。 そんな時は、冷凍みかんの果汁を数滴なめたり、アイスを少し口に入れり… もちろん、誤嚥性肺炎のリスクがある方は医師の指示のもと行います。 最期に食べられるかどうかは、いろいろです。 しかし食べずに、点滴とわずかに口に入れるものの楽しみがあるだけでも、幸せに感じる瞬間があると良いですね。 まとめ 最期に口から食べることができるのは、幸せなことです。 病気や体の状態によって食べられない方も、安心してください。 医師や管理栄養士に
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虫の知らせ

時期的にこんな話でもしますかね。2015年6月、悪性脳腫瘍で2012年から闘病していたお袋が他界した時の話なのですが一時は奇跡的な回復劇を見せ、私のみならず病院関係者達を驚かせたのですが腫瘍が再発、最後は手の出せない部分まで腫瘍が侵食、破裂してしまい後は病院で息を引き取るのを待つだけの状態になってしまいました。亡くなる2日前、それまで目を開けなかったお袋が目を開け、涙を流していて両手足のむくみも酷い、身体も氷で冷やしたように低い、血圧も不安定。お袋の最期は近いと感じていました。最期の日、ずっと雨が降っていて、その日も昼から夜の7時ぐらいまで病院にいたと思います。帰宅して夕飯を食べた後、シャワーを浴び部屋で酒を飲みながらTVを見ていました。亡くなる2日前からそうだったのですが最期の日も私の部屋のドアが勝手に開きましてお袋が最後の挨拶に来たのだと思いました。そして、AM1時すぎた頃、それまで降っていた雨が止み病院から電話が来るな・・・と思った直後、病院から携帯に電話があり心臓の動きが弱くなってます!すぐに来てください!と。タクシーで病院に急行しました。ナースステーションでは若い看護師さんが涙ぐんでいて案内され病室に入るとお袋の身体が真っ白になっておりお袋が逝ったのだと感じました。私が部屋に入った瞬間0だったお袋の脈拍が70まで一瞬上がったのですが医師が病室に入って来たと同時に脈拍が0になり死亡宣告を。脈が一瞬上がったのも最後の力を振り絞って、私の姿を確認したんだと思うんです。そして逝ったのだと。杉下※近隣トラブル、これから介護を始める方、健康 また相続、成年後見人etc... 自身
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最期は自宅で…父の思いは叶えてあげたい

✥✥✥自宅で父を看取ることは可能でしょうか✥✥✥ 現在父は特別養護老人ホームに入居しています 父はいつも面会に行くと 「死ぬときは家がいい」と口癖のように言っています そんな父の思いを叶えてあげたい… できるだけ父の意思を尊重して自宅で看取るという 選択肢も考えておきたいと思うのですが… 在宅介護で看取りをすることは可能でしょうか? もしできるのであればどのような準備が必要なのでしょうか ✥✥✥最期を迎える場所として、施設と在宅それぞれの     メリットとデメリットを考慮し無理のない決断をしましょう✥✥✥ 終末期を住み慣れた我が家で過ごしたいと願う人は多くいます これまでは、在宅での介護力や医療体制を整えることが難しいため 自宅に戻る希望がかなえられないケースが多くありました しかし、2015年の介護保険法の改正により、在宅医療を支える しくみが制度化されたことから 在宅で看取りができる体制が整えられ始めています「住み慣れた家で最期を迎えたい」という思いは自然な感情なのだと思います(´ω`*)在宅での看取りでは、残された時間を家族と一緒に過ごせることが 本人にも家族にも大きなメリットになります(*´ω`*) しかし一方で、家族の介護負担や互いに気遣うなどの 精神的な負担が発生することも忘れてはいけません(´-ω-`) そこで負担を軽減するためには、次のような条件が必要と考えます 1.本人と家族が共に「自宅で最期を迎えたい」という意思があること 2.在宅医や訪問看護などの医療チームの体制が整うこと 3.家族や介護サービスによる介護力があること 4.医療と介護が24時間体制ででき
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「私の人生は何だったのか」と聞かれたら

