時の住人 忘れられない人  

記事
コラム
今までに、様々な人との出会いを繰り返してきました。
人と触れ合うことで自分を磨かせてもらったと思います。
その出会いの中
忘れられない人たちを、ご紹介できればと
このコラムを書いています。

生き方や終わりの学びのために





人は2度死ぬといわれる。
1度目は本当の死、
2度目は誰からも忘れ去られた時であると言われる。

忘れないだろう、あの日、あの時の記憶。
私がいなくなった時に、誰かが覚えてくれたら
入所で過ごした長い日々より記憶の中で生きてもらえる。
そう、
存在という事実を残したいために
ここに書き留め、あなたに伝えたいと思う。
こんな人が居た。
あの人は、こんな時の流れにいた。



L字型に曲がった建物の誰も来ない暗い一角に、その人はいつも居た。
ぽつんと置かれたテレビの前に居て、人の目を避けて一日に数杯のコーヒーを楽しみ、一人でテレビを見ている。
人と言葉を交わすこともなく、時々車いすから立ち上がる練習を繰り返す。
行事やイベントがあると、さらに車いすを進め、人目に付かないように
隅へ隅へと向かい、食事も摂らずに隠れていた。
無精ひげ、尿道カテーテル、尿臭が時々あった。

右手が肩の下から無い。右足が膝下から無い。


立ち上がる練習は、トイレ介助をする職員の負担を、少しでも軽くするため。
毎日毎日、片足で立ち上がる練習をしている。

右手と右足は太平洋戦争で失った。
戦争が始まって、すぐに招集された2か月後。
右手と右足は機関銃の弾を浴び、砕け散って飛んだと主任から聞いた。

終戦までの長い日々を、あの人は野戦病院から内地の病院で過ごし、
更に終戦から、長い長い何十年もの間、いろいろな施設で過ごしてきた、
措置入所として。

実家が無い。
病院と施設。それ以外を知らない。
家族も親戚も居ない。
友人もいない。
相手をするのは施設の職員だけ。
それすらも避けて、暗く人のいない隅で過ごす毎日。

TVを見る。コーヒーを飲む。立ち上がる練習をする。
それだけが、自分で選べる唯一の気晴らしと夢中になれるもの。
時々、職員に怒鳴りつけるのも気晴らしの一部になっているのだろうか。

声を掛けても返事をしない。返事があったとしても、それは怒鳴り声。
ひたすら、廊下に取り付けられた手すりにつかまり、立ち上がる練習を
黙々と繰り返し、人目の無い隅でテレビを見てコーヒーを飲む。
食事も、同じテーブルに着く人たちが食べ始め頃に、咽ても構わずに掻き込み急いで、いつもの暗い隅に逃げ込むように戻っていった。

年が明け、和かな春の日差しに変わり、初夏の風が吹き、
夏の青空が広がっても、あの人の毎日は変わらない。

毎月、保育園児がやってきて交流会がある。
遠くから子どもたちを見るあの人の眼は優しい。
季節ごとに行事がある。
遠くから見ていても、決して参加することはない。
何度も誘って、断られる繰り返しで過ぎる。

ある日、コーヒーを持っていき、行事に参加しないかと聞くと、
「俺の事なんか、放っておけ」と語気を荒らげる。
つられて「放っておけないです」と言い返した。
「お前には関係ない、俺なんかいないのと同じだ」と怒鳴る。
「関係ない訳ありません。あなたはここにいるでしょ?
放っておけません!」と二人で軽く怒鳴りあいをした。
そのまま黙ってしまったので、コーヒーを渡すと
黙って飲んだ。

数日後の行事にあの人は居た。
いつもの気難しい表情でも、目は優しくなっていた。
周りの入居者から声を掛けられるとぼそぼそと返事をしていた

また、行事に来ない。
心無い職員の一言で、また一人の世界に閉じこもった。
そう、主任から聞き、参加を促すように業務命令(?)
誘うと「うるさいな」と言いながら行事に足を向けた。

11月のある日
急に足が浮腫んだ。
水風船のように膨らみ、薄い皮膚の向こう側が透けて見えていた。
上司に、受診を頼み、看護師が用意をしていた。
車いすに座り、診察券や保険証を用意している間、
あの人とこちらの間に看護師がいた。
視界を遮る看護師が動くたびに体を曲げ、隙間から
「ありがとな、ありがとな」と言い続け、止めない。

何度も何度も繰り返す。ありがとなの言葉以外は無い
「行ってらっしゃい。早く帰ってきて下さい」と送り出す。
エレベーターのドアが閉まるまで「ありがとな」を繰り返している
その姿を主任と見送る。

「昼食は取り置きかな?」と主任とそんな話をしていた。



病院からは帰ってこなかった。そのまま入院となる。

1週間後

容体が急変して逝去。
葬儀は施設で執り行った。
荼毘にふされた後、
主任の車の後部座席にシートベルトを掛けられて骨壺は火葬場から戻る。
そして納骨となる。
見送る入居者が、其処ここであの人との思い出話をしていた。
その人が入所したときには、すでに本人は居たとか
10年経つのに同じ毎日を送っていたとか
誰も訪ねて来なかったとか
些細なことも、周りの人は気にしていた。

あの人は一人きりではなかった。

主任が言う
「居るのよ、きっと居る。疲れて帰る時にね、後ろの席に居るって感じる。車に乗ると時々、気持ちが暖かくなるのよ。疲れたと声にすると慰めてくれてるような気がする。だから、一人で話している。気分が軽くなるの」
そう、
本当は、優しい人だったことを主任は知っている。

今 あの日から 今も 明日も
あの人は無くしていた右手と右足を取り戻し、
痛みを感じることもなく、自由に歩んでいるだろう。
痛みもなく、苦しみや悩みを抱えることもなく
安らぎの時の中にいると信じていたい。

取り戻し足で、御前に跪き、
取り戻した手で、
光り輝く神の衣を掴んでいるのだろう。






※内容の無断転載や、流用は固く禁じます。本内容は筆者に帰属します。










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