『やさしさ迷惑8/100』

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学び
第8話
「ダメだった、で終わらせるな」

前話:優作は、美月から不意にタメ口まじりの言葉をもらい、完全に調子を狂わされた。だがその直後、佐伯からまた曖昧な返答に関する相談が飛んできた。

翌日の午後。

オフィスは静かだった。
静かというより、みんなそれぞれ目の前の仕事に沈んでいて、余計な声が少ない時間帯だった。

中村優作は、自分の席で資料を見直していた。
昨日の佐伯の件もあって、返信文の“曖昧ワード”が前より気になるようになっている。

「確認します」
「整理します」
「改めてご連絡します」

一見ちゃんとして見える言葉ほど、中身がないと怖い。
最近、ようやくそれが身にしみてきた。

その時だった。

少し離れた席で、何かが落ちる音がした。

優作が顔を上げると、佐伯がクリアファイルを床に落としていた。
拾おうとして手間取って、さらに書類を散らかしている。

「佐伯、大丈夫か」

「……はい、大丈夫です」

大丈夫じゃない声だった。

優作は席を立つ。
近くまで行くと、佐伯の画面に未送信のメールが開いたままになっていた。

件名:お詫びと訂正

優作は一瞬だけ止まる。

「何かあった?」

佐伯は、散らばった紙を集めながら言った。

「さっき、先方に送った確認メールなんですけど……」

「うん」

「日付、間違えました」

優作は眉を寄せる。

「日付?」

「打ち合わせ候補、来週の12日って送るつもりが、今週の12日で送ってて……」

「……ああ」

「先方、もうその日で社内押さえちゃって。
でもこっちはその日、別件入ってて」

佐伯の声はどんどん小さくなる。

「今、先方ちょっと怒ってて。
自分、確認したつもりだったんですけど……」

そこで言葉が止まる。

“確認したつもり”
またその言葉だ。

でも今の佐伯は、それを反省材料として言っているというより、
ほとんど自分を殴るために使っていた。

「で、今これ書いてるの?」

優作が画面を指す。

佐伯は小さくうなずく。

「まず謝ろうと思って」

優作はメール文面を見る。

このたびは私の確認不足により、誤った日程をお送りしてしまい、大変申し訳ございません。
今後このようなことがないよう十分注意いたします。

丁寧だ。
でも、それだけだった。

「……佐伯」

「はい」

「これ送ると、たぶん余計しんどくなるぞ」

佐伯が顔を上げる。

「え?」

「謝ってはいるけど、相手が一番知りたいことが入ってない」

「一番知りたいこと……」

「で、どうするの?ってこと」

佐伯は少し黙る。

たしかにそうだ。
怒ってる相手は、“反省してます”より、“このあとどうなるか”を知りたい。

でも今の佐伯は、そこまで頭が回っていない。
完全に“自分がやらかした”の中に沈んでいる。

その時、美月が席を立って、こちらに来た。

「何かありました?」

優作が事情を説明すると、美月は佐伯の画面を見て、短く言った。

「今のこれだと、“すみませんでした”で終わってますね」

佐伯の肩が小さく縮む。

その反応を見て、優作は少しだけ先に口を開いた。

「佐伯」

「……はい」

「今お前、自分のミスをどうにかしようとしてるんじゃなくて、自分を罰しようとしてるだろ」

佐伯が止まる。

美月も一瞬だけ優作を見る。

佐伯は、すぐには返事ができなかった。
でも、その沈黙が答えだった。

「だって、完全に自分の確認不足ですし……」

「うん。それはそう」

優作は頷く。

「でも、それで“自分がダメでした”だけ送っても、先方は助からない」

佐伯は目を伏せる。

「……はい」

「今必要なのは、お前が落ち込むことじゃなくて、相手の混乱を減らすことだろ」

佐伯の手が、キーボードの上で止まったまま動かない。

優作は少しだけ考えてから、続けた。

「ミスした時ってさ、だいたい“終わった”って思うけど」

佐伯が顔を上げる。

「本当に終わるのは、ミスした時じゃなくて、
そこから“自分がダメだった”しか見えなくなった時なんだよ」

佐伯は、何か言い返そうとして、言葉が出なかった。

その横で、美月が静かに言う。

「……それ、いいですね」

優作は少しだけ驚いて、美月を見る。

美月は続ける。

「“自分がダメだった”で止まると、相手じゃなく自分しか見えなくなるので」

「……あ、はい」

褒められたのか補足されたのかよく分からない。
でも、たぶん今はそれどころじゃない。

優作は佐伯の椅子の横にしゃがんで、画面を見ながら言った。

「謝るのは必要。
でも、そのあとに“どう戻すか”を書こう」

「どう戻すか……」

「うん。例えば、
“こちらの記載ミスでした。混乱を招いてしまい申し訳ありません。
改めて、こちらが調整可能なのは〇日と〇日です。
難しければ別候補もすぐ出します”
とか」