こんにちは。パーソナルナースのうさぎです。💚「私の人生は何だったのか」と聞かれたらドキッなんて答えたらいいのだろうとても重い 問いどうやったら力になれるだろうか・・・考えてしまいます。今年の「老年看護学会学術集会」特別講演の話題 💜心に寄り添うことのお話を聴講しました。↓「私の人生は何だったのか」「生きている意味はあるのか」「もう死んでしまいたいのにお迎えがこない「こんなになってまで生きていても意味がない」「役に立たなくて 生きてる意味はあるのだろうか」「もう疲れてしまった…もう投げ出したい」「何もできないのが申し訳ない」このような言葉 聞いたこと あるのではないでしょうか。私も40代でなくなった兄から末期の時に聞きました。この声はには2つの特徴があるそうです。1.答えがない2.感じることができる人にしか響かない。聴いた人は必ずダメージを受ける。つまり「生きていて何の意味があるのだろう」という問いは、質問の形で届くけれどももともと答えのない問いつまり ”問い”ではなくて「魂の声」「スピリチュアルペイン」そう思って聴くと 「答えをださなくちゃ」と思わずに聞くことに専念できるそれから、家族でも友人でも看護師でも スピリチュアルペインを聞いた人は必ずダメージを受けつらくなったり苦しくなったりする(人の話を聴くととても疲れる⇒疲れたと自覚していいんだ!)だからケアする者は、ケアされなければならない。高齢者への終末期看護の話題でしたがどの年代の人にも共通するしスピリチュアルペインに”科学”はあまり役に立たないではスピリチュアルのケア とは?  魂の叫びへのケアとは?そばにいることそばにい
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誰よりもつらさが分かるのは"あなたの強み"

✥✥✥新人介護職さんのよくある悩み✥✥✥ 介護施設に勤めて3年目 今までに3人の利用者の看取りを経験しました 毎回、その方とのお別れが辛くて なかなか死と向き合うことが出来ません こんな私は介護職に向いてないのでしょうか? ✥✥✥辛さが分かるのはむしろあなたの強み✥✥✥ あなたの辛い気持ちに思わずうなづいてしまうほど分かります 私も介護を始めたころは同じような事で悩みました(´-ω-`) 自分のメンタルが持たない…辞めようかと 何度も考えたことがあります 私はその頃、主人を亡くしてまだ3年ほどだったと思います そんな時期という事もあったのかもしれませんが 人の「死」に対してただただ"寂しい"という思いだけを抱えていました 看取りを"別れ"そして"苦しくて辛い"としか思えませんでした だから利用者が旅立たれた時に穏やかな形では送る事ができず 泣いてしまったり、喪失感にさいなまれ 仕事が手に付かなくなっていました 私はその時、上司にこう言われました(´-ω-`) 「〇〇さんに教わったこと、経験させてもらったことを次に 生かすことが〇〇さんへの感謝、そしてそれがあなたの仕事!」 そう言われてもなかなかメンタルが弱っていた私は 理解するのが難しく時間がかかりました…(-_-;) 多くの先輩に経験談や話を聞いたり たくさんの本も読みました そして少しづつ私の気持ちに変化が現れたころ 「死」は単にお別れやおわりではないのかもしれない と思うようになりました(*^-^*) 皆さんは人が死を迎えるとどうなると思いますか? "星になる" "
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介護歴10年のベテランが利用者さんの看取りをどのように向き合い、挫折しないで頑張っている4つの理由

