「私は、母のような人生を送りたくない」
大人になってからも、ずっと心のどこかでそう思って生きてきました。
私の母は、いわゆる「完璧主義な自己犠牲型」のワーママでした。
自分の時間は1分たりとも持たず、常に家族のために動き回り、自分の夢などとうの昔に忘れたかのような人。
そんな母を子供の私は愛していましたが、同時に、母の背中は私にとって「重荷」でもあったのです。
優しい母が「豹変」する瞬間
母はいつも優しく、私を第一に考えてくれていました。
しかし、余裕がなくなると、ひどくイライラし、別人のように怒り出すことがありました。
いつもの優しい母が、突然急変する。
その落差が、子供心にたまらなく怖かった。
「お母さん、笑ってよ」
「僕のせいで、お母さんはこんなに苦労しているの?」
そう感じていた私は、いつしか自分のやりたいことを飲み込み、親の顔色を伺う子供になっていました。
そして自分自身が親になった時、一番恐れていたのは
「自分もあの時の母のように、余裕を失って子供を怯えさせてしまうのではないか」ということでした。
呪いの正体は「祖父」から始まっていた
なぜ、母はあんなに自分を犠牲にしていたのか。
なぜ、私はこんなにも「自分の時間」を持つことに罪悪感を抱くのか。
ある時、ふと思い出した母の言葉がありました。
母は、自分の父親(私の祖父)に対して強いコンプレックスを抱いていたのです。
「おじいちゃんのせいで、私は自分の人生を生きられなかった」
その時、背筋が凍るような思いがしました。
母もまた、犠牲者だったのです。
自分の人生を生きられなかった不満を抱え、それを「自己犠牲」という形の愛情で覆い隠し、無意識に私にもその重みを引き継がせていた。
「自分も、同じような気持ちで子供と接しているのではないか?」
このままでは、私の子供も、その先に生まれてくる孫たちも、同じように「誰かのために自分を殺して生きる」という連鎖の中に閉じ込められてしまう。
そう気づいた時、私はこの呪いのバトンを自分の代でへし折ることを決意しました。
「自分が幸せになること」は、次世代への義務
気づきは、一つの確信に変わりました。
親が自分を後回しにし、不機嫌を撒き散らしながら尽くすことは、美徳でもなんでもありません。
それは子供に「人生は苦しいものだ」と教え込んでいるのと同じです。
私が今、勇気を持って「自分の時間」を持つこと。
私が今、自分の夢を追いかけ、上機嫌で生きること。
それは決して「自分勝手」ではありません。
親が人生を謳歌する姿を見せることこそが、子供たちに「大人になるって楽しそうだ」「自分も幸せになっていいんだ」という安心感を与える最高の教育になるのです。
私は、もう我慢を美化しません。
私が幸せになることが、子供たちの、そしてまだ見ぬ孫たちの幸せに繋がると信じているから。
この「私さえ我慢すれば」という呪いを、私の代で終わりにします。