私は機能不全家族育ちで、毒親からの虐待を受けて育ちました。
心理的虐待、身体的虐待、などでしたが、性的虐待に近いものもありました。
今回の記事は、その毒親と最近絶縁したことをお話したいと思います。
どういう毒親だったのか
私の父親はアル中で、お酒を飲んでいない日は見たことがありませんでした。
仕事はちゃんとしていましたが、毎日浴びるようにお酒を飲んでいたと思います。
飲みに行けばベロンベロンで帰ってきて、家の外の玄関の前で寝ていたり、
玄関で立ちションをしたり、どこか危ない所へ飲みに行って、
財布の中身もカードも取られ、カードもしこたま使われてしまった事もあります。
私は小さい頃から、父親が飲みに行き、なかなか帰って来ないと、「どこかで死んでいるんじゃないか」と思ってしまい、怖くてなかなか眠れず、
父親が帰ってくるのを確認してから、ようやく眠りにつけることがよくありました。
それが朝方になることもあり、よく寝不足気味になっていました。
そして父親は酔っ払うとタチが悪く、暴力や暴言もありました。
風俗やキャバクラなどによく行っていたようでした。
そこで女性とのメールのやり取りをし、そのハートマークだらけの見たくもないメッセージを、嬉しそうに私に見せて来たこともありました。
母親は私のことが気に入らなかったようで、弟ばかり可愛がり、かなり差別をしました。何かしてしまった時も、弟はすぐに許してもらえるのに、
私だけ次の日まで無視をされることはしょちゅうで、
「気持ち悪い!」「消えろ!」「うざい!」「可愛くないね!」
などとよく言われました。
そして、両親に褒められることは、ありませんでした。
両親共に、周りからどう見られるかをとても気にしていて、特に母親は家の中と外ではまるで別人でした。
ママ友などでの間では、優しいお母さんを演じて、家に帰ると、暴言や暴力、無視などをしていました。
常に人と比べ、「〇〇ちゃんはこんなにできるのにあんたは!」
「本当に可愛くない!弟みたいに可愛くなりなさいよ!」などとよく言われました。
少しのミスも許されず、特に人前でミスをすると「恥ずかしい!!」「みっともない!!」
などと言われました。
そんな私は、2歳まで全く笑うことがなかったそうです。
2歳の時に初めて海に行って、そこで一人で砂浜で遊んでいた時、大波が来ました。
私は波をかぶってずぶ濡れになってしまい、そこでようやく初めて笑ったそうです。
保育士をして来たので、沢山の2歳児を見て来ました。
健康で、愛情をうけて育ってきた赤ちゃん、子供は、笑います。
この話を聞いた時、この時からすでに私は心身共に毒親に支配されていたのだなと感じました。
言葉もほとんど発さない子だったようですが、私の中では0歳から記憶があり、母親の行動や言動は昨日の事のように覚えています。
ただ怖くて話さなかっただけで、殆どのことを理解していました。
両親ともに喫煙者で、部屋の中は常に煙がモクモクでした。
車に乗る時も必ず煙草を吸っていて、車酔いにすぐなってしまう私は、車酔いに煙草の匂いがプラスされて気持ち悪くなり、よく嘔吐していました。
弟を妊娠している時も母親は煙草を吸っていました。
他の親戚も煙草をみんな吸っていたので、常に煙がモクモクな家庭だったと思います。
それがとても苦痛でした。
母親は特に、自分の思い通りに支配をしたがり、好きな洋服などは殆ど着せてもらえず、「3ケタ以上はお高いものだよ!!」と言われて、だいたい3ケタの母の選んだ洋服を着ていました。
私はキャラクターものが大好きで、ピンク色が好きで、そのような洋服が着たかったのですが、
「あんたが着ると気持ち悪い!似合わない!」
などと言われ、全く聞く耳も持たずで、いつも地味な自分が着たくはない洋服を着ていました。
少し太ると「それ以上太ると着れる服なくなるよ!」と脅されました。
ぶーちゃんぶーちゃんと、私をブタ呼ばわりしていました。
標準体重かそれ以下でしたので、さほど太っているわけでは無かったと思いますが。
このような言動は、私の摂食障害になったきっかけにもなっていたのかもしれません。
太っていると怒られる、太っていると頑張っていない。
そういう偏った考えになっていったように思います。
好きな洋服が着れないという事は、高校生まで続きました。
そして、初めて大学生になって自分で稼いだお金で、キティちゃんの洋服を買いました。
その時はもう嬉しくて涙が止まりませんでした。
大学にキティちゃんの洋服を着て行き、友達に「それはないわ〜!!」と笑われましたが、それでも私はどうしてもキティちゃんの洋服が着てみたかったのです。
