小説がうまくなるにはどうしたら良いか? 小説の書き方がよくわかる本のオススメ5選

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ここ数年、メールやTwitterのDMで「小説のアドバイスが欲しい」「小説を読んでコメントをして欲しい」「小説ってどうやったら上手くなるのか?」という相談をちらほら受けています。

まだ単著も出ていない身としては、こういう相談をしていただけるほど頼っていただけるのは大変恐縮で、そしてありがたくもあります。
しかしながら、現在じぶんの書き仕事でパッツンパッツンになっているため、個別にお話を聞いてソレっぽい助言をするということはできない状況にあります。すみません。

とは言いつつ、特に小説を書く友人などがいなくて、そうした話をする相手がいないがゆえの不安みたいなのは(自分自身そうでした)非常にわかりみのある話でして、ちょっとでもお役立ち情報を提供できればなぁとふと思い立ちました。

そういうわけで、ここでは「どうやったら小説がうまくなれるのか?」を考えていくのに役立つ本を5つ紹介します。

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「たくさん書いたらうまくなる」には上限がある

たぶん、「小説をうまくなるにはどうしたらいいッスか?」って作家や編集者にきいたら100%返ってくると思うのが「毎日少しずつでも書いてください」っていうヤツだと思います。実際、小説を書かないと小説はやっぱりうまくなりません。というか、なりようがないというか。
小説を書きはじめた当初、とにかくたくさん書いていた記憶があります。書いては小説投稿サイトにぶん投げて、感想をもらって、課題みたいなものを抽出して、それを意識した次の小説を書いて……みたいなことを繰り返しました。何年か経って気づいたのは、「ただ書いて上手くなるのは上限がある」ということでした。

書きはじめだと1作書くことによる経験値的なものがクソデカいので書けば書くほど上手くなっていく(それを実感できる)のだけれど、ある程度うまくなってしまうと、もはや「小説を書く」だけでは経験値が入らないみたいなの、正直あると思います。
ある程度うまくなったら、ただ闇雲に書くのではなく、頭を使うようにしないといけない、もっといえば「小説を書いていない時間」をどう過ごすかとか、そういう話になってくると思います。

小説のなかでどう頭を使うかを身につける(保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)

小説をディスるテンプレートとして「頭で買いちゃってるワ」ってのがあるんですけど、ぶっちゃけ使いますよね、頭。
スポーツとか楽器とかやってるとわかるかもなんですけど、漠然と練習してるだけじゃ全然上手くならないじゃないですか。ホラ、素振り1000回!とか、楽譜も見ずに適当にジャンジャカ楽器をかき鳴らすだけとか。そんなことしても肉体に負荷をかけているだけで、ちゃんと考えて練習しないとスポーツや音楽をやったことにはならないから上手くならないわけで、小説も小説で頭を使って書かないと小説をやったことにはならないわけですよ。

まぁ、先のテンプレディスが言わんとしていることはわかるんですけど、それはさておき、ぶっちゃけ小説って(良くも悪くも)なんとなくでも書けてしまうから「なんでそういう文章を書いたのか」をイマイチ説明できなかったり……というのはけっこうあるんじゃないかと思います。

この「なんで書いたのか説明できる」についてはめちゃくちゃ重要な話なのであとで詳しく書きますが、すべての基本となるのは小説のなかの文章がどんな機能を持っているのかを「じぶんの頭と身体で探っていく」という感覚を習得することです。

「小説をうまくなるための本=創作ハウツー本」というのが連想しやすいところですが、ハウツー本の特徴はストーリーテリング(作劇方法、キャラクター造詣)に特化したケーススタディという感じかなと。でもそれってかなり応用的な話で、それよりももっと根本的なところを鍛える本て実は少ない。
そこにコミットした本が保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』です。この本を読めば、先に言及した「小説を毎日書いても(ある程度上手くなると)そんなに上手くならない」という話がよくわかります。
テクニックってそもそもなんなんでしょうね? そんなもの存在するんですか? みたいなところからはじめて、ようやく小説のなかで自由に思考できるようになってくるのではないかなと。

ハウツー本でもそこに書いていることを実践すれば、それなりに読者ウケするものや商業レベルで通用するものはぶっちゃけ書けるようになると思います。
しかし、それだけではたぶん傑作を書けるようにはならなくて、テクニックよりももっと深いところにある「基礎」たる部分を日々徹底的に鍛えていくのが、傑作を書くためには重要じゃないかとぼくは思います。

