<閲覧注意>芸術論談義⑥ ~芸術とビジネスの関係性~

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こんにちは、こんばんは。Philip/K/Komです。
あっという間に2月も最終日になってしまいました。

なんか昨今では某ウィルスのまん防とかで、また世の中が陰気な雰囲気になっています。
まあ、人類の歴史とはウィルスとの戦いの歴史でもあるので、慎重になるのは仕様が無いとは思いますが、なんか政府はコンセプトが無いというか・・・

そんな事言っていても始まりませんので、やっていきましょう。

今回は、「芸術とビジネス」についてです。
当ブログでずっと書いていますが、あくまで私の経験則と所感なので「正しい」とか「間違っている」とか特に気にせず書いていますのでご了承下さい。
もちろん事実がある事に対しては可能な限り間違った情報を出さないように気を付けてはいます。


<現代日本の芸術”感”>

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以前書いた「芸術論談義」であったように、芸術活動というのは中々継続的に活動していくというのは工夫が必要となってきます。

なんでかというと、美術品や芸術品は、世の中に必須というわけでは無いからです。
そう書くと「芸術の無い生活なんて意味が無い!」という人もいそうですが、そういう高尚な考えを持っている方もいるにはいますが、大体多くの方は芸術に対してお金を払うという考えはあまり強くはありません。

まあ年に何回かは美術館に行ったり、映画に行ったりとそういうのも芸術活動のひとつではありますが、もっと生活に入り込む様な芸術感を持って、インテリアに拘ったり、絵を飾ったりする方は少数派と言えます。

要は「衣食住」の様に、無くてはならない。というモノではなく、あくまで趣味・趣向のレベルに留まってしまっているとういのが現代の芸術というように感じます。

それは、世界のアート市場の取引相対量で分かります。

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アート市場活性化WG 第1回 - 文化庁 引用
上の図は、文化庁報告の、’19の日本のアート商品の取引量になります。

先進国の中で、日本はランク外。全体の7兆円規模の市場の中で「その他」に日本は入っています。

まあこれをどう見るかは人それぞれ異なると思います。
現状、日本という国は「アート後進国」と言わざるを得ません。


それでは、日本人は芸術が嫌い?興味無いのか?

と言ったら決してそうではありません。


日本には四季があり、花鳥風月を愛でるような、自然とともに生きてきたDNAがあります。その中で様々な絵画や芸術作品が生み出されてきました。

しかし、時代が進むにつれ、「近代化」「資本主義」が入ってきます。
みなさんご存知「明治維新」からの「産業革命」そして「高度経済成長」ですね。

これらは、特に合理化という旗を振って、とにかくがむしゃらに進めてきました。
「もっと早く!」
「もっとたくさん!」
「もっと安く!」
この様に太平洋戦争で敗戦した日本という国は、驚くべきスピードで列強の諸外国と肩を並べるまで経済成長してきました。

そしてそれは、91年のバブル崩壊という目の前に落とし穴が見えているのに、突き進むしかないという、内戦ばかりの戦国時代と同じ運命をたどります。

その後残ったものは、悲惨でした。
敗戦後のGHQの置き土産である、徹底的な文化の破壊。画一的な教育指導。今も続く憲法9条問題。

そして僕が思う最大の問題は、「合理化」という大義名分です。

効率化ではないですよ。合理化です。

要は理屈に合えばなんでも良いという事です。
その結果、どんどん生活必需品以外のものは外側に排除され、日本人の芸術感というのはおきざりされてしまったのだと僕は思います。

ここで勘違いして欲しくないのは、今の日本に芸術が無いわけでないという事です。
以前は、ほとんどの人にとって身近だった芸術感が、世代を進むごとにどんどん薄まってしまったんだと思います。

それは、日本の建築にも言える事です。
いかにスペースを最大化するかに注力した「合理的」な住居。
なんの趣も無いけど、東京都というだけでブランドを感じてしまう浅はかな思考。(別に昔から東京に住んでいる人は良いと思いますが)

そんな「合理的」な考えが台頭してきたら、別に必需品でない「非合理」の塊である芸術なんて考える人が少なくって当然の結果だと思います。


いや良いんですよ。
その「合理化」で日本は今まで国内外ともに大変儲かりましたし。
ただ、何かを得れば、何かを失うんですね。
それが芸術感だったり、ここでは割愛しますが、その他多くのものだったりします。


<芸術とビジネスは結びつくか?>

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ここまで、日本は芸術とは縁遠い国になってしまった事を書いてきましたが、それでも現代日本で多くの芸術家さんはいらっしゃいます。