今でも、ピンク色の洋服をやたら買ってしまったり、キャラクター物には手が伸びてしまいます。
小さい頃にちゃんと、そのような欲求を満たせていたら、今こんな気持ちになることはなかったのかもしれません。
人からどうみられるかを異常に気にして、お金持ちに見られたい欲求が強い親たちは、私を小学校受験させることにしました。
そこからは、教育虐待の始まりでした。
勉強中、答えがわかっていてもそれが間違えだった時にどうなるかわかっているから、恐ろしくて発言できない。なので黙っている。
そうすると、「何も言わないのが一番卑怯なんだよ!ムカつくんだよ!気持ち悪い!」などと言われて、結局は殴られる。
毎日のように暴言を吐かれ、ぶたれ、時には鼻血も出しました。
その時は、流石に「やばい!!顔に傷がつくとお父さんに怒られる!」と思ったのか、必死に父親にバレないようにしているのがよくわかりました。
父親は母親への暴力などもあったので、母親も父親を恐れていたのかもしれません。
「あなたの為を思って」「こんなに金かけてやってんだ!」と言うのは毒親の口癖でした。
毒親あるあるですね。
私の為を思うなら、私立に行けなくても良いから、お金なんかかけなくて良いから、虐待しないで欲しかった。ずっとそう思っていました。
夫婦喧嘩も酷いもので、見ていても聞いていても、いつも心臓がバクバクして、怖くて涙が止まりませんでした。
毒親の話は、数えきれないほどあるので、今日はこのくらいで紹介は終わろうと思います。また、毒親の話はしていこうかなと思っています。
毒親に育てられた私はどうなったのか
そんな毒親に一度も反抗することができないまま、思春期をむかえました。
毒親に育てられた結果、16歳で摂食障害、双極性障害になりました。
私は、「頑張り屋さんで優しくて、何事にも一生懸命ないい子」でいなければなりませんでした。
「あんたから頑張ることをとったら何が残るのよ!!」
と言われていたので、常に頑張っていないと捨てられると思っていました。
そう言う考えも、全て病気につながっていった気がしています。
心療内科に通っており、医師によく相談をしていました。
「お前は病気になりたがってるだけだ!!本当は病気なんかじゃねぇ」
などとも父親に言われて、病院に行けなくなり、
バレないように病院に通っていた期間もありました。
その後、結局バレて酷い目に合いましたが・・・
病気だと言うことを受け入れた後は、「ここまで金かけて育てて来てやったのに、病気になんかなりやがって!!恩を仇で返しやがった!!」と言われ続けました。
病気にさせたのは自分達なのに、毒親はいつだって自分が被害者なんです。
病院の先生からは、
「とにかく逃げなさい。家出でもいいから、とにかく逃げなさい」
とよく言われました。大学に入ってからは、その度に家出をして、その度に「家を出るなら、縁を切るからな!」などと脅されていました。
一人暮らしをしたいとも話しましたが、「一人暮らしをしたら縁を切る!」と言われていました。
親の言う通りにしないと、いつも「縁を切るからな!」と言われました。
友達の家に行けない時は、24時間営業のお店に一日中いたり、公園で過ごしたこともありました。何度も補導されそうにもなりました。
でも、それよりも家に帰る方がよっぽど苦痛でした。
初めて毒親に言いたい事を言えた日
そんな毒親たちに、35歳になって初めて、今までの事をLINEでですが、話すことができたのです。
あなたたちがしてきた事は、虐待なんだと。あなたたちは毒親なんだと。
私は苦しかったんだと。何度も死のうとして、実際自殺しようとして、たまたま助かったんだと。
答えは同じ。
「弟はこんなに嬉しいことを言ってくれる!奥さんにも私たちの事をすごくよく言ってくれる!!弟はこんなに・・・・・・なのにあんたは!!」
「こんなに酷いことを言うなんて!!縁を切る!!」と言うような感覚の内容のLINEが来て終わりました。
毒親は自分が毒親であることに気付かない。
いや、毒親だと思おうとしない、と言うのが正しいのかもしれません。
私が言った毒親達の虐待について、真実なのはわかっているようで、否定はしませんでした。でも絶対に謝る事はありませんでした。
毒親は本当に謝るということが出来ないと思います。
弟はいまだに毒親の洗脳の最中にいるのか。
あるいは、要領が良いタイプなので、毒親の喜びそうな嘘の言葉を並べて、適当にかわしているのかなという感じです。
弟も毒親から逃げて、連絡もあまり取らないようにしていた時期もありましたが、