「なんで書けるのか」を考える(諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学)

二冊目に紹介する諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』ですが、これは認知科学の本です。そしてその事例として挙げられるのは小説ではなくスポーツです。なんでこの本なのかといえば、スポーツにしろ小説にしろ「上手くなるプロセス」をまず把握しておくと中長期的な戦略をもって小説のトレーニングをできるようになるからです。
また、この本で解説される「身体知」は、小説のなかで「どうしてこの文章がここにあるのか」をロジックのみならず身体感覚として分析していく実践的な概念にもなります。文学畑ではよく「身体性」という用語が使われますが、それをじぶんの読み書きのなかに組み込んでいくには最良の入門書になるのではないかと思います。

「身体知」というのは身体感覚による知覚現象であり、著者によれば身体感覚を積極的に言語化していく試みによって身体感覚は研ぎ澄まされていくとのことです。
その例として挙げられるのが野球選手のイチローの「説明できるヒットが欲しい」という発言です。イチローは首位打者をはじめてとったシーズンのオフに「からだは自動的にヒットを量産していて、どうやってヒットが生まれているのかを説明できなかったことに危機感を抱いていた」と発言しているわけですが、この感覚は小説において「文体を考える」ことに等しいとぼくは考えています。
つまり「なんとなく良い感じの文章を勝手に書けちゃうんだけど、どうしてなのかわからない」という状態だと、数十年とか小説を書き続けて上手くなっていきたい身からするただいぶマズいわけです。
逆を言えば「なんかわからないけど小説がまったく書けない」ことも同じように起こり得るわけで、そうなったときの対処法を知らないとそのまま絶筆します。「説明できないけど良い文章を書けてしまう」のを小説の神秘として楽しむのは個々人の自由ですが、ぼくからして見れば命に関わる問題なわけです。

前述の「なんで書いたのか説明できる」というのは、良い文章に再現性を持たせるためというよりは、故障を防ぐ意味のほうが大きいと思います。長く小説を書いていく上でどのように調整すべきかは、自分で自分の身体(文体)を熟知しておかないと不可能です。技術的な目標を持って長く小説を書き続けたいひとは、この本を読んでおくと何かと役に立つと思います。

小説の基本は「読む」(ノエル・キャロル『批評について 芸術批評の哲学』)

毎日闇雲に書いても意味がない、とは言いましたが、小説を上手くなるためには当然ですが日々の練習(と適切な休養)が必要です。スポーツでも楽器でも、基本的な動作確認をゆっくりと行う基礎練習の積み重ねが大事で、「神業」としか呼べないレベルにはむしろその積み重ねによってのみ到達できるとぼくは考えています。

小説で積み重ねられるものといえば「読書」です。
ぼくの友人で非常に高いレベルで小説を書いているひとは例外なく多種多様な読書を積み重ねていました。しかしこれは「何冊読めば良いか」という話ではないです。とりあえず素振り1000回やっておけば上手くなるわけではないように、たくさん読めば上手くなるわけじゃない。そのためにも「正しいフォームで小説を読む」ことをまず知りましょう。「正しい」なんて言葉を出すと強めの「怒られ」が発生しそうですが、「個人的な好き嫌いを適当に並べ立てる」ような娯楽的な読みかたでは文芸技術的な積み重ねにはなりにくいという意味です。
そこで批評です。ノエル・キャロル『批評について 芸術批評の哲学』は批評についての基本的な考え方と態度、その実践的な手続きについて論じられた名著。実作者のなかには極端に批評を嫌うひとがいますが、批評の読み書きはできたほうがいいです。それはさっきの「身体知」の話になるのですが、書き手にとっての批評は「文芸的身体知の実践」そのものです。

実践的なトレーニング(ル=グウィン『文体の舵をとれ』)

以上3冊は文章を書く手前での準備についてでした。4冊目は実際に文章を書いて上手くなる系の本としてル=グウィン『文体の舵をとれ』をオススメします。

この本は作文トレーニング集です。あるお題・制約のもとでの文章執筆の練習問題が各章に用意されていて、これをこなしていくと文芸創作の「体感」を習得することができます。
ただ、この記事で繰り返し指摘している「素振り1000回」みたいなことにならないように注意したほうがいいと思います。なぜこういうトレーニングが必要なのかはル=グウィンが丁寧に解説してくれてはいますが、それを自分自身でも手を動かしながら確かめてはじめて意味がある本だと思います。この「自分で手を動かして確かめる」については、上述の身体知の話とおなじだと思えば今回の選書の一貫性をわかってもらえるんじゃないかなと思います。