もちろんその中では、大変著名な方もいらっしゃいますし、失礼ですが細々とやれれている方もたくさんいらっしゃいます。

芸術と一言で書いても、その分野は多義に渡ります。
小説家も、絵描きも、歌手も、映画監督も、もう数えきれないくらい芸術活動に携わる仕事はあります。

いずれにしろ、それらアウトプット(作品)をどうにかしてお金に換えていかないといけません。
当たり前ですが、それら芸術活動を続けていくには資金が必要となってきます。
私個人としては、「芸術はお金を払ってみるようなものではない」という持論があります。
しかし、それを実現出来る様になるまでは、なんらかの手段でお金を得る必要があります。

方法は大方2通りとなります。
①作品を買ってもらう
②スポンサー(パトロン)をつける

もう芸術家の生きる術なんて古代から変わっていません。

①はストレートに作品に値段をつけて買ってもらう事です。もしくは顧客から依頼があって製作する場合も含まれます。
昔の著名な作家さんは自治体や国から依頼が来て、それに応じるというのもポピュラーな手段でした。
しかし、我々名も知れない作家はそんな大仕事はまず99.999%あり得ません。

ではどうするか?

それは、買ってもらえるだけの「知名度」「実力」をつける。そして「運」
以上。

正直言って、作家というのは、何か新規ビジネスをするようにプランやモデルの戦略があったり、計画的に資本を増やしていくという様な絵(計画)は描きにくい仕事です。

なぜかと言うと、芸術というのは「良い」も「悪い」も観る人の感性によるところが非常に大きいからです。

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オランダの画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ先生。

今では「ひまわり」や「夜のカフェテラス」など知らない人はいないくらい有名人です。
しかし、現代では1枚の油絵が数億円で取引。つまり評価されているゴッホ先生ですが、当時は全く評価されませんでした。
当時はいかに人物・風景をリアルに表現するかが重要視されていました。ゴッホ先生のその独特のタッチ、色彩はあまりにも鮮烈で、ほとんどの庶民や上流階級にうけませんでした。
(実際、ゴッホ先生はそういった画法は狙ったわけでは無く、精神病により観えたまま描いたそうです)

しかし、ゴッホ先生の死後、後進のアーティストに多大な影響を与え、それは現代でも継続、いやより強力になりつつあります。

まあ一例ではありますが、ここから分かるように、芸術というのはその時代で受け入れられるかどうかは中々難しい問題なんです。

ただし、だからと言って、多くの人に受けるような作品に偏れば、それは商業主義的な作家となってしまいます(まあそれでも大分すごいですが)


自分の作りたいものを作る。だけどそれが世の中に受け入れられるかは分からない。



芸術に携わる人は必ずと言っていいほど、この課題にぶち当たります。
この課題に当たった後、どう行動していくかによって、その作家さんの芸術人生が決まると言って過言ではありません。

芸術というのは、良い作品=高級・売れている。というわけではないんですね。
例え誰も知らないような作家が作った作品でも、観た人にとって、忘れられないくらい鮮烈に思い出に残る様なものであれば、その人にとっては代えがたい名作となるわけです。
それが芸術の真髄というか、本質的な部分になるわけです。

まあだからと言って、自分流にやっていても良いというわけでは無く、やはり活動資金の源流は”まず誰かに観てもらう”事に尽きます。
どれだけ素晴らしい作品を作れたとしても、誰も観れない状態では無いのと同じです。
「知名度」というのは、こういった商業主義的な意味合いとはまた異なって、活動を継続するのに必要な要素となってきます。

「実力」というのも非常に難しい要素です。
というのも、何をもって「うまい」と言うのか?という事です。
例えば絵画であれば、カメラが無い時代であれば、その一瞬を切り取る「写実的」な絵画が喜ばれるでしょう。
しかし、現代では、情報として必要ならば写真で十分となってしまいます。
その中で”写真では表現できない何か”というのが、その作家の”味”であり”個性”となり得ます。ただ難しいのが、その個性を「良し」とするのか「悪い」とするのかも、また時代性や観る人によって変わってくるという事です。
まあもちろん、技法として最低限必要レベルというのはあると思います。

「運」はそのままですね。
別に芸術家に関わらず、ほとんどの方は「運」というものから逃れられません。
しかし大切なのは「運まかせ」しないという事です。

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「運」というのは、配られたカードと同じです。
そのカードを使って何をするのか?という事が重要です。
役を揃えるように、手に持っているカードを捨てないと次に進みません。
つまり、先ほども書いたように「何かを得れば何かを失う」という事なんです。
しかし、失う事を恐れて、いつまで経ってもカードを切らないのでは、人生というのは開けてきません。
というより、中にはカードが配られた事にすら気づかない人も多いくらいです。
つまりチャンスが来たのに気づけないというのは人生において大きな失態になるわけです。
ただ漫然とカードを取ったり捨てたりしていては、何の役も付きません。
人生のコンセプトという大きな役を見出して、チャンスを見逃さず、時には何かを捨てる勇気こそが「運」を味方に付けることが出来る唯一の方法です。



