お賽銭がなくても神様は怒らない
本日、納品したお二人のお客様の写経です。お二人とも、どうか神様とのご縁が深まりますように。最近のコンビニの、あれはマルチコピーっていいましたっけ。
コピーやファクスはもちろんチケットまで買えて、住民票なんかも取れちゃう。いやあ、便利になりましたよね。実は私、そのマルチコピーにいつもお世話になっています。お客様に送る写経のデータをPDF化してスマホに保存できるので、ほとんど毎日写経を読み込みに行っています。で、今日写経をPDF化した後に、うっかり小銭入れをコピー機のところに置き忘れてきちゃったんですよ。気づいたのはコンビニを出て鎮守様に着いたとき。取り急ぎ、ご挨拶だけしてコンビニに電話。運よく忘れ物として保管しておいてくれていました。あーよかった。というわけで、今日はお賽銭なしでのご挨拶でした。明日のお賽銭は今日の分も合わせてお供えします。神社参拝で「これが正式な作法だ」と説く人は大勢いますが、その通りじゃなかったとしても神様は怒ったりしません。神道の良さのひとつに「おおらかさ」というものがあります。特に「〇〇すべき」とか「〇〇でなければいけない」という絶対的なものはそんなに多くありません。しかし、これだけはしないでということがあります。それは「今日はお賽銭がないから参拝やめとこう」ということ。これだけはやめてほしいと強く思います。お賽銭がないからといって神様は怒りません。けれど、前を通るのに挨拶もないのはどうでしょう。忙しければ鳥居の前で一礼するだけでもいいんです。近所の神社や、通勤・通学途中にある神社。前を通っていながら素通りしていませんか?時間のないときは一礼。時間のあると
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