日々の調整方法について(室伏広治『ゾーンの入り方』)

小説は毎日書くにしても、執筆に当てられる時間はせいぜい5時間くらいがいいところだと思います。
一日のうちでいつ書くか、どうやって書くか、どのくらい書くかは常に悩み続けているのですが、最近のぼくは「1回1.5時間原稿用紙5枚」を1セットとして、休憩を挟んで1日に複数回おこなうようにしています。理想は朝昼晩に1回ずつの3セットですが、これはなかなか厳しく、朝と夜の2セットがほとんどです。

こうした管理方法を導入したのはごく最近で、理由は長編執筆への着手でした。2022年8月現在でのぼくの発表作はすべて短編、長くても原稿用紙80枚程度で、アマチュア時代に書いたものでも最長のものは250枚でした。
この程度の長さだったら、いい感じに閃くのを待って、文章を書きたい意欲が湧いたときに勢いに任せて書けばよかった。

ぼくは小説の着想を待っている時間のことを「天使待ち」、書くことは決まったけれど書くべきタイミングを見計らっているときを「風読み」と読んでいるのですが、長編となるとそうはいかなくて、日々コンスタントに一定のクオリティを保った進捗を出していかないととてもじゃないけど完成できない。
だから、この「天使待ち」「風読み」をどれだけコントロールできるか──言い換えると、小説を書くまでにどんな準備が必要なのかを特定し、それを実践・習慣化していく必要性を強く感じました。

そうなると、小説家というのはアスリートとほとんど変わらない仕事に思えます。小説家で日々の調整についての理論的な話をしているひとをとりあえず知らないので、アスリートのYouTubeやインタビューをひたすら漁りました。それで有益だと思ったのがイチロー、武井壮、室伏広治、ダルビッシュ有です。
この4人に共通するのは、「身体を動かすとはどういうことか」という、かなり基礎的なことについて強い問題意識を抱き、それに対する自前のトレーニング理論をメディアで語っている点です。その一例として今回取り上げるのが室伏広治『ゾーンの入り方』。この本はアスリートのみならず、集中したい一般人向けに書かれたやさしい本ですが、調整の必要性と調整の考え方をざっくり掴むのに役立ちます。

終わりに

小説の創作論を考えていくのに役に立つ本として、以上5冊を紹介させてもらいました。
ハウツー本を期待していたひとには申し訳ない感じですが、ぼく自身としてはそういう本は固定化された小説の型を知る上では重要ですが、傑作をこれから書こうとするひとに重要なのはそれよりもさらに根本的な部分、つまり「小説を書く」より前の段階に由来する問題意識と思考法なんじゃないかなと考えています。それもある程度、小説を書いたり読んだりして慣れてこないとわからない話ではあるのですが。
ここで書いたことの実践のひとつで、「ネット小説を片っ端から読んでいき、自分の引き出しを最大限に使って論じる」みたいなことをしていた時期もあります。

最後に。ぼくはすぐ「傑作を書く」とか言っちゃうんですが、そもそも「傑作」ってなんやねんって話ですよね。ぶっちゃけ、わかんないです。でも小説を読んで「傑作だ〜!」みたいな感覚ってあるじゃないですか。知らないですけど、まぁぼくにはあります。傑作って何かわからんけど「傑作」としか呼びようのない小説ってあると思います。
そういう理解を超えたものですね、傑作って。そしてぼくは十作者としてそういう小説を書きたいです。
日頃から創作論についてよく考えている理由って、この説明のつかない「傑作」を説明しようとするためで、でもぼくはこれを説明できる日なんて来ないのを最初からわかっています。傑作については永遠にその全貌を知れないけれど、その努力を尽くすことでその不可能性を示すことはできると思います。そのために死ぬ気で無謀なことを考えるわけです。自分ではそういう仕事をしているんだって思っています。傑作が傑作であることを証明する仕事です。

というわけで、この記事を少しでも皆さんの創作に役立てていただければ幸いです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

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