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母の最後の贈り物②

主治医の先生より、もう母はあまり長くは生きられないことを聞き落ち込むが、今日は病院に泊まらせてもらえるのでウキウキしながら病院に向かうからのつづきです(*´ω`*)「おかーさーん!来たよー!!!今日はずっとここでお母さんと一緒に居れると!嬉しい~!」と母の病室(個室)に入り、抱きしめて頬ずりしました。 母は心臓にも体にも水が溜まってて、褥瘡などの痛みもあり。とても辛そうだったのですが、「うれし。。。うれし。。。」と喜んでくれていました。「私ね、ずっとずっとお母さんが大好きやったと。幼稚園の時に習った歌がすごい好きでね、(おかぁさん  なぁに? おかぁさんっていい匂い  洗濯していた匂いでしょ シャボンの泡の匂いでしょ  おかぁさん  なぁに?   おかぁさんっていい匂い  お料理していた匂いでしょ 卵焼きの匂いでしょ)」個室であることを良いことに歌まで歌ったり( *´艸`)そのうち「痛い痛い」とだいぶ辛そうになってきたのでさすったりしていたのですが。看護師さんに痛み止めを貰えないか聞いてみると「前にのんでから6時間空いてないのでまだのめません。胃が荒れるので。」 そんなに長くは生きられない母が痛みに辛そうにしてる せっかくの貴重な親子の時間をできるだけ苦痛なく過ごしたい < 胃の粘膜   なん???胃が荒れるから???  優先すべきは胃の粘膜??腹が立ちつつも、病院内では言う通りにしないといけないので「おかあさん、もう少し待ってね。そしたらお薬もらえるけん。。」と、身体をさすってあげることしかできませんでした。しばらくして落ち着いてきて、呼吸も穏やかになり、母は眠ってしまいまし
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母の最後の贈り物 最終回

母と最期の時間を一緒に過ごすことができ、やっぱり母は私が来るのを待っててくれたんだなあと思い、 母と一緒に最期の時を過ごせたことを神様仏様に心から感謝しました からのつづきです(*´з`)   朝になり葬儀屋さんが来て母をすぐに連れて行って。 親戚や実家のご近所の方に連絡。 お葬式の準備のため担当の方と打ち合わせ。(お棺も骨壺もお花も全部価格のランクがあり、寝てないし泣きすぎて頭ぼんやりしてるのに選ぶの大変。)  お葬式の受付や、参列の皆様へのご挨拶やお礼。火葬場に移動、戻って親族で食事。。   (そういえばお棺にかけるリボン?に、母へのメッセージをマジックで書いたのですが、小学生の息子が、”おばあちゃん天国でもがんばってね” と書いていて、もうたくさん頑張ったから天国では休ませてあげてと、心の中で思ってました( ;∀;)しかもドウェインジョンソンの似顔絵を描いてたのですが、おばあちゃんドウェインジョンソン知らんやろ( ゚Д゚))  でもこういうところが可愛くて(*´ω`*)母もニコニコ笑ってたと思います。。    亡くなってから葬儀終わるまでは、慌ただしくいろいろなことをこなしていかなくてはならず、ゆっくり悲しむ暇もなかったのです。。   やっと家に帰ってきた母の骨壺を前にして、「もう母の肉体に触れることはできないんだなあ。」と思うとどうしようもなく寂しくて悲しくて。。  「もうお母さん痛みもなく苦痛もなく重たい体もなくて、優しい阿弥陀様のもとで、先に亡くなった父や兄弟姉妹と楽しく過ごしてるんだろうなあ。」  娘としての役目が終わったことを実感し、心に空いた穴が想像以上に大き
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母の最後の贈り物

 弘法大師様のお話しでも書かせていただきましたが、いろいろな偶然が重なって母と最期の時を二人きりで過ごすことができました。  その日、「少し状態が落ち着いたので明日退院しましょうか」との主治医の先生のお話しがありました。(え?褥瘡痛がってるし、心臓に水が溜まってるっておっしゃってたのに。。)と不安に思い、「退院しても大丈夫でしょうか。。治療のほうは続けなくてもいいのですか?」とお聞きすると、「いつなにがあってもおかしくない状態です。。お別れもそう先のことではないと思います。今がご家族と慣れた環境で過ごせる最後の時だとおもいます。」と。そのとき初めて「退院」の意味がわかりました。良くなったから「退院」ではないのです。とてもとても辛くて悲しかったです。心のどこかでは覚悟してたつもりでしたが、あらためて言われるとほんとに辛くて悲しかった。。でも、コロナで面会時間も制限されてて、「じゃあ、帰るね。。おかあさん。」って言った時にとても悲しい顔をしてたので。。明日からはずっと一緒に居れるんだ!この時間を1秒も無駄にしないで精一杯お母さんとくっついて過ごそうと思いました。夕方、看護師さんからお電話をいただきました。「個室が空いていたのでお母さんそちらにうつりました。夜こっそり泊ってもいいですよ。」って言ってくださったのです!「でも、急にご連絡したので。泊まらなくてもいいですよ(*^^)」とのことでしたがもちろん泊まらせていただきますとも!!!わーい♪少しでも一緒に居させてあげようという看護師さんのお優しいお心遣いに感謝しながら、病院にむかいました。やっぱりどうしても長くなってしまします~(
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最期は自宅で…父の思いは叶えてあげたい

✥✥✥自宅で父を看取ることは可能でしょうか✥✥✥ 現在父は特別養護老人ホームに入居しています 父はいつも面会に行くと 「死ぬときは家がいい」と口癖のように言っています そんな父の思いを叶えてあげたい… できるだけ父の意思を尊重して自宅で看取るという 選択肢も考えておきたいと思うのですが… 在宅介護で看取りをすることは可能でしょうか? もしできるのであればどのような準備が必要なのでしょうか ✥✥✥最期を迎える場所として、施設と在宅それぞれの     メリットとデメリットを考慮し無理のない決断をしましょう✥✥✥ 終末期を住み慣れた我が家で過ごしたいと願う人は多くいます これまでは、在宅での介護力や医療体制を整えることが難しいため 自宅に戻る希望がかなえられないケースが多くありました しかし、2015年の介護保険法の改正により、在宅医療を支える しくみが制度化されたことから 在宅で看取りができる体制が整えられ始めています「住み慣れた家で最期を迎えたい」という思いは自然な感情なのだと思います(´ω`*)在宅での看取りでは、残された時間を家族と一緒に過ごせることが 本人にも家族にも大きなメリットになります(*´ω`*) しかし一方で、家族の介護負担や互いに気遣うなどの 精神的な負担が発生することも忘れてはいけません(´-ω-`) そこで負担を軽減するためには、次のような条件が必要と考えます 1.本人と家族が共に「自宅で最期を迎えたい」という意思があること 2.在宅医や訪問看護などの医療チームの体制が整うこと 3.家族や介護サービスによる介護力があること 4.医療と介護が24時間体制ででき
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【食事】家で最期に