看取りを経験して、学ぶことが多くあります。介護士が誰もが経験する出来事の一つとして看取りがあります。看取りとは…近い将来、死が避けられないとされた人に対し、 身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに、 人生の最期まで尊厳ある生活を支援すること。介護施設で言うと、近い将来、死が避けられないとされた人に対し、 点滴などといった延命治療をせず、身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに、 人生の最期まで尊厳ある生活を支援すること。私は介護歴10年経験し、利用者さんの最後を何十人看取りました。毎回思うのですが、心に突き刺さるものがあります。そういう場面がくると必ずと言っていいほど泣いてしまいます。今では少しでも現場で冷静にいるために勤務前後に泣いてます。悲しい出来事で嫌だなと思う反面、学ぶことが多くありました。介護歴10年を経験して学んだ事を書かせていただきます。1.死というものを向き合えるようになりました介護施設に来るまでは目の前で死というものを見たことがなかったです。理由として私は恵まれた家庭で育ったわけではありませんでした。13歳までは両親と姉がいて、4人の家族はいました。父と母の喧嘩があり、両親は離婚し、父の方に私が、母の方に姉が預かることになり、父子家庭で今まで過ごしてきました。それからというものの母の叔父と叔母、母、姉とは疎遠となりました。なので関わるのは父の叔父、叔母、兄弟の関わりだけです。ここ最近、叔父を亡くしたことぐらいの経験しかありませんでした。新人時代の頃、介護施設はそういう場面があるとは知っていたつもりだったけど怖かったです。死が怖くて辞めてしまうかも
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在宅ケアについて

介護サービスマインドハピネスクリエイターです。タイトルにもある在宅ケアについてお話ししようと思います。現在、国の政策として病院ではなく在宅での看護や介護を推奨しています。アンケートでも終末期はどこで迎えたい?死ぬ最後の時はどこで迎えたい?という質問に対して自宅(自分の生活してきた場所、生まれた家)でなくなりたいという意見が約59%以上ありました。ですが現在の状況を見ると病院で亡くなられる方が78%を占めています。在宅でお亡くなりになられる方はわずか15%ほどだというのです。本人の思いとは別にたくさんの状況がありその最後の願いを叶えることが困難になってきている状況にあるのだと思います。家にいて急変したらどうしようどのように対応したらいいのかわからない面倒を見る自信がない怖いと意見は様々です。決して1人ではありません。保険サービスや保険外のサービスを組み合わせることで在宅でも看取りをすることが可能になってきています。ですが利用する人の気持ちと心が置いてけぼりになってしまっているのでは無いでしょうか?人が1人天寿を全うするためには本人だけでなく、本人に関わる周りの人全てに責任が伴います。大事な人を気持ちよく送り出すためにも家族全員で終末期の高齢者を在宅で看取りませんか?みんなで力を合わせれば可能となります。これからも在宅ケアは推進されていきます。しっかりと受け止めて大事な人の最後を看取れるようになりましょう。
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親との別れについて。看取りについて考えさせられた本。グリーフを軽減したい。

随分前に友人から、彼女の母親ががんで闘病 中だと聞いて、心を痛めていました。 近況を聞く度に、小康状態、悪くなっている、を繰り返し。とうとう余命宣告をされたと聞きました。  40代になり、そうか、親がいつまでも健康で、今と同じように支えてくれる訳じゃないんだ…、そもそも今その状態であるということは、私はかなり幸運なんだ…という思いが、脳内に薄っすらと滞在するようにはなっていましたが、彼女の置かれている状況が進んでいくのを追っていくことで、よりリアルに感じる機会を与えられています。  うつ病闘病中に父親を亡くし、それまでの父親との関係を後悔したんですが、それを考えると尚更、看取る時のことを考えて今行動することって必要だな、と思うようになりました。私は、精神面で母との繋がりが強いので、亡 くした時の不安から、グリーフケアについて関心があり、この記事の出来事にも繋がったのですが、グリーフ(喪失感)を軽減するために、後々の後悔を減らしたいと思いました。  ということで、手に取ったのが、“親とさよならする前に 親が生きているうちに話しておきたい64のこと”でした。他にも、大切な人を亡くした時の悲しみを綴ったエッセイ集などもありましたが、気持ちに寄り添いつつも、分かりやすく、しっかりノウハウを詰め込んであるなと感じ、手元に置いています。 著者の方は、自身の祖母を成年後見人として 介護、父親の看取りを経験された方で、その戸惑いや亡くした後の喪失感と向き合った経験を通して、予めどういう準備が必要かを、カテゴリに分けて具体的に記していらっしゃいます。  医師や弁護士監修で、その時に起こりがちな
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お看取り