そしてもう一つの活動維持の方法は、「スポンサー」=「パトロン」を付ける事です。
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芸術活動というのは、非常に手間暇がかかるし、工場の機械でポンと出てくるようなものでもありません。
つまり、創作活動している間というのは、何もアウトプットが無い状態が続くという事になります。

その間は作家は無収入という事になってしまいます。それを支援するのが昔でいう「パトロン」。現代風に言うと「スポンサー」や「後援者」、「支援者」と言ったりします。
これらの支援者の方に創作活動時間も金銭的や物理的な支援をしてもらい活動を継続していく方法になります。

当然ですが、支援者が付くという事は、その作家や作品に魅力を感じ、お金や対価を払っても”その価値”があると感じている場合に限定されます。
その作家の次の作品も観たい、もっといろんな作品を世に出してほしいという価値に対して支援するわけです。
ですので、作家が一方的に支援者を募ったところで、その作家や作品に魅力を感じる人がいなければ、余程のもの好きでない限り支援者が見つかることは難しいでしょう。



<芸術とビジネスのまとめ>

ここまで書いてきて、読んでいただいた方にはなんとなくお気づきかもしれません。
それは芸術というのが「お金を稼ぐ」という部分に関して、かなり対極な位置の仕事であるという事です。

特に現代日本は、絵や芸術品を飾る文化はかなり衰退してしまっていますし、アート産業自体、他の産業と比べ特段高いわけでもありません。

しかしそれでも、芸術活動で食っていきたい!と思う方はこれから書く事を参考にしてみてはいかがでしょうか?

それはずばり

作家とプロデューサーの共存


です。

意味が分からないと思いますので、加筆していきます。
芸術活動をされる方の多くは、おひとり、多くても数人だと思います。
おひとりで活動されている方は、日々絵を描いたり、歌を作ったり、いろいろやられていると思います。それはもちろん素晴らしい事ですのでぜひ継続してください。

重要なのは、自分の中にそういった「作家としての自分」と「プロデューサーとしての自分」を共存させる事です。

作家性というのは、どうしても主観的に陥りやすく、自分のやりたい事が主になり、自ずとそれらが目的化していく傾向が強いです。
しかしこれまで書いたように、作家というのはただ作品を作るだけではダメなんです。
それを世の中に広くPRしていき、一人でも多くの人に観てもらえるように努力しないといけません。そうでないと、いくら素晴らしい作品であろうと日の目を見る機会=チャンスが回ってきません。

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そこで、プロデューサーとしての自分の出番です。
この人格は、客観的な判断を持っていなければいけません。

自分の作品をどうPRしていくか?
観た人はどう思っているか?
ブランド力を構築するにはどうしたらいいか?
どうやって活動資金を捻出するか?

と言う、いわば作家の雑用係みたいなものです。

でもそれらの事も決して無視していては活動は続けられません。
本来、作家とプロデューサーは相反する仕事になるんですが、それでも主観と客観を切り替えて続けていくと次第に慣れてきます。
「作家の自分としてはこういう作品にしたいけど、プロデューサーの自分はなんて言うだろう?」
ちょっとした多重人格みたいですが、この自分をコントロールするというのが芸術活動、ひいては作家人生としての長い道のりを歩くのに大切だと思います。

まあ、運が良い人は、気の合うプロデューサーをやってくれる人を見つけるのが一番良いと思いますが。
というのも、一人で活動をするというのはどうやったって限界はあるからです。
ただ、そうやって活動を続けていくうちに一緒に手伝ってくれる同胞が見つかったりするもので、それも日々の活動の成果とも呼べるかもしれません。


という感じで、芸術とビジネスのほんの触りを書いてきました。
本当はもっと書きたいことがあるのですが、書きすぎると読むほうも疲れると思うので今回はこんな感じで締めたいと思います。

<結論>

Q:芸術とビジネスの関係性とは?
A:芸術とビジネスは本質的には対極な位置付けにある。しかし活動維持のためビジネスの要素を取り込んで、活動費を捻出する努力や工夫は必須。

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というまとめにしたいと思います。

ここまで読んで頂き本当にありがとうございました。

参考になるかは分かりませんが、少しでも役に立ったら嬉しいです。

次回、術論談義第七回目は「生活の中の芸術」というテーマで書きたいと思います。


それでは、またお会いできる日を楽しみにしております。


Philip/K/Kom
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