あなたの最期の食事、決めていますか? 今回は、家で最期に食べる食事について紹介します。 ①どう最期を迎えるか ②食べる楽しみ ③何を食べれば良い? ④食べない選択肢 まとめ ①どう最期を迎えるか あなたにとっての最期をどう迎えたいですか? 家、病院、施設など場所はそれぞれです。 慣れ親しだ家で過ごしたいという方が多いのが現状。 最期を迎えるには、ご家族の協力も必要です。 やはり家でのお食事、気になりますよね。 ②食べる楽しみ 食べることが楽しい方は多いはず。 特に、最期を家で迎えるご年齢になると食事は生活の上で楽しみの一つになります。 病気などがあると、何を食べて良いのか分からなくなってしまうことも。 次は、具体的な食べ物について説明します。 ③何を食べれば良い? 食べるための歯や口の機能に問題がなければ、基本的には何でもOKです。 お酒、サイダー、フライドチキン、うなぎなど… あなたのお好きなものを食べて大丈夫です。 ちなみに、以下は私の担当患者さまに人気が高いものです。 ④食べない選択肢 病気や状態によっては、食べないことを選ばざるを得ない時もあります。 そんな時は、冷凍みかんの果汁を数滴なめたり、アイスを少し口に入れり… もちろん、誤嚥性肺炎のリスクがある方は医師の指示のもと行います。 最期に食べられるかどうかは、いろいろです。 しかし食べずに、点滴とわずかに口に入れるものの楽しみがあるだけでも、幸せに感じる瞬間があると良いですね。 まとめ 最期に口から食べることができるのは、幸せなことです。 病気や体の状態によって食べられない方も、安心してください。 医師や管理栄養士に
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【実話】余命3ヶ月  ー娘さんが最後に選んだ場所ー 前編

私は33年、この仕事をしてきました。たくさんの出会いと別れを経験してきました。そして、たくさんの涙にも立ち会ってきました。それでも、今でも思い出すたび胸が熱くなる出来事があります。これは私が実際に経験したお話しです。忘れられない出会い私が施設長を務めていた時のお話しです。ある日、一人の娘さんが私の施設を訪ねて来られました。 「母を、ここで過ごさせてもらえませんか」声は震え、目は真っ赤でした。お母様は脳腫瘍の手術を受け、手術自体は成功。 けれど、その後に点滴部分より菌が入り込み敗血症を発症しまったそうです。 病院では考えられる限りの治療をしたそうですが、回復することはなく、医師から告げられた言葉は、「余命3ヶ月」・・・・娘さんは突然、母の“最期”を選ばなければならなくなったのです。自宅へ連れて帰るべきか。このまま病院にいるべきか。意識のない母に聞くことはできません。どれほど苦しかったことでしょう。思い出した母の言葉そんな時、ふと思い出したそうです。元気だった頃、お母様が笑いながら話していた言葉を。 「もし家で暮らせなくなったら、あの施設に入りたいな」 その“あの施設”が、私の務めていた施設でした。 娘さんは泣きながら言いました。 「たった3ヶ月でいいんです。母の願いを叶えてあげたいんです」 私たちの施設は本来、終の棲家として長く過ごしていただく場所として運営を行っていましたので、3ヶ月という期間限定のケースは過去にありませんでしたしかし私は、その言葉を断ることができず、その場で受け入れを決断しました。現実は・・・けれど受け入れは簡単ではありませんでした。お母様は意識がなく、鼻から
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「私の人生は何だったのか」と聞かれたら

こんにちは。パーソナルナースのうさぎです。💚「私の人生は何だったのか」と聞かれたらドキッなんて答えたらいいのだろうとても重い 問いどうやったら力になれるだろうか・・・考えてしまいます。今年の「老年看護学会学術集会」特別講演の話題 💜心に寄り添うことのお話を聴講しました。↓「私の人生は何だったのか」「生きている意味はあるのか」「もう死んでしまいたいのにお迎えがこない「こんなになってまで生きていても意味がない」「役に立たなくて 生きてる意味はあるのだろうか」「もう疲れてしまった…もう投げ出したい」「何もできないのが申し訳ない」このような言葉 聞いたこと あるのではないでしょうか。私も40代でなくなった兄から末期の時に聞きました。この声はには2つの特徴があるそうです。1.答えがない2.感じることができる人にしか響かない。聴いた人は必ずダメージを受ける。つまり「生きていて何の意味があるのだろう」という問いは、質問の形で届くけれどももともと答えのない問いつまり ”問い”ではなくて「魂の声」「スピリチュアルペイン」そう思って聴くと 「答えをださなくちゃ」と思わずに聞くことに専念できるそれから、家族でも友人でも看護師でも スピリチュアルペインを聞いた人は必ずダメージを受けつらくなったり苦しくなったりする(人の話を聴くととても疲れる⇒疲れたと自覚していいんだ!)だからケアする者は、ケアされなければならない。高齢者への終末期看護の話題でしたがどの年代の人にも共通するしスピリチュアルペインに”科学”はあまり役に立たないではスピリチュアルのケア とは?  魂の叫びへのケアとは?そばにいることそばにい
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誰よりもつらさが分かるのは"あなたの強み"