先日、お看取りについて講義させていただきました。 仕事でお看取りをされた事はありますか? 緊張しますし、とても責任を感じる業務ではありますね。 介護職として あたふた💦してはいけませんし、冷静に努めなければなりません。 【経験が豊富で、何事にも動じず見送ったあとも平然としていられる。または気持ちの切り替えが早い。】こんなスタッフさんが、素敵でカッコよくそしてまた、そうでなければならない。そんな風に思っていないでしょうか。。職場に居る時は、プロとして凛とした姿勢は必要ですが 個人に戻った時は その経験から感じたストレスや不安にフタをしないで欲しいです。 経験が増えたり、時間が過ぎれば癒えるものではない事を知っておいて下さい。 自分が老いた時 メンタルが落ちた時 病気をした時 押さえてたフタを押さえきれなくなる時が必ずきます。 そのフタが外れてしまった時は、形を変えて色々な問題として出現してきます。 自分のケアをしっかり行なって下さい。 淡々と業務をこなせる人が強いわけでもカッコいいわけでもありません。 ⚫︎最後まで読んでいただきありがとうございます。
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印象に残った面接

老健という在宅復帰施設で、入退所の相談員をしていた時の印象に残った出来事について書きたいと思います。(個人情報は隠します)ある時、ケガが治るまで1ヶ月だけ施設に入ることを条件に入所してきた人がいました。 しかし、いざ母親が入所したら 「面会したらすぐにでも帰ると聞かないだろうから、もう会わないし家にも連れて帰れません。」 と娘さんから当初の予定と違う方向性を打ち明けられたのです。 娘さんにとって母親は怖い存在で、母親の言うこときかなければならない存在だったのです。 これを機会に離れようとひそかに考えていたのでしょう。 ここで娘さんに確認しました。 私「お母様が怖いし離れたい気持ちはわかりました。ところで、そんなお母様でも今まで娘さんの言うことをきく時はありましたか?」 そうすると 娘「母が風邪ひいたときにご飯を持って行ったときとかはすごく笑顔で喜んでくれました。」 という返答がありました。母親のことを娘さんが”自発的に心配して動いているとき”は、機嫌がよくなり、そして話が通りやすかったそうです。 私「逆にわがままを言ってきかなかったり、怒ったりするときは?」 娘「私が母に注意したり、嫌味を言う時です。」 母親が感情的になり、特にうまくいかない時は”母親の存在を否定されたとき”のようです。 そこでこう聞きました。 私「では約束を守らず、会いも来ないとどっちの反応が出そうですか?」 娘「・・・たぶん手がつけられなくなります。」 こんな面接の結果、ずっと施設に預けるのは先の目標にして、まずは施設で嫌な印象を残さないこと。施設に慣れることを今回の目標にしました。 そして、母親を気にかけ
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看取りへのきっかけ

なぜ、私が終末期医療に興味をもち「日本死の臨床研究会」に参加するようになったのか、少しだけ触れさせていただきます。循環器病棟で看護師として働き出してからの私は、人の命を守ること救うことが重要であり、救命救急こそやり替えがある仕事と思っており「死んでいく」という過程について、あまり興味がなかったように思います。「死ぬ」のは結果であり、結果の前に自分がなすべき救命救急こそ、看護師の使命であると強く思っていたからかもしれません。私には同じ職業の娘がいるのですが、その娘と救命救急の話をしている時に、なんとその娘が「私、生きている人には興味はないの、死んでいく人に何をしてあげられるのかを考えたいの」と、私と真逆のことを言い出したのです。私は、今まで考えてもみないことに「あなたは何を言っているの」と半ばあきれて、救命救急がいかに大事か口論になったのを覚えています。そのころ娘は大学生で癌看護を専門に勉強しており、教授のお供で緩和医療学会に同行した直後でした。そこで、終末期医療という分野に出会い強く影響を受けたようでした。それからは、終末期医療について熱く語られると同時に「お母さんも緩和医療の学会に行くべき」と何度も誘われ、気乗りのしないまま2012年神戸で行われた学会に参加したのでした。開催地が神戸ということもあり、「おいしいものでも食べに行こう」ぐらいの気持ちで出かけた訳です。ところがです、ちょうどその当時、終末期医療や緩和医療を中心とした演題が多く、その分野では最先端のお考えを発信されている柏木哲夫先生や石垣靖子先生の講演を聞き、「看取り」という終末期医療の大切さを実感させられたのでした
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母を看取る 一筋の涙