佐伯は画面を見つめる。

「……そっか」

「うん」

「自分、怒られたことで頭いっぱいになってました」

「なるよな」

「はい……」

少しだけ、佐伯の呼吸が戻る。

その様子を見て、優作は思う。
ああ、これか、と。

前までの自分なら、
“ちゃんと確認しろよ”
で終わらせていたかもしれない。

でも今は違う。

人が追い詰められている時、
正しい言葉はだいたい入らない。
先に必要なのは、その失敗の見方を変えることだ。

佐伯が文面を書き直していく。

このたびは、こちらの記載ミスにより混乱を招いてしまい、申し訳ありません。
改めて確認したところ、弊社で調整可能なのは〇日と〇日です。
もし難しいようでしたら、すぐに別候補もお送りします。
お手数をおかけしますが、ご確認いただけますと幸いです。

「……これでどうですか」

優作はうなずく。

「さっきより全然いい」

美月も言う。

「はい。
“ミスしました”だけじゃなくて、“だからこうします”が入ったので」

佐伯は画面を見たまま、小さく息を吐いた。

「ちょっとだけ、楽になりました」

優作はその言葉に少しだけ笑う。

「その“ちょっとだけ”は、今日はたぶん本当にちょっとだけだな」

佐伯も、ようやく少し笑った。

送信して五分後。
先方から返信が来る。

ご連絡ありがとうございます。
では、〇日で再調整をお願いします。

佐伯は画面を見たまま、しばらく固まっていた。

「……通った」

「うん」

「怒られたまま終わると思ってました」

「分かる」

「……でも、終わってなかった」

その言い方が、少しだけ重かった。

終わってなかった。
本当にそうだ。

優作はふと、自分が田辺との件で息が詰まった日のことを思い出す。
あの時もたぶん、自分は“もう終わった”と思いかけていた。

でも実際は、終わりじゃなかった。
ちゃんと説明して、ちゃんと戻す余地が残っていた。

失敗は痛い。
でも、痛いことと終わりは、たぶん同じじゃない。

その時、真壁がこちらに来て言った。

「何? さっき佐伯くん、顔真っ白だったのに戻ってるじゃん」

佐伯が少し気まずそうに笑う。

「あ、日程ミスでちょっと……」

真壁が「うわ」と顔をしかめる。

「それ焦るやつだな」

優作は立ち上がりながら言った。

「焦ると“すみませんでした”だけ送りたくなるんですよ」

「分かる」

「でもそれだと、相手が次どうしたらいいか困るんで。
謝るより先に、戻し方まで書いた方がいいです」

真壁が少しだけ目を丸くする。

「……お前、最近そういうの言うようになったな」

少し離れた席から、桐谷もこっちを見ていた。

「しかも、今のちょっと良かったぞ」

「どこがだよ」

「“終わるのは、ダメだと思い込んだ時”みたいなやつ」

「……そんなちょっと格好つけた言い方してない」

「いや、だいたいそんな感じだった」

優作は顔をしかめる。
でも、少し照れくさかった。

すると美月が、席に戻りながら小さく言う。

「してましたよ」

優作が振り向く。

美月はモニターを開きながら続ける。

「でも、悪くなかったです」

その一言で、また少しだけ空気が変わる。

周りは、ほんの少しだけ優作を見る目を変えた。
劇的じゃない。
でも確かに、“またやってる人”じゃなくて、少しずつ分かってきた人として。

仕事終わり。

優作が席を立つと、佐伯が小さく頭を下げた。

「中村さん」

「ん?」

「さっき、ありがとうございました」

「いや」

「自分、ミスしたことしか見えてなかったです」

優作は少し考えてから言う。

「まあ、見えるよな。そこしか」

「はい」

「でも、そこしか見えなくなると、たぶんまたズレる」

佐伯は静かにうなずく。

「……はい」

その返事は、前より少しだけ自分の足で立っている感じがした。

優作は、自分のバッグを肩にかける。
その時、チャットが一件届く。

送り主は、美月。

今日のあれ、わりとよかったです
でも、ちょっとだけ格好つけてましたね

優作は画面を見て、思わず笑う。

すぐに返そうとして、手が止まる。

なんて返せばいい。
こういう時の正解は、まだ分からない。

でも、前より少しだけ分かることもある。

たとえば——
言葉は、追い詰めることもできるけど、
見方を変えるだけで、人を立ち上がらせることもある。

優作はチャット欄に短く打つ。

ちょっとだけです

送信してから、自分で苦笑した。

その言葉、便利すぎるだろ。

でも数秒後、美月から返ってきたのは、

その“ちょっとだけ”は、たぶん嘘ですね

だった。

優作はスマホを見たまま、しばらく笑ってしまった。

オフィスを出る頃には、日が落ちていた。
でも今日は、昨日より少しだけ、足取りが軽かった。

たぶん、誰かを救ったのは大げさだ。
でも少なくとも、追い詰められたまま一人で沈んでいくのは止められた。

それだけで今日は、十分だった。

ただ——
人の見方を変える言葉を覚え始めた優作は、
次にもっとやっかいな相手へそれを使うことになる。

しかも今度は、
仕事じゃなく、もっと個人的な場所で。

第9話へ続く。
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