✥✥✥新人介護職さんのよくある悩み✥✥✥ 介護施設に勤めて3年目 今までに3人の利用者の看取りを経験しました 毎回、その方とのお別れが辛くて なかなか死と向き合うことが出来ません こんな私は介護職に向いてないのでしょうか? ✥✥✥辛さが分かるのはむしろあなたの強み✥✥✥ あなたの辛い気持ちに思わずうなづいてしまうほど分かります 私も介護を始めたころは同じような事で悩みました(´-ω-`) 自分のメンタルが持たない…辞めようかと 何度も考えたことがあります 私はその頃、主人を亡くしてまだ3年ほどだったと思います そんな時期という事もあったのかもしれませんが 人の「死」に対してただただ"寂しい"という思いだけを抱えていました 看取りを"別れ"そして"苦しくて辛い"としか思えませんでした だから利用者が旅立たれた時に穏やかな形では送る事ができず 泣いてしまったり、喪失感にさいなまれ 仕事が手に付かなくなっていました 私はその時、上司にこう言われました(´-ω-`) 「〇〇さんに教わったこと、経験させてもらったことを次に 生かすことが〇〇さんへの感謝、そしてそれがあなたの仕事!」 そう言われてもなかなかメンタルが弱っていた私は 理解するのが難しく時間がかかりました…(-_-;) 多くの先輩に経験談や話を聞いたり たくさんの本も読みました そして少しづつ私の気持ちに変化が現れたころ 「死」は単にお別れやおわりではないのかもしれない と思うようになりました(*^-^*) 皆さんは人が死を迎えるとどうなると思いますか? "星になる" "
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余命3ヶ月から生命力の回復

訪問看護では看取りまでやるところがあります。私は看取りまでできることを誇りに思います。最期までおうちで過ごせる方は、やはり少ないです。余命宣告されたショック食欲がないということで、病院を受診し、癌と診断され手術を受けることになったんです。と言う連絡をいただきました。癌の末期で転移もしていました。余命3ヶ月と言われたと、ご家族から聞きました。ご本人には伝えず、早く元気になろうね!と言って自宅へ帰ってきたと言うことでした。口からも食事は取れるけど、腸ろうをつくっているため、栄養は腸ろうへ管を通して流します。この間は接続が取れないように、最初のうちは不安もあり、付きっきりで介護されていました。ご家族のショックな様子が強く、訪問するたびにご家族のお話も聞いていました。夜中にトイレの介助があり、眠れないということをおっしゃっていました。なので、訪問に伺っている間は休んでもらうことにしました。とにかくやれることをやる食事が取れないので、何か食べたいと思っても食べられない。というか食べたいという気持ちがなくなっていました。ご家族から一緒にお茶してくださいと言われ、お茶を飲んでいたら、少し召し上がるようになり、お話をしながら気分転換になっているのか、訪問した時は、食事を少しづつとるようになってきました。訪問にお茶の時間って本当はないですけど、食事を取れるようになってほしいというご希望があり、笑顔が増えてくることでまだ生きられるという希望にもつながり、やれることはやろうと時間もうまく使ってやっていました。私は何年も訪問看護をやっていましたが、雪が降ると訪問はお休みさせてもらっていました。自転車で
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死期が近づいた時 病院内では

看取り(みとり)期間が近づいた時持っているご病気によって、人は様々な状態になります。また死期が近づいた時の対応方法によっては様々な最後となります。その経過時間も様々です。・意識が遠のいていき、こちらからの刺激とご本人からの反応がなくなっていく方。・意識が遠のく直前まで痛みや息苦しさと闘われる方。・腕や足の腫れ・腕や足の色が紫色に変化、腕と足の体温が下がっていく方病状や薬剤の使用状況などで、様々な最後の形があります。こちらを更に明確に時間を確認しながら、ご家族やご本人の意思にそった対応をさせていただく事が病院での看取りだと感じています。私たち看護師は沢山の方の看取りを経験します。死期が近いとなると、看護師がすぐに対応できる病室へ移動し看護師に囲まれ、おむつ交換や全身の清拭、毎日の更衣、痰が出ている方は1日数回の痰の吸引、点滴の処置、点滴交換など多彩な処置その処置時に特に看護師から声をかけられ、肩や手に触れさせていただいて、声をかけさせていただいています。なぜかというと看護師間では、死期が近づいて意識がない状態でも、ご本人様に聴覚は生きていて、聞こえている。そう言われているからです。だから最後まで声かけを忘れず、対応をさせていただきます。現在のコロナが5類に落ちた後も、面会時間は以前のような面会時間や期間には至っていません。しかし看取り期間となった場合は、限られた人数の方との自由度の高い面会は可能です。病室で寄り添い、声をかけ続ける方も病室に入室しお顔を拝見し、「見てられない」そう一言を残し、すぐに退室される方も退室された後廊下にたたずまれる方も別れが近づいているという悲しみ、苦し
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【実話】余命3ヶ月 -娘さんが最後に選んだ場所ー 後編

私が感じたかすかな違和感娘さんと中庭の散歩が実現した頃、毎日のようにお部屋へお母様の様子を見に行っていた私は、何か不思議な感覚になっていました。違和感というのか・・・何かが違うような感じがしていました。施設へ来た頃のお母様は、毎日のように高熱を出していました。 そのたびに座薬で熱を下げる。私たちは、それを繰り返すことしかできませんでした。それでも声をかけ続けました。「今日はいい天気ですよ」 「娘さん来られますよ」 「みんな待ってますよ」 血の気が引いた青白い顔、どんな声かかけをしても変わらない表情。しかし、この頃から体調に変化が起きていました。 熱が出なくなったのです。座薬を使う回数も明らかに減ってきている。もう余命も1か月を切っている。身体が熱を出す力も失ってきているのか?いや、違う。明らかに顔色が以前よりも良くなっている・・・。私たちは信じられない思いで再検査をお願いしました。 訪問診療の医師は少し驚いた表情をしていましたが、私たちが感じる何かを確かめる為に渋々「一応検査だけでもしてみましょうか」と再検査を承諾してくれたのです。奇跡は本当に起きた検査結果は―― なんと血液中から感染していたはずの菌が消えていたのです。敗血症が治っていたのです。あれほど大きな病院で難しいと言われた病気が、治っていたのです。 私は医師に聞きました。 「何か特別な薬を?」 先生は静かに言いました。 「何もしていません。ごく普通に使われる抗生剤です」 私は鳥肌が立ちました。 これは、娘さんの想いだ!介護士たちの毎日の声かけだ!みんなの思いが、この方を引き戻したんだ!本気でそう思いました。 お母様が目
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介護歴10年のベテランが利用者さんの看取りをどのように向き合い、挫折しないで頑張っている4つの理由

