「私の人生は何だったのか」と聞かれたら

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こんにちは。
パーソナルナースのうさぎです。💚

「私の人生は何だったのか」と聞かれたら

ドキッ
なんて答えたらいいのだろう
とても重い 問い
どうやったら力になれるだろうか・・・
考えてしまいます。

今年の「老年看護学会学術集会」特別講演の話題 💜

心に寄り添うことのお話を聴講しました。

「私の人生は何だったのか」
「生きている意味はあるのか」
「もう死んでしまいたいのにお迎えがこない
「こんなになってまで生きていても意味がない」
「役に立たなくて 生きてる意味はあるのだろうか」

「もう疲れてしまった…もう投げ出したい」
「何もできないのが申し訳ない」

このような言葉 聞いたこと あるのではないでしょうか。

私も40代でなくなった兄から末期の時に聞きました。


この声はには2つの特徴があるそうです。

1.答えがない
2.感じることができる人にしか響かない。聴いた人は必ずダメージを受ける。

つまり

「生きていて何の意味があるのだろう」
という問いは、
質問の形で届くけれども
もともと答えのない問い

つまり ”問い”ではなくて
「魂の声」
「スピリチュアルペイン」

そう思って聴くと 
「答えをださなくちゃ」と思わずに聞くことに専念できる


それから、
家族でも友人でも看護師でも 
スピリチュアルペインを聞いた人は必ずダメージを受け
つらくなったり苦しくなったりする

(人の話を聴くととても疲れる⇒疲れたと自覚していいんだ!)

だから

ケアする者は、ケアされなければならない。


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高齢者への終末期看護の話題でしたが

どの年代の人にも共通するし

スピリチュアルペインに”科学”はあまり役に立たない


では


スピリチュアルのケア とは?  魂の叫びへのケアとは?

そばにいること


そばにいることがスピリチュアルケア




そして人生の終焉の高齢者には
わからないこと。どうにもならないことがたくさん出てくる。
若返ることはできない。

必要になってくるのは

「どうしようもないままに おいておく力」



日頃私たちは
”よりよくする力”だけに注目しているかもしれない。


「どうしようもないままに おいておく」
それも 大切な”力”

💛
誰かをケアしたり 誰かの悩みを聞いた時は
聴いた自分も疲れます。

「疲れた~」と、自覚して

自分に優しくしましょう。(#^.^#)

まずは自分の心を満たすのが先
その方が人にやさしくできる。


多少ちゃらんぽらんで、自分を大切にする生き方も いいなぁ
!(^^)!

正解を回答しようとしないことから 見えてくる広がり 💚

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