老健という在宅復帰施設で、入退所の相談員をしていた時の印象に残った出来事について書きたいと思います。(個人情報は隠します)
ある時、ケガが治るまで1ヶ月だけ施設に入ることを条件に入所してきた人がいました。
しかし、いざ母親が入所したら
「面会したらすぐにでも帰ると聞かないだろうから、もう会わないし家にも連れて帰れません。」
と娘さんから当初の予定と違う方向性を打ち明けられたのです。
娘さんにとって母親は怖い存在で、母親の言うこときかなければならない存在だったのです。
これを機会に離れようとひそかに考えていたのでしょう。
ここで娘さんに確認しました。
私「お母様が怖いし離れたい気持ちはわかりました。ところで、そんなお母様でも今まで娘さんの言うことをきく時はありましたか?」
そうすると
娘「母が風邪ひいたときにご飯を持って行ったときとかはすごく笑顔で喜んでくれました。」
という返答がありました。
母親のことを娘さんが”自発的に心配して動いているとき”は、機嫌がよくなり、そして話が通りやすかったそうです。
私「逆にわがままを言ってきかなかったり、怒ったりするときは?」
娘「私が母に注意したり、嫌味を言う時です。」
母親が感情的になり、特にうまくいかない時は”母親の存在を否定されたとき”のようです。
そこでこう聞きました。
私「では約束を守らず、会いも来ないとどっちの反応が出そうですか?」
娘「・・・たぶん手がつけられなくなります。」
こんな面接の結果、
ずっと施設に預けるのは先の目標にして、まずは施設で嫌な印象を残さないこと。施設に慣れることを今回の目標にしました。
そして、母親を気にかけている部分が少しでもあればそれは口にして伝えていくように話をしました。
面接が終わり、母親に面会して「ケガは大丈夫?施設は慣れた?」と思いやる言葉を伝えると、笑顔で「ありがとう。早く治すからね。」と答えます。
冒頭に話が合ったような”面会したらすぐにでも帰ると聞かない”という娘さんの予想に反し、穏やかに面会を喜んでいました。
そして相談員の私に「この子が私の娘なんです。いい娘なんですよ」と誇らしげに娘さんを紹介してくれました。
娘さんは予期しない反応に喜びながらも戸惑い、そして一か月後に予定通り母親を家に連れて帰りました。
またいつか入所を利用してもらう予定でしたが・・・
数か月後にご自宅でその方は急逝されたのです。
亡くなった日の夕飯は、娘さんが好物の料理を作ってあげたそうです。
夕飯を部屋に届けて「ありがとう」と笑顔で言ってもらえたのが母親からの最期の言葉でした。
娘さんからは「面接した後も連れて帰るのは嫌でした。けど、家に連れて帰ってよかった。」そんな言葉を伝えてくれました。
人はいつどうなるかわかりません。
家に帰れるかどうか?
最終的にはご本人とご家族が決めることだけど、相談員によって変わってくる可能性もある。
家族に同情して面接をしていたら、家には帰せなかったかもしれない。
その時、娘さんにとって最期の母親の印象は今と同じだっただろうか?
そんな責任の重さを改めて感じさせてくれた関わりでした。