看取りを経験して、学ぶことが多くあります。介護士が誰もが経験する出来事の一つとして看取りがあります。看取りとは…近い将来、死が避けられないとされた人に対し、 身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに、 人生の最期まで尊厳ある生活を支援すること。介護施設で言うと、近い将来、死が避けられないとされた人に対し、 点滴などといった延命治療をせず、身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに、 人生の最期まで尊厳ある生活を支援すること。私は介護歴10年経験し、利用者さんの最後を何十人看取りました。毎回思うのですが、心に突き刺さるものがあります。そういう場面がくると必ずと言っていいほど泣いてしまいます。今では少しでも現場で冷静にいるために勤務前後に泣いてます。悲しい出来事で嫌だなと思う反面、学ぶことが多くありました。介護歴10年を経験して学んだ事を書かせていただきます。1.死というものを向き合えるようになりました介護施設に来るまでは目の前で死というものを見たことがなかったです。理由として私は恵まれた家庭で育ったわけではありませんでした。13歳までは両親と姉がいて、4人の家族はいました。父と母の喧嘩があり、両親は離婚し、父の方に私が、母の方に姉が預かることになり、父子家庭で今まで過ごしてきました。それからというものの母の叔父と叔母、母、姉とは疎遠となりました。なので関わるのは父の叔父、叔母、兄弟の関わりだけです。ここ最近、叔父を亡くしたことぐらいの経験しかありませんでした。新人時代の頃、介護施設はそういう場面があるとは知っていたつもりだったけど怖かったです。死が怖くて辞めてしまうかも
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「長生き」か「自分らしさ」か。正解のない選択に寄り添うということ。

私は以前、がん末期の方などを受け入れるホスピスの役割を持つ住宅で、マネージャー兼ケアマネを務めていました。そこでは年間約40名以上の方の最期に立ち会い、何度も自分に問いかけたことがあります。 ​それは、「治療を優先するのか、生活(日常)を優先するのか」という問題です。 ​例えば、がん末期のような、いつか必ず終わりが来る状況において。 治療を最優先にすれば、少しだけ命を長らえることができるかもしれません。しかし、その代償として入院生活が長くなり、自宅で過ごす時間が減ったり、筋力が落ちて歩けなくなったりと、生活の質が低下してしまうこともあります。 ​一方で、住み慣れた場所での生活を優先すれば、入院しない分、家族との時間や自分らしい日常を守ることができます。しかし、結果として命の時間は少し短くなるかもしれません。 何が正解なのか?​多くの人は「少しでも長く生きてほしい」と治療を選びがちです。 けれど、人生の最後時間時間を過ごす方々の姿を見てきた私は思うのです。「必ずしも治療を優先することが、その人にとっての正解とは限らない」と。 ​治療を優先するのか・・・。 それとも、最後の日まで自分らしく生きる時間を優先するのか・・・。 答えは自分の中にある​その答えは、ご本人やご家族の価値観の中にしかありません。 そして、どちらを選んだとしても、それは間違いではなく、どちらも「正解」なのです。 ​私自身、何度もその選択の場面に立ち会い、「私だったらどうだろう」と、ご家族と一緒に悩み、考え続けてきました。 ​もし今、あなたがご家族の今後について、どうすべきか迷い、苦しんでいるのなら。 どうか一人で
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【近況説明⑤】現状:看取りを終えて

父を看取り終え、見送りまで2026/2/4 4:00 父を看取り終えました。 その日はなんとなく予感がして、いつもなら寝る時は携帯の音を一切消すのだけれども、 寝る直前に音を切らずに寝た。 その1時間後に病院から電話が鳴ったので、やったことは正解だったようだ。 血圧が60まで下がって意識が戻らないので、という電話だったのだが、 たまたまとんでもない時間だったにも関わらず子供らも起きていたので、 早々に全員を拾ってから病院へ向かった。 病院に着くと、血圧が90まで戻り、脈もはっきりしていますと告げられる。 が、意識は戻らない。 最後の意地か、と思ったので、「もう頑張らなくて良いんだぞ」と告げた。 そこから一時間で、苦しむ様子は一切見せないまま、父の呼吸はスッと止まった。 最後まで鎮静も使わずに自然に終える事が出来た父。 それだけでも充分に羨ましいと思った。 そんな父に向かって「お疲れ様でした」と頭を下げた。 最後の最後まで自分の思うように発言し、行動し、好きに生きた人生なのだから充分だ。 いや、こちらは最後まで聞けなかった事だらけなのだけれども。 ただ、こちらとしてもやりきった感しかないので、悲しいとか淋しいとか、 もっとこうすれば、ああすれば、とか、 そういった感情は今も生まれないでいるので本当に走り抜けたんだろうと思う。 看取りに立ち会った看護師さんは泣いてくれていたので、 クセの強い父は面倒でもあり、愛されキャラでもあったのだろうな、と思いながら、 何かこう、立場が逆転しているような空間をどうしたものかと思ったりもした。 そういや、最後の最後まで、手には携帯を握っていた。
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時の住人 忘れられない人  

今までに、様々な人との出会いを繰り返してきました。人と触れ合うことで自分を磨かせてもらったと思います。その出会いの中忘れられない人たちを、ご紹介できればとこのコラムを書いています。生き方や終わりの学びのために人は2度死ぬといわれる。1度目は本当の死、2度目は誰からも忘れ去られた時であると言われる。忘れないだろう、あの日、あの時の記憶。私がいなくなった時に、誰かが覚えてくれたら入所で過ごした長い日々より記憶の中で生きてもらえる。そう、存在という事実を残したいためにここに書き留め、あなたに伝えたいと思う。こんな人が居た。あの人は、こんな時の流れにいた。L字型に曲がった建物の誰も来ない暗い一角に、その人はいつも居た。ぽつんと置かれたテレビの前に居て、人の目を避けて一日に数杯のコーヒーを楽しみ、一人でテレビを見ている。人と言葉を交わすこともなく、時々車いすから立ち上がる練習を繰り返す。行事やイベントがあると、さらに車いすを進め、人目に付かないように隅へ隅へと向かい、食事も摂らずに隠れていた。無精ひげ、尿道カテーテル、尿臭が時々あった。右手が肩の下から無い。右足が膝下から無い。立ち上がる練習は、トイレ介助をする職員の負担を、少しでも軽くするため。毎日毎日、片足で立ち上がる練習をしている。右手と右足は太平洋戦争で失った。戦争が始まって、すぐに招集された2か月後。右手と右足は機関銃の弾を浴び、砕け散って飛んだと主任から聞いた。終戦までの長い日々を、あの人は野戦病院から内地の病院で過ごし、更に終戦から、長い長い何十年もの間、いろいろな施設で過ごしてきた、措置入所として。実家が無い。病院と施設。
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【看護師の知恵🌻】大切な人の「もしも」を支える、魔法のシート『命のバトン』のお話