結婚をしてからは、おそらく自分の両親の事を知られたくないので、弟は上手く毒親を掌で転がしているのかなと思います。
弟に毒親についての話をしたことがありますが、面倒なことからは逃げるクセがあり、無視されて終わりました。
考えたくもない事だったんだとは思いますが、私が苦しんでいる時の、弟の私への態度もとても酷く、辛かったのを覚えています。
それでも、同じ苦しい時期を過ごした者同士助け合っていけたらと思っていました。
でも毒親と絶縁した今、それは難しそうです。
そんな毒親に育てられた私が、健康で幸せに今暮らせている理由
物心ついた時から、「こう言う人間にだけには絶対ならないようにしよう。私は自分の子供には優しく愛情たっぷりで育てるんだ。こういう父親のような男の人とだけは結婚しないぞ。」
そう思って生きてきました。
それは今、実践できていると思います。
私の人生の毒親との時間の中で、楽しいこともあったと思います。
幸せなこともあったと思います。
でも、それはあまりに苦しい虐待の記憶の中に紛れて見えなくなってしまっています。
フラッシュバックするのはそういう残酷な記憶ばかりで、楽しい記憶は霞んで見えなくなってしまいます。
私は24歳の時に夫に救われて今、生きています。
夫との出会いは私の人生の転機でした。親からも離れることができました。
今まで獲得できなかった自己肯定感、愛情を夫から沢山もらいました。
実家を出て、夫と暮らし始めて、初めて安心して家に帰れるようになりました。
生まれて初めて安心した環境を手に入れることができたのです。
すると10年余り治らなかった摂食障害が次第に良くなって来始め、双極性障害もびっくりするほど良くなりました。
28歳で長男を産み、数年後、摂食障害が完全に治ったという感覚がありました。
双極性障害も回復したんだと感じました。
夫には感謝しきれないくらい感謝しています。
結婚してからの毒親と今後について
毒親とは、一応ここまで育ててくれたという恩や、感謝の気持ちもあり、
時々孫に会わせたり、行事(七五三、お食い初めなど)もなるべく一緒にやっていました。母の日父の日などのお祝い事や誕生日などに贈り物を贈るなどもしていました。
しかし、毒を吐くことは無くなりませんでした。
「長男は7歳になり、もう結婚してから親孝行、ここまで頑張ってきたよね。
今でも毒親に会うたびに吐き気がしたり、お腹が痛くなったりしたけど、よく耐えて会って親孝行してきたよね。」
そう自分に言い聞かせて、今までの35年の人生で、いつか毒親に言ってやる!!と思い続けて来たことを、ついに言うことに決めたのでした。
まだまだ山ほど言ってやりたい事はあります。
もうこの苦しかった想いを伝える事はできないのか。
と思うと悔しい気持ちもあります。
逆に、もう2度と孫の顔は見せられないと思うと可哀想に思ったりもします。
複雑な想いが入り混ざった感情です。
子供が産まれてからも発言などは毒親だなぁと思うことが多々ありましたが、孫には良くしてくれたと思います。それについては感謝しています。
私が結婚する前に比べれば、毒親も丸くなり、良い方向に変わってきたと思いました。
だからこそ、私も思い直そう、関係をどうにか上手くできないか努力しよう。
昔の辛い記憶は忘れよう、楽しかったこと、今孫にやってくれている事を思い出そう、そう思って苦しい中で、もがいていました。
しかし、実家に帰るたびに、昔のつらい記憶はフラッシュバックして来てしまうし、加えて毒を吐いてくるしで、上手く消化はできませんでした。
息子(長男)はというと、祖父母にあまり興味がなさそうで、会いたいと言った事はありませんでした。1年くらい会わないこともありましたが、特に話題にも出ませんでした。
息子と実家に帰った時に、息子がいるのに、父親が怒鳴り散らしていたこともあったり(その後は一年ほど会っていませんでした)母親と会った後に私が泣いているのを見たりしてしまい、祖父母に対しての嫌悪感を抱き始めているようでした。
次男はまだ、しっかりと喋れないこともあり、よくわかりませんが、祖父母の存在をそこまでしっかり認識していないように感じます。(時々会うお友達的な感覚)
子供たちにどのように今後説明していくかは、課題かなぁとは思っています。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
この記事が、毒親に苦しんでいる方、自分が毒親でなんとか治したいと思っている方、誰かのプラスの力になれたら嬉しいです。