余命3ヶ月から生命力の回復

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コラム
訪問看護では看取りまでやるところがあります。

私は看取りまでできることを誇りに思います。

最期までおうちで過ごせる方は、やはり少ないです。

余命宣告されたショック


食欲がないということで、病院を受診し、癌と診断され手術を受けることになったんです。と言う連絡をいただきました。

癌の末期で転移もしていました。余命3ヶ月と言われたと、ご家族から聞きました。

ご本人には伝えず、早く元気になろうね!と言って自宅へ帰ってきたと言うことでした。

口からも食事は取れるけど、腸ろうをつくっているため、栄養は腸ろうへ管を通して流します。この間は接続が取れないように、最初のうちは不安もあり、付きっきりで介護されていました。

ご家族のショックな様子が強く、訪問するたびにご家族のお話も聞いていました。

夜中にトイレの介助があり、眠れないということをおっしゃっていました。

なので、訪問に伺っている間は休んでもらうことにしました。

とにかくやれることをやる


食事が取れないので、何か食べたいと思っても食べられない。というか食べたいという気持ちがなくなっていました。

ご家族から一緒にお茶してくださいと言われ、お茶を飲んでいたら、少し召し上がるようになり、お話をしながら気分転換になっているのか、訪問した時は、食事を少しづつとるようになってきました。

訪問にお茶の時間って本当はないですけど、食事を取れるようになってほしいというご希望があり、笑顔が増えてくることでまだ生きられるという希望にもつながり、やれることはやろうと時間もうまく使ってやっていました。

私は何年も訪問看護をやっていましたが、雪が降ると訪問はお休みさせてもらっていました。自転車で訪問するので、滑って危険だからです。一度滑って転んで痛い目にあいました。なので、雪の日は事務所で記録をやるようにしていました。

しかし、この方の訪問の日に雪が降っていました。

どうしようか悩みましたが、歩いて向かうことにしました。

40分くらい歩いてやっと到着です。訪問時間の間は楽しく過ごせていました。

普段の私ならやりません。余命を聞かされていたこともあり、これが私のとにかくやれることをやるに含まれてました。1日でも無駄にしないように、その人らしくいられるようにサポートすることが必要と思いました。

孫の偉大さ


退院後はお孫さんとも一緒に暮らしていて、大学受験の時期となると、次々と合格していました!

その度に、合格したんだよ!と元気な声で私に伝えてくれていました。

訪問している間に、お孫さんが何をしてくれたとか、どんな話をしたとか、嬉しそうに話すようになっていました。

そんなお話をしながら、お茶を飲んだり、食事をとったりもするようになり、嬉しいことが続き、食欲も少しづつ増えてきていました。

箸が口に行く回数が確実に増えていて、しかもイヤイヤではなく、自然と食事が取れる雰囲気になっていました。

お孫さんが一緒に暮らしていて、彼らの一言一言で、元気を回復しているのが見てとれました。

自分の子どもから言われると、うるさいって思ってしまうことも、孫が言うと効果てきめんです。

孫って本当に愛情たっぷりの存在で、一緒に暮らせるだけで元気になれるって言うのは、お孫さんたちもおばあちゃんが大好きだから、奇跡と思われることが起こるんだと思います。

このかたがお孫さんに今まで愛情たっぷり接してきたから、そのお返しが今こんな形でくるんだと思います。

何をしたか、それが後で自分に返ってくるものでしかないんです。これがとても実感させられる光景でした。

余命宣告から半年が過ぎて桜の季節へ


余命宣告されてから半年がすぎました。

とても状態が良いので、ご家族と一緒に車椅子で散歩に出かけました。

桜が咲き始め、きれいだね〜と喜ばれていました。帰りにコンビニにより、買い物をするのも久しぶりでとても楽しそうでした。

ご家族の生きてほしいと言うお気持ちの強さ、ご本人の孫の成長を見たい、生きたいと言う気持ちの強さ、それを支える私のナースとしての存在が、余命を過ぎてもまだ生きていられる証と思いました。

余命を聞かされた時は、あの状態であればそれくらいだろうなと言うのが、本当のところでした。

それが、全く食事を取れなかったのが、普通に食事を口からとれるようになったこと、散歩にまで行けるようになり、笑顔が増えました。

人生は変えることができる!

ご利用者様とご家族に関わることができたことは、私にとって宝物です。
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