みなさん、こんにちは。今日は、私が大切にしている活動のひとつ、『命のバトン』についてお話ししようと思います。「命のバトン」という言葉、聞いたことはありますか?実はこれ、「もしもの時に、大切な人のことを代わりに伝えてくれるバトン」のことなんです。🌈 どんな時に役立つの?🤔たとえば、こんな場面を想像してみてください。【事例:障がいを持つ弟さんと、支えるお姉様の場合】いつも弟さんをケアしているお姉様が、急な病気で数日間入院することになってしまいました。弟さんは数日間、初めての施設で過ごすことに…。お姉様は不安でいっぱいです。「弟は言葉でうまく伝えられないけれど、パニックになったらどうしよう?」「薬の飲ませ方にコツがあるのに、わかってもらえるかしら?」ここで活躍するのが『命のバトン』です。シートには、看護師の視点でこう記されています。💡 「彼は大きな音が苦手ですが、お気に入りの青いタオルを触っていると落ち着きます」💡 「お薬はゼリーに混ぜるとスムーズに飲めます。無理強いすると逆効果です」これがあるだけで、初めて担当する施設のスタッフさんも「なるほど、こうすれば安心なんだね」と、お姉様がそばにいる時と同じような優しいケアをすぐに始めることができるんです。🚑💨🍀 ただの「書類」じゃない、心の架け橋。私が作成をお手伝いしている『命のバトン』は、単なる医療データだけではありません。✅ 本人が一番安心すること・大好きなもの✅ 実はとっても苦手なこと・怖がること✅ ご家族がずっと大切にしてきたケアのこだわりなど、「その人らしさ」を詰め込んでいます📖✨もしもの時、お医者さんや救急隊員さんは「病気」は
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終末期の「ありがとう」に寄り添う、アロマトリートメント

こんばんわ。今日は、私の心に刻まれている、あるアロマトリートメントの記憶をお話しさせてください。 それは、看護師として終末期ケアに携わっていた時のことです。 「もう、何をしてあげられるだろう?」 その方は、もうほとんど言葉を発することが難しく、日ごとに衰弱が進んでいらっしゃいました。 私は毎日の看護業務をしながら、「何か、この方に安らぎを届けられることはないだろうか」と、日々考えていました。 ある日、ご家族から「昔から、ラベンダーを育てていて、その香りが大好きだったんです」というお言葉を伺い、私の胸に一つのひらめきが宿りました。 「アロマの力で、少しでも穏やかな時間を過ごしていただけたら……」 ~ラベンダーの香りが紡いだ、言葉のない対話~私は、肌に優しく、心穏やかにしてくれるプラナロムのラベンダー精油を選び、温めたベースオイルにほんの少しだけ混ぜ、手のひらにオイルを広げ、ゆっくりと、その方の細い腕にそっと触れます。 温かいオイルが肌に馴染んでいくのを感じながら、私はただ、優しいタッチで、ゆっくりと、撫でるようにトリートメントケアを続けました。はじめは閉じていたその方の瞼が、うっすらと開かれました。 口元には、かすかな笑みが浮かび、私の指先を、まるで何かを伝えようとするかのように、そっと握り返してくださったのです。 その瞬間、部屋に漂うラベンダーの香りと、手のひらから伝わる温もりだけが、私たちをつないでいました。 言葉はなくても、「ありがとう」という、深く、優しい心の声が響き渡ったような気がしました。 ~「最期の時」に寄り添う、アロマの力~トリートメントが終わると、その方は深い眠
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【感動実話】訪問看護師が最期の瞬間に寄り添う—家族にしかできないこと

こんにちは 子供の教育、受験、不登校 介護、看護、看取り・・・ 家族の将来に 不安を持つ方のための 寄り添いナース✿さくら ようこ✿です現在、訪問看護の仕事をしています。ターミナルケアにかかわり 看取りの時期を迎えた方が おられたので 「在宅看取り」についての感動実話を書こうと思います。緑豊かな田舎町 後輩の運転で朝一番に がん末期の 重症患者さんのお宅へ向かいます。 上司からは 今日か、明日かも・・・ と言われていたので 緊張。 私はその方を担当するのは 初めてだったので 担当と分かった前日から「どうか、安心・安全・安楽を 提供できますよう。 苦痛を最小限にできますよう」 心の中で祈ります。 何度か訪問している同行の ナースの話によると 「痰が多く、しんどそうで 痰におぼれているような感じ。 吸引したら酸素飽和度が下がるので うまく吸引する方法教えて下さい。」と。 到着すると、その男性は 酸素5リットルマスクで 穏やかな表情でした。早速2人で業務分担。 私はバイタルチェック。 熱無し、頻脈 酸素飽和度97% 呼吸平穏 肺雑音、咽頭雑音無し・・・ 状態落ち着いているため 洗髪をして差し上げましょうと提案。 ベット上で寝たきりの方 どうやって??? と思うかもわかりませんが 家にある物工夫して 簡単に出来るのです。45リットルのビニール袋を敷き 襟元にタオル 頭の下にテープ式オムツと 尿取りパットをしいて 肩を濡らさないようにする。 100均で購入した マヨネーズなどをかけれるような 6か所から水を出せるボトルに お湯を入れ、シャンプー準備。 男性に声をかけ
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点滴の量を減らしましょう。

ICUに勤務していると亡くなる場面に出会うことがある。大体、昇圧剤を投与しても血圧が低くて、輸液量を増やすパターンが多い。点滴の量も5L/日程度投与することもある。普通の人ならおしっこで出ていくが、重症な患者はおしっこが出ない。そんな状態の患者の体はどうなってるか。どんどんむくんでいきます。「長時間立ってたから足がむくんじゃった」というレベルではなく手、足、お腹、顔、陰部などすべてむくむ。なので、1日経つと別人のような姿になる。そんなとき医療者は「そろそろ点滴減らそうか」と考える。これは「点滴減らして、さっさとあの世に送り出そう」ということではなく、容姿が変わるのが不憫でしょうがないからだ。この治療方針の変更について家族の理解を得るには丁寧な説明が必要で、「点滴を減らします」だけ伝えると「この医師や看護師はおかしい」と思ってしまう。特にICUや救急など今まで元気だった方が急変し数日がんばっても亡くなる場合は、状況を理解できず医療者を責めるパターンが多い。なので、点滴を減らす場合は(こまめな病状説明を行い状況を理解してもらったうえで)・予後が短いがAさんの姿が変わるが家族はそれを望むか・輸液により、呼吸に影響を与えている可能性があるなど輸液を減らすことも患者のためであることを理解してもらうような説明が必要である。
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vol.16 それぞれの悲しみ方