  思い起こせば、私が子供の頃は(60年前)年寄りは老衰で亡くなる時、自宅で最期を迎えるのが当たり前の時代でした。私の祖母の時も「そろそろかもよ」という知らせが来て、子供や孫・親戚中が集まり、その最後をみんなで看送ったことを覚えています。 それがいつのころからか老衰であっても、最後は病院に運び病院で亡くなること(最期を迎える場所は病院)が当り前になってしまいました。そして、たとえ老衰であっても点滴をつけながら、心臓が止まれば心臓マッサージまで行いながら最期を迎えるようになっていました。 40年前私が看護師として働き始めたころの病院がまさにそういう時代の真っただ中だったようで、最後に何か延命につながる処置をすることが、医療者の役目だと信じていました。そこには本人の尊厳を守ることや家族が口を挟む余地はなかったように思います。1分でも1時間でも延命させることが1番大切でした。 ある日の勤務中に80歳の女性が心停止をしました。循環器病棟では心停止を発見したら心臓マッサージをすぐに開始しなければなりません。私も決められた通り胸骨に手を当ててマッサージを始めると、老化でもろくなっている肋骨が折れる感覚が手の平いっぱいに伝わってきました。心電図を見ながらこれ以上やり続けても心停止状態に変化はないとわかっていても、やり続けなければならないやるせなさは忘れられません。 そういった延命処置が体に与えるダメージは、本人が「痛い、苦しい」とも言えないまでも「死に顔」に現れているようで、切ない気持ちでいっぱいでした。そして何よりも病室に家族の姿はなく、独りであわただしくあの世へ旅立たねばならないことが、
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最後に親孝行 Or 最後の親孝行

よくある話です。老衰で静かに臨終の時を待っている老婆がベッドに横たわっています。毎日見舞いに訪れる娘さん家族は、今日もその傍に付き添い見守っています。95歳を過ぎ徐々に食も細くなり、とうとう食べられなくなって1週間が過ぎました。医師から「このまま何もしなくても穏やかに最期が迎えられますが、何か希望はありますか」と聞かれます。娘さんは「苦しくもなく眠っているようなので、このままそっとして旅立ってほしいです」と延命治療は希望されませんでした。医師から「逢わせたい方があれば早いうちに逢わせてください」と言われ、娘さんは、「仕事が忙しい!」と言って疎遠であった兄にも連絡をします。翌日親の危篤の知らせを受けた兄がやってきました。兄は長年見ない間にすっかり痩せ衰えた母親を前にして、うろたえていました。そして看護師に「痩せているが食事はできているのか」「食べられないなら栄養が摂れないではないか」「水が不足したら脱水で死んでしまうのではか」と矢継ぎ早に質問をあびせます。そして「俺は今までお袋に何もしてやれなかった、最後はできる限りのことをしてやりたい」「だからせめて点滴をつけて栄養と水を十分にあげてほしい」と言うのでした。息子さんはそうすることが「最後に親孝行」だと言い張ります。しかし、長年母親の老いを見続けて、今に至った事がわかっている娘さんにとって「最後の親孝行」は静かに見守ることでした。 この様に「最後にできる限りのことは何でもしてあげたい」「それが最後に親孝行をした」と思うのは、人としてすごく当たり前のように思えます。しかし、点滴が老衰でおだやかに臨終を迎えようとする身体に及ぼす影響を
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欲深い

【欲深い】あんまり良い印象のない言葉ですが 欲しいものを手にする手段が 人を傷つけるとか他力本願でなければ前に進むための良い起爆剤になるんだと思いますもっともっと欲深くありたいと思います。 ⚫︎最後まで読んでいただきありがとうございます。
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