※亡くなった愛犬の思い出が出てきます。ペットロスの方はお気を付けください。愛犬を亡くした時犬好きなもので、わんちゃんの動画とか、SNSとかついつい見ちゃいます。昨年うちの老犬をお空に送り出したばかりなので、シニア犬はどうしても応援してしまいますね(*´ω`)そうしてたくさんのわんちゃんを応援していますとね、やっぱりその日が来るんです。そう、お別れの日です。会ったこともないわんちゃんですが、いつも応援していた子が旅立ってしまうのは本当に悲しくて、スマホのこちら側でしょんぼりとしてしまいます。飼い主さんも、わんちゃんを想って何日も涙が止まらなかったり、寂しくてご飯も食べられなかったりして、その悲痛さが伝わってきます。ですが、私は、あまり泣きませんでした。全く泣かなかったわけではありませんが、一日中涙が止まらないとか、何も手につかなかったとか、そんなことはありませんでした。私は愛犬のために仕事を辞め、24時間ほぼつきっきりで約二年間必死で介護をしていたので、「犬が亡くなったらママはどうなってしまうのか」と家族は心配していたようです。とにかく愛犬ファーストだった私が、なぜ、泣き暮らさなかったのか?理由はふたつありました。ひとつは、恐怖からの解放です。介護中、私が恐れていたことが二つありました。①愛犬が苦しんでその時を迎えること②私がその瞬間に立ち会えないことうちの犬は20歳だったので超高齢でしたが、最期は老衰ではなく癌で亡くなりました。最後の瞬間まで、できるだけ穏やかに過ごしてほしい。苦しみながら延命するよりは、短くてもいいから穏やかに旅立ってほしい。それだけを願いながら日々介護をして
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これから頑張ります!

こんばんは少しの間体調不良でお休みをいただいておりました。その間にも私のブログを閲覧していただき本当にありがとうございました。特に”母を看取る 一筋の涙”は、沢山の方に読んで頂くことができ私自身驚いています。私の文章は堅苦しいので読みづらいかと思いますが、今まで看護師として経験したり考えたりしたことを、少しでも多くの人に役立てて頂ければという思いでいっぱいです。プロフィールの自己紹介を更新してみました。以前に比べて少し具体的に書きましたので、他の記事同様、読んでいただけると幸いです。
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お看取り

先日、お看取りについて講義させていただきました。 仕事でお看取りをされた事はありますか? 緊張しますし、とても責任を感じる業務ではありますね。 介護職として あたふた💦してはいけませんし、冷静に努めなければなりません。 【経験が豊富で、何事にも動じず見送ったあとも平然としていられる。または気持ちの切り替えが早い。】こんなスタッフさんが、素敵でカッコよくそしてまた、そうでなければならない。そんな風に思っていないでしょうか。。職場に居る時は、プロとして凛とした姿勢は必要ですが 個人に戻った時は その経験から感じたストレスや不安にフタをしないで欲しいです。 経験が増えたり、時間が過ぎれば癒えるものではない事を知っておいて下さい。 自分が老いた時 メンタルが落ちた時 病気をした時 押さえてたフタを押さえきれなくなる時が必ずきます。 そのフタが外れてしまった時は、形を変えて色々な問題として出現してきます。 自分のケアをしっかり行なって下さい。 淡々と業務をこなせる人が強いわけでもカッコいいわけでもありません。 ⚫︎最後まで読んでいただきありがとうございます。
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欲深い

【欲深い】あんまり良い印象のない言葉ですが 欲しいものを手にする手段が 人を傷つけるとか他力本願でなければ前に進むための良い起爆剤になるんだと思いますもっともっと欲深くありたいと思います。 ⚫︎最後まで読んでいただきありがとうございます。
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終末期での看取り問題を考える?㊶

Ⅰ:高齢化社会と看取り問題  日本では急速な高齢化により、看取りの需要が増加しています。特に、人口構造の変化や核家族化が進む中、地域社会や医療システムに負担がかかっています。看取りは単なる「亡くなる瞬間」ではなく、その人の人生を尊重し、心身ともに穏やかな終末期を迎えるための重要なプロセスです。 課題①:家族の負担  看取りが家庭で行われるケースでは、介護者である家族の精神的・身体的負担が大きいです。特に、認知症などの患者の場合、終末期ケアには高度な専門知識が求められます。 課題②:医療資源の不足  高齢者が増えることで医療施設のベッド不足が深刻化しています。また、地域医療の専門家不足が問題となり、緩和ケアを必要とする患者の増加に対応しきれない状況です。 課題③:孤立死の増加  都市部では孤立死が増加しており、社会的な孤立が終末期の質を低下させています。地域コミュニティの繋がりが薄れることで、適切な看取りが困難になります。 Ⅱ:具体的な対応策 1. 地域包括ケアシステムの強化  地域包括ケアシステムは、高齢者の看取りを支えるための基盤です。「特別養護老人ホーム」や「定期巡回サービス」などの活用を増やし、地域医療と介護サービスの連携を強化するべきです。 2. 緩和ケアの推進  終末期の苦痛を軽減するための緩和ケアを普及させ、家族と本人が安心して終末期を過ごせる環境を作る必要があります。医療機関だけでなく、訪問看護や在宅医療の支援を拡充することが重要です。 3. 地域コミュニティの再構築  孤立死を防ぐために、地域コミュニティの繋がりを活性化させることが重要です。住民同士の交流を促進
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末期がんでも痛みを感じない幸せな認知症

 認知症になることは、世間一般的にはマイナスなイメージが付きまといます。例えば、本人としては記憶が無くなってしまうことの恐れや悲しみがあり、家族としては今までとは別人のような人格に変貌してしまったことへの驚きや、それを受け入れることができない葛藤から必要な治療が遅れ、暴力や介護困難状態に陥り、どうにも手におえないといったこともしばしば見受けられます。私も10年以上老人施設でそのような認知症の方を多く看てきましたが、一つだけ認知症になるといいなと思えたエピソードを紹介します。 良く認知症の人は痛みを感じないといわれますが、事実アルツハイマーで脳委縮が進んだ方は、転んで大腿骨の頸部を骨折しても、「足が動きずらいのよね…」程度で立ち上がろうとしたり、足を引きずりながらも歩いて来ます。普段からその方の行動パターンや歩き方などから”これはおかしい”と思って整形外科を受診すると、レントゲンには見事に折れている骨が写っていて、驚かされることもしばしばです。普通は痛みで足を動かすこともできないと思うのですが、”痛い”という認知機能が失われるとここまで感じないものかと、本当に驚かされてしまいます。 がんの再発が起こりましたました。はじめは小さなしこりだったのが、みるみるうちにこぶし大になりました。一般に高齢になると癌の進行は遅くなるといわれています。それは痛みや副作用で食も細くなり、栄養状態が悪くなるため癌細胞も自ずと元気がなくなり進行が緩やかになることも一つの誘因かもしれません。しかし、進行した認知症の場合は、食欲が落ちるほどの痛みを感じないのか、お腹がいっぱいになってもそれを認知できないため
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印象に残った面接

老健という在宅復帰施設で、入退所の相談員をしていた時の印象に残った出来事について書きたいと思います。(個人情報は隠します)ある時、ケガが治るまで1ヶ月だけ施設に入ることを条件に入所してきた人がいました。 しかし、いざ母親が入所したら 「面会したらすぐにでも帰ると聞かないだろうから、もう会わないし家にも連れて帰れません。」 と娘さんから当初の予定と違う方向性を打ち明けられたのです。 娘さんにとって母親は怖い存在で、母親の言うこときかなければならない存在だったのです。 これを機会に離れようとひそかに考えていたのでしょう。 ここで娘さんに確認しました。 私「お母様が怖いし離れたい気持ちはわかりました。ところで、そんなお母様でも今まで娘さんの言うことをきく時はありましたか?」 そうすると 娘「母が風邪ひいたときにご飯を持って行ったときとかはすごく笑顔で喜んでくれました。」 という返答がありました。母親のことを娘さんが”自発的に心配して動いているとき”は、機嫌がよくなり、そして話が通りやすかったそうです。 私「逆にわがままを言ってきかなかったり、怒ったりするときは?」 娘「私が母に注意したり、嫌味を言う時です。」 母親が感情的になり、特にうまくいかない時は”母親の存在を否定されたとき”のようです。 そこでこう聞きました。 私「では約束を守らず、会いも来ないとどっちの反応が出そうですか?」 娘「・・・たぶん手がつけられなくなります。」 こんな面接の結果、ずっと施設に預けるのは先の目標にして、まずは施設で嫌な印象を残さないこと。施設に慣れることを今回の目標にしました。 そして、母親を気にかけ
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母を看取る 一筋の涙

  思い起こせば、私が子供の頃は(60年前)年寄りは老衰で亡くなる時、自宅で最期を迎えるのが当たり前の時代でした。私の祖母の時も「そろそろかもよ」という知らせが来て、子供や孫・親戚中が集まり、その最後をみんなで看送ったことを覚えています。 それがいつのころからか老衰であっても、最後は病院に運び病院で亡くなること(最期を迎える場所は病院)が当り前になってしまいました。そして、たとえ老衰であっても点滴をつけながら、心臓が止まれば心臓マッサージまで行いながら最期を迎えるようになっていました。 40年前私が看護師として働き始めたころの病院がまさにそういう時代の真っただ中だったようで、最後に何か延命につながる処置をすることが、医療者の役目だと信じていました。そこには本人の尊厳を守ることや家族が口を挟む余地はなかったように思います。1分でも1時間でも延命させることが1番大切でした。 ある日の勤務中に80歳の女性が心停止をしました。循環器病棟では心停止を発見したら心臓マッサージをすぐに開始しなければなりません。私も決められた通り胸骨に手を当ててマッサージを始めると、老化でもろくなっている肋骨が折れる感覚が手の平いっぱいに伝わってきました。心電図を見ながらこれ以上やり続けても心停止状態に変化はないとわかっていても、やり続けなければならないやるせなさは忘れられません。 そういった延命処置が体に与えるダメージは、本人が「痛い、苦しい」とも言えないまでも「死に顔」に現れているようで、切ない気持ちでいっぱいでした。そして何よりも病室に家族の姿はなく、独りであわただしくあの世へ旅立たねばならないことが、
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在宅ケアについて

介護サービスマインドハピネスクリエイターです。タイトルにもある在宅ケアについてお話ししようと思います。現在、国の政策として病院ではなく在宅での看護や介護を推奨しています。アンケートでも終末期はどこで迎えたい?死ぬ最後の時はどこで迎えたい?という質問に対して自宅(自分の生活してきた場所、生まれた家)でなくなりたいという意見が約59%以上ありました。ですが現在の状況を見ると病院で亡くなられる方が78%を占めています。在宅でお亡くなりになられる方はわずか15%ほどだというのです。本人の思いとは別にたくさんの状況がありその最後の願いを叶えることが困難になってきている状況にあるのだと思います。家にいて急変したらどうしようどのように対応したらいいのかわからない面倒を見る自信がない怖いと意見は様々です。決して1人ではありません。保険サービスや保険外のサービスを組み合わせることで在宅でも看取りをすることが可能になってきています。ですが利用する人の気持ちと心が置いてけぼりになってしまっているのでは無いでしょうか?人が1人天寿を全うするためには本人だけでなく、本人に関わる周りの人全てに責任が伴います。大事な人を気持ちよく送り出すためにも家族全員で終末期の高齢者を在宅で看取りませんか?みんなで力を合わせれば可能となります。これからも在宅ケアは推進されていきます。しっかりと受け止めて大事な人の最後を看取れるようになりましょう。
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「尊厳死を選択した彼女は・・・;;」

なんか、ちょっと胸を締め付けられる感じがしたね~。彼女は、あの時64才じゃった。子供の時に、両親が離婚した。母親に引き取られたが、母親のつきあっていた男が、彼女を虐待していたのじゃ。;;その最悪の状態を耐えに耐えたが、大きくなってその「地獄」から抜け出せたのじゃ。それが原因ではナイじゃろ~けど、彼女は「パーキンソン病」を確か50才過ぎ頃に発症した。家をでて、社会人となり、それから彼女は、「海外生活」をするようになるのじゃ。それは「自由」を思い切り感じていたのじゃと思う。そして「恋」もした。「スイス」では「人生最高の恋愛」を経験した。そして、そこは「人生最後の場所」になった。学校を出て、社会人となり、それから決意して、「海外生活」をするようになった彼女は、「生涯独身」であったが、「海外」では「いっぱい恋」をした。そして「運命の相手」が「スイス」にいた。結婚まで至らなかったが、「人生最高の時」を彼女は過ごしたのじゃ。彼女は「スイスの湖」が好きだった。「運命の彼」との思い出の場所じゃった。彼女は「最後の時」を迎えるまでに「最後の恋の軌跡を訪問」したのじゃ。その「最後の時の看取り」に運命の彼は「立ち会う」との「約束」をした。しかし、それは「果たされなかった」・・・彼はその場所に「存在」しなかった・・・彼女は落胆したが、もう「覚悟」はできていた。彼氏の「心変わり」も素直に受け入れられた。そして彼女の「最後の時」は、「安楽死団体」の女医が付き添ったのじゃ。「女医」は言った・・・・・・「このバルブを開ければ、あなたの希望は叶えられます。いいですか?」・・・「はいとてもうれしいです。」・・・「
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目からうろこが落ちる

循環器病棟で看護師として働き出してからの私は、人の命を守ること救うことが重要であり、救命救急こそやり替えがある仕事であり、「死んでいく」という過程はあまり興味がなかったように思います。「死ぬ」のは結果であり、結果の前に自分がなすべき救命救急こそ、看護師の使命であると強く思っていたからです。 私には同じ職業の娘がいるのですが、その娘と救命救急の話をしている時に、その娘が「私、生きている人には興味はないの、それより死を前にした人に今何をしてあげられるのかを考えたいの」と、なんと私とは真逆のことを言い出したのです。 私は、今まで自分が考えてもみないことに「あなたは何を言っているの」と腹立たしさで、救命救急がいかに大事か口論になったのを覚えています。 そのころ娘は大学生で癌看護を専門に勉強しており、教授のお供で緩和医療学会に同行した直後でした。そこで、終末期医療という分野に出会い強く影響を受けたようでした。会うたび終末期医療について熱く語られると同時に「お母さんも緩和医療の学会に行くべき」と何度も誘われました。気乗りはしなかったのですが、開催地が神戸ということもあり、「おいしいものでも食べに行こう」ぐらいの気持ちで出かけた訳です。 ところがです、行ってみてびっくりでした。ちょうどその当時の学会の流れが、終末期医療や緩和医療を中心とした演題が多く、その分野では最先端のお考えを発信されている先生方のの講演を聞いているうち、いまの延命治療重視の医療ではない「看取り」という終末期医療の考え方があることに目からうろこが落ちる思いでした。 そしてまた、世界の先進国の終末期医療の考え方にも衝撃を受け
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最後に親孝行 Or 最後の親孝行

よくある話です。老衰で静かに臨終の時を待っている老婆がベッドに横たわっています。毎日見舞いに訪れる娘さん家族は、今日もその傍に付き添い見守っています。95歳を過ぎ徐々に食も細くなり、とうとう食べられなくなって1週間が過ぎました。医師から「このまま何もしなくても穏やかに最期が迎えられますが、何か希望はありますか」と聞かれます。娘さんは「苦しくもなく眠っているようなので、このままそっとして旅立ってほしいです」と延命治療は希望されませんでした。医師から「逢わせたい方があれば早いうちに逢わせてください」と言われ、娘さんは、「仕事が忙しい!」と言って疎遠であった兄にも連絡をします。翌日親の危篤の知らせを受けた兄がやってきました。兄は長年見ない間にすっかり痩せ衰えた母親を前にして、うろたえていました。そして看護師に「痩せているが食事はできているのか」「食べられないなら栄養が摂れないではないか」「水が不足したら脱水で死んでしまうのではか」と矢継ぎ早に質問をあびせます。そして「俺は今までお袋に何もしてやれなかった、最後はできる限りのことをしてやりたい」「だからせめて点滴をつけて栄養と水を十分にあげてほしい」と言うのでした。息子さんはそうすることが「最後に親孝行」だと言い張ります。しかし、長年母親の老いを見続けて、今に至った事がわかっている娘さんにとって「最後の親孝行」は静かに見守ることでした。 この様に「最後にできる限りのことは何でもしてあげたい」「それが最後に親孝行をした」と思うのは、人としてすごく当たり前のように思えます。しかし、点滴が老衰でおだやかに臨終を迎えようとする身体に及ぼす影響を
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親との別れについて。看取りについて考えさせられた本。グリーフを軽減したい。

随分前に友人から、彼女の母親ががんで闘病 中だと聞いて、心を痛めていました。 近況を聞く度に、小康状態、悪くなっている、を繰り返し。とうとう余命宣告をされたと聞きました。  40代になり、そうか、親がいつまでも健康で、今と同じように支えてくれる訳じゃないんだ…、そもそも今その状態であるということは、私はかなり幸運なんだ…という思いが、脳内に薄っすらと滞在するようにはなっていましたが、彼女の置かれている状況が進んでいくのを追っていくことで、よりリアルに感じる機会を与えられています。  うつ病闘病中に父親を亡くし、それまでの父親との関係を後悔したんですが、それを考えると尚更、看取る時のことを考えて今行動することって必要だな、と思うようになりました。私は、精神面で母との繋がりが強いので、亡 くした時の不安から、グリーフケアについて関心があり、この記事の出来事にも繋がったのですが、グリーフ(喪失感)を軽減するために、後々の後悔を減らしたいと思いました。  ということで、手に取ったのが、“親とさよならする前に 親が生きているうちに話しておきたい64のこと”でした。他にも、大切な人を亡くした時の悲しみを綴ったエッセイ集などもありましたが、気持ちに寄り添いつつも、分かりやすく、しっかりノウハウを詰め込んであるなと感じ、手元に置いています。 著者の方は、自身の祖母を成年後見人として 介護、父親の看取りを経験された方で、その戸惑いや亡くした後の喪失感と向き合った経験を通して、予めどういう準備が必要かを、カテゴリに分けて具体的に記していらっしゃいます。  医師や弁護士監修で、その時に起こりがちな
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